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『今夜もおお腹いっぱい』

食べ歩き以外に堅い話も書くと思います。
来られた方はペタよろしく。

 天皇誕生日には招待券をいただいて「Bunkamuraオーチャードホール」へ。こちらへは、熊川哲也のバレーを見るオフ会に参加して以来2年ぶりくらい。クラシックのコンサートは、年末の習慣「第九」以外では、2年ぶりですね。
 演目は、ビゼー「カルメン」全曲3時間でした。前夜寝不足だったから絶対居眠りするなぁ、と思ったけど、場面展開が速くてあらすじを知っていても飽きさせない演奏に、ほとんど寝ずに見通す(聴き通す?)ことができました。

 本来オペラはイタリア・ドイツなど民族の分裂した地域で国威発揚と国家統一気分の高揚を陰の目的として作られた経緯から、当然その民族の母語上演でした。フランスは19世紀半ばの第二帝政期以後、王党派や共和派など国論の分裂が20世紀初頭まで続き、イタリア・ドイツ並みに「国家の統一」が命題とされたので、オペラや歌劇が多く作られたと考えられています。
 フランスやイギリスでもイタリア語やドイツ語の原詩の言語で上演されたが、それはヨーロッパ人同士なら多少国が違っても、上演言語が理解できるから。またその程度の隣国語が分かる程度の階層・教養の人々だけが観客だったから。
 外来の楽団ならともかく、日本の演奏家・楽団がイタリア語やドイツ語で上演して、観客の何割が理解できるのだろうか? 観客のほとんどは、出演者が何と歌っているか分からぬくせに分かるふりをしてとりすまして音を聞いているだけ。本来上演言語を理解できずしてオペラを楽しむことはできないはず。
 どの国も文明が成熟してくると外来物を有り難がる傾向があるが、日本は特に顕著である。しかし、日本語上演を増やしてこそ、敬遠されがちだったオペラの鑑賞意欲も増すというもの。外来の楽団など日本語上演が困難な場合、せめて原詩と和訳の対訳プリントでも配ってこそ、観客が真の意味でオペラを楽しめるようになる。オペラに限らずだが、日本人はもっと母語や自らの文化を大切にすべきであろう。

σ(^^)が書いて以来はや15年。最近ではオペラや歌劇の字幕上演が増えたようで喜ばしいことです。意味の分からない言語を「音」として我慢するのは、意味の分からない古い日本の書を「絵」として我慢する欧米人と同じだけど、本来のあり方ではないし、意味が分かった方がその芸術作品をより楽しめます。今回σ(^^)が寝落ちしなかった理由も、字幕があったからでしょう。いい加減見栄をはらずに、今後ますます字幕演奏が増えてほしいものです。
 


 カルメンの評価は時代とともに変わり、19世紀末には「自由の闘士」としてもてはやされた、とはよく解説書され、「カルメン」的な性格と情熱がスペイン女性の特徴だと見なされたりもしています。しかし、カルメンはロマ人(ボヘミアン)でスペインにとっては異邦人であり、ドン・ホセはスペインの「内なる外」少数民族のバスク人であるなど、この作品はヨーロッパ社会の孕む文化の「内と外」の緊張感を内在して物語の重要なプロットとなっています。さらに、「自由を求める」主人公級登場人物が最後は不幸な結末に終わることで「自由」の危険性を読者や観客に印象づけるのは、19世紀前半のロマン派文学の特徴。決して「自由」を称揚しているわけではないのに、半ば扇動的に誤解が流布している節があります。