2022.11.4 姫路市の近代建築もありますが、2日目は姫路市から移動して高砂市、加古川市に向かいました。

①まずは、高砂市の近代建築からです。

=梅ヶ枝湯=

竣工 1943年(昭和18年)

1943年(昭和18年)に開業した創業80年の現役の銭湯です。表はモルタル造りですが、裏側に回ると木造と赤レンガの煙突が見えてその古さをうかがうことができます。

=旧三星化学合資会社=

竣工 1930年(昭和5年)

=旧鐘淵化学高砂工場鐘華クラブ出汐館=

竣工 1936年(昭和11年)

⑬個人邸

=三菱製紙魚町倶楽部=

竣工 1904年(明治37年)

もともとは神戸製紙所高砂工場の中にアメリカ人技師M.J.シェイの居住施設として建築後、1905年(明治38年)に現在地へ移築され、三菱製紙の厚生施設となっています。

神戸製紙所は、1877年(明治10年)に神戸において日系アメリカ人のウォルシュ兄弟によって創設された製紙会社で、創設当初から岩崎家とのつながりがあり、1897年(明治30年)に兄弟の内のジョン・ウォルシュの死を機に、1898年(明治31年)に岩崎家が引継ぎました。1901年(明治34年)に高砂市に工場を移転し、1904年(明治37年)に社名を三菱製紙としました。

⑯庭の木の剪定をしている方たちが、外観だけなら撮ってもいいですよというので、お言葉に甘えました。

=工楽松右衛門旧宅=

竣工 江戸時代後期

工楽松右衛門旧宅|工楽松右衛門 公式サイト (matsuemon.net)

=三連蔵=

竣工 明治時代初期

この蔵は、お祝いの時に使う食器やお膳などを収納する納戸として使われていました。

=高砂商工会議所(旧:高砂銀行本店)=(登録有形文化財)

竣工 1932年(昭和7年)

様式 イオニア式オーダー

高砂銀行は、1896年(明治29年)4月に高砂貯蓄銀行として創立し、1936年(昭和11年)2月に提唱された一県一行主義に基づき、当時兵庫県内に本店を持っていた41行の内、資本金・預金量が大きく経営が安定していた神戸岡崎・五十六・西宮・灘商業・姫路・高砂・三十八の7行が新設合併して「神戸銀行」が発足しました。神戸銀行は後に太陽銀行と合併して太陽神戸銀行となり、更に、三井銀行と合併してさくら銀行となり、現在の三井住友銀行へとつながっています。

=松宗蔵=(登録有形文化財)

竣工 1823年(文政6年)

かつては海陸産物を納めた蔵でした。

=旧花井家住宅主屋=(登録有形文化財)

竣工 明治時代後期

=旧花井家住宅蔵=

竣工 1869年(明治2年)

花井家は、江戸時代から、加古川舟運と瀬戸内航路を結ぶ拠点港であった高砂で、肥料問屋を営んでいました。

=三菱製紙高砂工場=

竣工 1901年(明治34年)

㉝稲荷橋

=大崎家住宅主屋=(登録有形文化財)

竣工 明治時代後期

大崎家は加古川水運を利用した材木問屋を営んでいました。1992年(平成4年)以降は空き家となり、老朽化が進み倒壊の可能性もあったことから、解体も検討されていましたが、地元から景観維持の声が上がり、耐震工事が行われ古民家の再活用がなされています。

㉟デラコンチャ

=セイエイカン(旧:清栄館)=

竣工 大正時代末期

もともとは映画館として建てられた建物ですが、閉館後は繊維工場や写真スタジオとして使用されたのち、現在は焼酎バーとして使われているようです。

【高砂】収集酒Bar「セイエイカン」がリニューアル!昼はトルココーヒー「GEN」がオープン♪|兵庫県はりまエリア(姫路・加古川など)の地域情報サイト|TANOSU [タノス]

=申義堂=

竣工 江戸時代

申義堂は庶民の学問所として高砂北本町に創設されましたが、1871年(明治4年)7月の廃藩置県により申義堂は廃校となったことから建物は高砂市の岸本家に払い下げられました。その後、加古川市に移築されていたものを、高砂町横町に江戸時代の姿に復元しました。

=曽根駅=

竣工 1927年(昭和2年)

1888年(明治21年)12月23日に山陽鉄道の明石駅-姫路駅間の開通と同時に阿弥陀駅として開業しました。もともとの所在地である印南郡阿弥陀村だったことから阿弥陀駅と名付けられましたが、1902年(明治35年)に曽根天満宮に由来する「曽根駅」と改称しました。