いつもキリンのブログをご覧頂きありがとうございます。
日毎に秋の気配が増してきた今日この頃
皆様、体調など崩されておりませんでしょうか
朝夕と日中の寒暖差が大きいので注意してお過ごしくださいね。
本日は遅くなってしまいましたが『2019 天神祭』をお届けさせて頂きます。
天神祭、そして菅原道真公、そしてそのご家族について
何かを伝える事が出来たらと思いシャッターを切っています。
今から千百有余年の昔、冤罪の罪に問われ遠く京の都から大宰府の地へやって来た父と幼い姉弟がありました。
住む家は酷いもので腐りかけた屋根に朽ちかけた松材を打ち付けただけという代物。
雨漏りもひどく壁土は湿気で崩れ落ちるありさま。
もちろん満足な食事など与えられず、農民のくれた野菜を入れた薄がゆで飢えをしのいでいました。
父の名は菅原道真。
今から遡る事1118年前の9月15日
道真はこんな言葉を残しています。
『思いも寄らない冤罪により、このような遠い地に流される身となってしまった…
今はいささか気持ちの平静を取り戻したものの年老いてしまったように顔の艶はなくなり、
その色は晩秋に黄ばみ凋む草木のようだ。
今では髪もまるで白霜と化してしまった。
都から千里以上もある地に追放され惨澹たるありさまになってしまった…
気力もまた衰えてしまう。
かつて私は栄華高貴の地位にあった。
その官職のために個人的な時間などまったく持つことも出来なかった。
しかし、今では理由もなしにこの草深い辺僻の地に身を置かれ、ありあまる時間の中に想う事は募ってゆくばかり。
今宵の月は煌々と鏡のように丸く照り輝いている。
しかしそれは私の無罪を透通る鏡のように晴らしてくれるわけでもなく…
今宵吹く風は峻然ですべてのものを刀のように鋭く薙ぎ払うかのようであるが、
その風も私の愁いを断ち切ってはくれない。
目に映るもの、耳へ届く風や虫の声、そのすべてが哀しく…
今年の秋は寂寥をすべて一身に集めたような感じがするんだ。』
困窮を極めた生活の中、草木荒れ果てた地に明るさを忘れず
楽しそうに駆け回る姉弟の姿は道真に希望を与えてくれる光のような存在でした。
しかし藤原時平が仕組んだこの極貧生活は、
徐々に家族の健康を蝕んでゆきます。
左遷の翌年、息子の「隈麿」が栄養失調から病を患う事となります。
病床で意識朦朧とする隈麿。
父にこう尋ねました
「いつかまた、母さんに会えるかな…」
道真は「疑いが晴れたら、京に戻れる日が来るさ。だから元気になってその日を待とうではないか。」
精一杯励ます道真の言葉にうなずいた隈麿ですが
その願い叶うことなく他界。
その数か月後、左遷時に病床にあった妻が他界したことを知らせる便りが届きます。
そして道真自身の病状も一気に悪化。
その10日後に道真も他界。
残された紅姫は、亡き父から託された密書を四国にいる長兄に届けるために密かに大宰府をたった。
藤原氏の追手が迫る中、若杉山麓に身を潜めます。
山上の神社に守護を祈願するも捜索中の刺客にみつかり、非業の最期を遂げたという。
令和元年7月24日早朝
大阪天満宮・本殿
大阪天満宮の本殿において宵宮祭(よみやさい)が執り行われます。
この宵宮祭では人々の無病息災とこれから斎行される鉾流神事の無事が祈られ、
神鉾を持つ神童を中心に関係者が集まり神事が斎行されます。
鉾流行列参進
宵宮祭の後、鉾流神事を行うため鉾流行列が大阪天満宮より出発。
神鉾講を中心として高張提灯、先祓金棒を先頭にして、
神童を前に渡御列が天満警察署前の鉾流橋に設けられた斎場に向かう。
『鉾流神事』
天暦五年(951年)、社頭の浜から神鉾を流し、
その漂着地を斎場と定め御神霊をお移しし「禊(みそぎ)」を行いました。
その際に神領地や崇敬者が船を仕立て御神霊を奉迎したのが天神祭の起源とされています。
寛永年間以降は常設の祭場(御旅所)が設けられ、鉾を流す必要がなくなり長らく途絶えていましたが、
昭和5年に復活し、今も続いている重要な神事です。
