アラヤ・ラームの主張する性的虐待疑惑の真実
アラヤ・ラーム事件は、アラヤ氏本人の主張を元にしたドキュメンタリー番組で放送されたことで知られるようになった。その後、アラヤはサイババから性的虐待を受けたと主張し、アメリカの裁判所に訴えた。
しかし、訴訟は、アラヤ・ラームの親友による供述の直後、アラヤ自身によって取り下げられた。
このことは、アラヤ・ラームの証言は偽りであったことを意味している。
訴訟の事実
アラヤ・ラーム対サティヤ・サイ・ババ・ソサエティ、事件番号05cc01931は、2005年1月6日、アメリカ合衆国オレンジ・カントリーにあるカリフォルニア州上級裁判所にて申し立てがなされた。
カリフォルニア州の出訴期限法では、性的虐待の疑いの場合、18歳以前に起こったと主張される事件は26歳の誕生日まで訴訟を起こすことができる。アラヤ・ラームは時効が成立する2日前に訴えを起こした。アラヤの誕生日は1979年1月8日である。裁判所はこの事件を2006年4月28日に裁判にかけることとした。
しかし、アラヤ(原告)は裁判を起こすことをせず、2006年4月19日に自ら訴訟を取り下げた。
アラヤは金銭的損害賠償を求める訴訟を予定していたが、和解の申し出はなく、訴訟の取り下げに対して金銭その他の対価は支払われなかった。この訴訟は「権利の制限」で却下された。これは、アラヤ・ラームはサティヤ・サイ・ババに対して今件と同じ申し立てによって二度と訴訟を起こすことはできないことを意味している。
アラヤは、自ら主張するトラウマに対して医療や精神科の治療を受けたことはなく、賃金の損失も箇条書きにすることもできなかった。
アラヤの告発による主張の内容が徹底的に調査されたのは訴訟を起こした後だった。訴訟手続きは、アラヤの主張を徹底的かつ批判的に検討する場を提供した。
その調査の過程で、アラヤ・ラームとその家族が1995年から1999年(性的虐待があったとされる時期)の間に、多くのリトリートや大会(サイババの帰依者の集まり)で話をしていることが判明した。それらの講演(その多くは録音され、文字起こしされている)は、後のアラヤの告発とは矛盾しており、いかなる悪行も示唆されていない。
訴訟の過程で、アラヤの訴訟の根拠となった出来事が起こったとされるインドのアシュラムにいた目撃者が特定され、尋問が行われた。その証人のうちの一人はクレイディック氏であった。
クレイディック氏は、1995年にアラヤの航空券を購入してインドに同行し、1997年にはアラヤに同行して後にアラヤが性的虐待を受けたと主張するいくつかのインタビュー〔サイババとの謁見の場〕に同席している。クレイディック氏の供述はこの訴訟の証拠として開示された。
クレイディック氏の証言
1. クレイディックは1995年から1997年までアラヤと個人的に懇意にしていた親友関係にあった。
2. アラヤは両親には話していないプライベートな個人的情報(10代の時の女子との性行為の数々など)をクレイディックに話していた。
3. クレイディックはアラヤが1995年と1997年にアシュラムにいた時、毎日のようにアラヤと話をしていた。
4. クレイディックとアラヤはアラヤがその期間中に受けた各インタビューの詳細について話をしていた。
5. アラヤは過去の自分の性的な秘め事をクレイディックにあからさまに詳細に話したにもかかわらず、アラヤはこの期間中、自分とサティヤ・サイ・ババの間でいかなる不品行、悪事、性的行為が行われたかを語ること、示唆することもなかった。クレイディックは、アラヤはサティヤ・サイ・ババとの肯定的、熱狂的、奇跡的な体験のみを語ったと証言した。
起訴の取り下げ
クレイディック氏のビデオ供述は2006年3月16日に公的に撮影され、タイプされた供述書は2006年4月7日に署名された。アラヤ・ラームはクレイディック氏の供述が行われた直後に訴訟を取り下げた。
アメリカの裁判書におけるクレイディックによる供述の全文
http://www.saibabaofindia.com/kreydick.htm