「五、ナポレオンと四人の少年」の章で主人公のコペル君は、友達の水谷君のうちに遊びにいきます。その家の置かれている場所について、
 

品川の海を見晴らす高輪の」
「ひろびろと品川湾が見下ろせる」
「遠く品川の海が」
「目の下に品川の海を」
「三人は、急にうちが恋しいような気持ちになって、品川駅の方へ」


 などと、クドクドしくお話の中で地名をくりかえし書いています。お話の書き方としては実に下手くそなやり方だと言わねばならないわけですが、吉野源三郎はもちろん意図的にそれをやっているわけです。

 これが当時の地図になります。今では面影がありませんが、品川駅のすぐそばまで海岸線がせまっています。線路は一部海の上につくられたほどだそうです。

 

 

竹田宮邸、北白川宮邸、毛利邸などが立ち並んでいることがわかります。
そして、吉野が指し示したかったのは、上の地図の中央からやや下の「岩崎邸」です。
岩崎弥太郎邸、すなわち三菱財閥創業者の邸宅です。
水谷くんのお父さんには「実業界で一方の勢力を代表するほどの人」という表現が与えられています。 「一方の勢力」に対する「他方の勢力」は三井と住友だと考えられます。
吉野はさりげなく「一方の勢力」と言葉を与えることで、理解の手引きをちゃんと与えているのです。
 

 

そしてこれが、「水谷君のうちの大きな洋館」こと、岩崎弥太郎邸。 「水谷くんのうちの大きな洋館」と書き、あるいは「(やしき)」と書き「屋敷(やしき)」としない所にも吉野の意図がうかがえます。言論が自由に語れない中で、吉野はなんとか自分の真意を伝えようと工夫しているのです。
 

「邸のまわりに鉄柵をめぐらし、スレートで葺いた高い屋根の上に風見がついています。はっきりと明治の名残りの感じられる、その古風な洋館は、たくさんの庭木にかこまれて、いつ行ってもひっそりとしています」


 なぜ水谷くんの家のモデルに三菱財閥創業者の家を選んだかといえば、それにもはっきりした理由があったようです。水谷くんのお姉さん「かつ子」さんは、軍国主義精神を擬人化したようなキャラクターです。そのように描くことによって閥族と軍族の癒着状態を指摘していたのだとおもわれます。すなわち閥族打破憲政擁護を掲げた大正デモクラシーの敗北のはての地として、水谷君の家を描いていたのではないでしょうか。


226事件と三菱総裁・「五、ナポレオンと四人の少年」と「六、雪の日の出来事」に関連して
↑こちらの記事も参考にしていただけたらと思います。
 

 池上彰は、マガジンハウスの新装版「君たちはどう生きるか」の前書きで「君たちはどう生きるか」は「楽しく読んでいるうちに自然に考える仕掛けが満載だ」と書いています。

 

 彼は全部こういった「仕掛け」はちゃんとわかってるんです。でも、メディアでそれを言わないんです。それを言ってしまったら読者が自分の力で考ようとする機会を奪うことになりますし、言わないでいることが吉野源三郎のやり方を守り、尊重する方法なのだと知っているからです。