巫女の舞などによる水無月祓の神事を行った後、
神童、神職、楽人が乗った斎船が鉾流橋の斎場から堂島川の中ほどに漕ぎ出されます。
天神祭では鉾流神事に使うこの小舟のことを斎船(いつきぶね)といっています。
この船の上から神童の手によって神鉾が流され、市民の家内安全・無病息災を祈ります。
また、ご神意をおうかがいすることによって天神祭の幕が上がります。
斎船に装束姿で乗り込んだ神童役の川崎正義さん(11)が長さ約75センチの神鉾を流しました。
神職が「こも」と呼ばれる藁を神鉾と共に川へ流します。
この藁の中には人の形をした紙がたくさん詰められており
この紙には人々の厄が宿るといわれ
「こも」には昔から一般の人は絶対に手で触れてはならない…
と言い伝えがあります。
神童の持つ木製の矢のようなものは「神鉾」といい菅原道真の魂が宿っています。
『御鳥船』
御鳥船は「神鉾」と「こも」の両方を拾うのが役目がありますが
手で拾い上げるのは「神鉾」だけである。
今年、神鉾を拾い返納する大役を務めるのは小若の舵を担当している尾上さん。
神鉾を追う皆の表情からも
この御鳥船に乗る覚悟のようなものを感じます。
今年も無事に神鉾を拾い上げる事が出来ました。
木津川沿いにあった木場で働いていた人たちが中心になって始めた「どんどこ船」。
天神祭の間、中之島周辺から道頓堀川まで縦横無尽に漕ぎ廻りますが、陸も走ります。
この日、南港の貯木場から出発、木津川をさかのぼり天神橋付近に到着、
全長16.2mのどんどこ船が陸揚げされ、催太鼓が宮出して間もなく大阪天満宮に宮入します。
どんどこ船は鉾流神事の「御鳥船」で収納した神鉾を本殿へ返納する役割も果たしています。
『鉾流神鉾奉還』
どんどこ船講の尾上さんから禰宜へ神鉾の返納が無事に行われました。
これで道真公の御霊は明日、陸渡御へ出発することとなります。
神鉾返納の大役を果たしたどんどこ船
皆で力合わせ大川へと戻ってゆきます。
沿道からは声援が飛びます。
7月25日 本宮
本殿で御神霊が御鳳輦(ごほうれん)に移されたらいよいよ陸渡御が開始。
大阪天満宮を出た渡御列は、催太鼓を先頭に猿田彦、神鉾、地車と続きます。
総勢3000人の大行列が船渡御の乗船場である天神橋までの間を、
老松町通、新御堂筋、市役所北側を通って約3kmのコースを歩いていく。
『地車講・龍踊り』
囃子にあわせての龍踊り(りゅうおどり:別名 蛇踊り、狐踊り)は、
踊子たちの巧みな指先の動きに特徴があります。
菅原道真の祟りと云われる清涼殿落雷事件では
多くの人々が龍に乗った菅原道真の姿を見たと云われています。
陸渡御列が出発する前には、大阪天満宮の境内で催太鼓が激しく打ち鳴らされ、
大阪府の無形民俗文化財である「からうす」が何度も披露されます。
また、渡御列の最後を飾る鳳神輿、玉神輿も出門の前に境内で激しく揺さぶられる。
数ある講社の中で唯一「講」ではなく太鼓「中」と称し、
最も古い由緒を持つ『太鼓中』
その「催太鼓(もよおしだいこ)」は豊臣秀吉からの拝領と伝えられています。
太鼓中は役員のほか6名一組で太鼓を打つ36名の「願人(がんじ)」と
1トンを超える太鼓中を舁く「舁き方(かきかた:略してカタ)
それらを指揮する「采頭(ざいがしら)」と「采方(ざいかた)」で構成され、
総勢600名が25日陸渡御の先陣をきります。
陸渡御列は大きく三つに分かれています。
威勢の良い催太鼓で始まる第一陣は、猿田彦、采女、稚児、牛曳童児などが連なります。
第二陣は総奉行、前行などの騎馬に続き、平安時代の貴族の乗り物、御羽車、御神霊を奉安した御鳳輦などが行列をつくる。
さらに第三陣は鳳神輿、玉神輿。途中まで実際に担がれて神輿は進みます。
陸渡御の道中、保育所の前を通ると子供達の純粋な眼差しがありました。
子供達ひとりひとりの表情を見て頂きたいと思います。
太鼓を打つ「願人(がんじ)」のアクションに興奮。
次の瞬間…
子供達に満面の笑みが咲き誇りました!!
