『究極の鍛錬』という本を読んで貴重な学びが得られました。
人生、限られた時間内でやり遂げるためには、
まず自分がどこに行きたいかという
明確な意図を持っている必要があるということでした。
ゴールをはっきりさせることが先決でした。
次に、自分の中に新たな訓練目標を設定して、
自分のもつ能力を磨き上げ開発していくことになります。
自分はどういう力を身に付けたいかを決めることです。
ここで参考になるのが、
世界クラスの達人たちというのは、
自己の能力を向上させるための
動機づけする力をもっていたということです。
この先、何年にもわたり目標に向けて、
自分の人生を完全につぎ込むことになるからです。
情熱というものも、努力して
身につけていくものだということです。
必要となる膨大な努力を継続させるものは、
自分が本当に欲しいもの、
本当に信じているものを
念じ続ける力なのです。
その力はどこから来るのかといえば、
学ぶことそれ自身は必ず報われるという
信念から出て来るものであり、また
学びを実践し、努力して習得するにつれて
益々強まる自信から生まれるものです。
結局のところ、
めざすべきは『自己の拡大』なのでした。
作業をしているとき
「もう一度、新たに人生を始めるとしたら、
どんな人生を歩みたいだろうか?」
という問いが浮かんできました。
すると、同じ人生ではなく
違った人生を歩みたい
という思いが出てきました。
どうしてだろうかと思い返してみますと、
これまでずっと心から望んでいたものとは、
ほど遠い体験ばかりを選んでしまった
という後悔の念や、
それに甘んじて生きて来た日々の連続ばかりで、
こんなはずではなかった
という思いがあったからでした。
意識が否定的な方面にばかり向いていた、
これまでの自分の陥りがちな傾向が読み取れました。
今はっきり言えることは、
そういう自分をも認めることができ、
いい悪いという尺度では見なくなったことです。
むしろどんなことも学びと成長につながるものであり、
日々必要なことだけが起こっており、
そこからどれだけ有益な意味付けができて、
汲み取れるのかが問われていると思うのです。
抵抗したり無視することなく、
あらゆることに、
その存在理由を認められるような
大きな器になれたらと思うのです。
「もう一度、新たに人生を始めるとしたら、
どんな人生を歩みたいだろうか?」
という問いが浮かんできました。
すると、同じ人生ではなく
違った人生を歩みたい
という思いが出てきました。
どうしてだろうかと思い返してみますと、
これまでずっと心から望んでいたものとは、
ほど遠い体験ばかりを選んでしまった
という後悔の念や、
それに甘んじて生きて来た日々の連続ばかりで、
こんなはずではなかった
という思いがあったからでした。
意識が否定的な方面にばかり向いていた、
これまでの自分の陥りがちな傾向が読み取れました。
今はっきり言えることは、
そういう自分をも認めることができ、
いい悪いという尺度では見なくなったことです。
むしろどんなことも学びと成長につながるものであり、
日々必要なことだけが起こっており、
そこからどれだけ有益な意味付けができて、
汲み取れるのかが問われていると思うのです。
抵抗したり無視することなく、
あらゆることに、
その存在理由を認められるような
大きな器になれたらと思うのです。
自分のことを、
どれだけ信じているのか?
それによって自分が
どれほどの逆風に耐えられ、
突き進んでいけるのかが、
ほぼ決まると言われています。
私のこれまでを
振り返ってみると、
それほど自分に力が
あるとは思えず
自信をもてなかったころ、
困った問題に対して、
何とか手っ取り早い方法で
対処すること
しか頭にありませんでした。
しかし最近では、
自分の力に
確信がもてなくても、
信じるに値する自分だと
認めてからは、
時間と労力をかけてでも、
解決できるレベルまで
自分を引き上げることに、
賭けてみる
気になれたのです。
こうした
未知の自分との
「出合い」が
大きな励みになっています。
どれだけ信じているのか?
それによって自分が
どれほどの逆風に耐えられ、
突き進んでいけるのかが、
ほぼ決まると言われています。
私のこれまでを
振り返ってみると、
それほど自分に力が
あるとは思えず
自信をもてなかったころ、
困った問題に対して、
何とか手っ取り早い方法で
対処すること
しか頭にありませんでした。
しかし最近では、
自分の力に
確信がもてなくても、
信じるに値する自分だと
認めてからは、
時間と労力をかけてでも、
解決できるレベルまで
自分を引き上げることに、
賭けてみる
気になれたのです。
こうした
未知の自分との
「出合い」が
大きな励みになっています。