2022.11.4

=旧加古川市立図書館本館(旧:加古川町公会堂)=

竣工 1935年(昭和10年)

設計 兵庫県営繕課(置塩章)

施工 前川俵次

様式 アールデコ様式

=旧宝湯=

竣工 昭和初期

閉店 2017年(平成29年)11月9日

⑤本町倶楽部

=加古川日本毛織社宅郡=

竣工 明治時代末期-昭和初期

1899年(明治32年)に日本毛織加古川工場の操業に合わせて造成されました。加古川の向かいの印南工場にも社宅郡があったようですが、こちらはすべて解体されて、跡地はロックタウン加古川になっています。

=日本毛織加古川工場長社宅=

竣工 1912年(明治45年)

=ニッケ社宅倶楽部1号館(旧:日本毛織加古川工場事務所)=

竣工 1898年(明治31年)

設計 服部長七

もともとは加古川工場の事務所の建物だったものですが、後にこの場所に移築されました。

=ニッケ社宅倶楽部2号館=

竣工 1911年(明治44年)

工場創業当時は、日本人のみでは技術が未確立であったことから、お雇外国人を招いて稼働させました。そのお雇い外国人の住居として建てられたのがこの建物です。

=神田家住宅洋館=(登録有形文化財)

竣工 大正時代

=陣屋(山脇邸)=

竣工 1752年(宝暦2年)

アーケードから少し奥まった場所にあるため全容はわかりませんが、手前にはパネルがありました。

この建物は、姫路藩の加古川役所として1752年(宝暦2年)3月18日に建造され、参勤交代で加古川宿を通行、宿泊する大名に対する応接などに使われたそうです。1885年(明治18年)8月9日には、明治天皇が西国街道を巡幸の際に、ここで昼食をとり、この時に松の盆栽を陳列したことから「樹悳堂」という名が贈られました。

=旧日本毛織加古川工場倉庫=

竣工 1922年(大正11年)

現在はニッケパークタウンというショッピングセンターのある場所は、かつて日本毛織加古川工場の跡地で、1899年(明治32年)に創業を開始した、日本毛織の最初の工場があった場所です。

繊維事業の縮小に伴い、1976年(昭和51年)に加古川工場の閉鎖、印南工場への統合が決定したことから、加古川商工会議所を中心として、跡地の再活用が検討され、1984年(昭和59年)2月8日に工場跡地の東半分にダイエーを核テナントとした商業施設がオープンしました。しかし、1990年代に入ると周辺に数多くの商業施設が乱立したことから、集客力を失い始めたため、西半分も開発し、ホームセンターのダイキやニッケパークボウルが営業を開始しました。

営業開始時の核テナントであったダイエーは、経営再建のため、2002年(平成14年)12月末で閉店、2016年(平成28年)9月11日にはダイキも撤退しました。