こうやって天神祭は次の世代へと継承されてきたんだと感じました。
「お姉ちゃんになったらお祭り出たい!」
子供達の気持ちが伝わってきました。
『天神講獅子(てんじんこうしし)』
毎年、400名を超える踊子によって、獅子舞・傘踊・四つ竹・梵天などの踊りをくりひろげ、
祭の雰囲気を盛りあげる大集団です。
巡行では傘をかざして華やかに踊る傘踊が美しい舞いを披露します。
『猿田彦』
天狗のような姿の猿田彦
太陽の神とも言われます。
白馬にまたがった猿田彦と紫ワンピースの女性がとても素敵でした。
『陸渡御から船渡御へ』
ここは船渡御の乗船場
川に浮かんでいるのはお客さんの乗る台船で1隻に100名ほどの方が乗り込みます。
百隻を超える船がいろんな場所の乗船場から出発します。
この大川の船渡御クルージングはとても幻想的で日常では味わえない感動があり
毎年多くのリピーターがやって来ます。
船渡御を待つ男達の姿があった
この時の為に一年間待ち続けた男達
『どんどこ船~若中~』
船渡御の花形であり船列の中、唯一手漕ぎの列外船として自由に航行できるどんどこ船で奉仕する講。
江戸時代後期には船渡御に欠かせない存在となる。
幕末から明治初めの船渡御中止により衰退したが、戦後復興。
どんどこ船は、北海道や北陸の産物を入港してくる北前船に載せられていた「伝馬舟(てんまふね)」を利用して天神祭を見物したことに由来する。
現在は、長さ約17mの船体に梅鉢紋と唐草模様が描かれ、
左右舵14丁ずつの漕ぎ手が、太鼓・鉦の10種類のリズムに合わせて櫂を漕ぐ。
平成12年から子供どんどこ船も参加している。
『どんどこ船~小若~』
船渡御で忘れてはならない存在
「西山流幟倒し奇術」
ウイキペディアにはまだ記載されてないが伝統奇術である。
それは橋の欄干に幟を衝突させるかのように演じ
実際は衝突寸前で折りたたむというスーパーイリュージョン。
このスーパーイリュージョンに魅了され
船上では「にしやま・にしやま・にしやま…」と西山コールが沸き起こる
よくご覧頂くと
一般の人が幟と欄干がぶつからないように
必死に手で押さえようとしているのが分かります。
しかし次の瞬間!!
寸前で幟は欄干と接触することなく見事に倒れます!!
船上からも橋の上からも拍手が沸き起こります!!
右下に必死になって幟を支えている
西山さん(いんどめたしんさん)の姿をご覧いただけますでしょうか。
大川にはたくさんの橋と鉄橋があります。
全てにおいてこのスーパーイリュージョンを堪能することが出来ますよ。
(※JRが通る鉄橋については大人の都合により若干手前で倒れます。)
『船渡御』
夕刻のオレンジの世界から夜の世界へ
大川にたくさんの船光が灯り
都会の光と調和した幻想的な風景が広がります。
『奉納花火』
毎年130万人が訪れる大イベントの最後を飾るのが天神祭奉納花火です。
約100隻の大船団のかがり火と大都会の中で打ち上げる約5000発の花火
それらが織りなす光景はまさに幻想的です。
『道頓堀』
どんどこ船は大川から道頓堀へ
何も知らない観光客にとってこのサプライズは…
一生の想い出になる出来事。
どんどこ船は神出鬼没の登場スタイルから運航スケジュールを明かしません。
滅多に見る事の出来ない船を見たものは
人生の大海原を航海出来ます。
是非来年も楽しみにしていてください!!
午後22時30分 大阪天満宮境内
御神霊を乗せた御鳳輦の帰りを待つ姉弟の姿があった
『御鳳輦』
船渡御から大阪天満宮本殿へ戻って来た御鳳輦
大阪天満宮本殿。
御神霊を御鳳輦から本殿へ御還しする神事「還御祭」
還御祭が終わると祭りは収束へと向かっていく。
賑やかだった境内も日付が変わる頃になって…
ようやくいつもの静けさが戻り天神祭は幕を閉じた。
1118年前と同じように…
今頃、道真公もこの月を見ているだろうか?
今宵の月も煌々と鏡のように丸く照り輝いています。
あなたの無罪を晴らしてくれているように輝いています。
本日もキリンのブログをご覧頂きありがとうございました。








































