2021.5.2 新緑の楽寿園へ

①楽寿園はいくつか入口がありますが、三島駅から一番近いのは南口からすぐの駅前入園口です。ちなみに今回は正門から入りました。

=梅御殿=(登録有形文化財)

竣工 明治時代中期

かつては楽寿館と渡り廊下でつながっていたそうです。

=楽寿館(旧:小松宮三島別邸)=

竣工 1890年(明治23年)

現在の楽寿園のある場所はもともとは小浜山と呼ばれ、愛染院(三嶋大社別当)、浅間神社、広瀬神社の寺社域だった場所に、1890年(明治23年)も小松宮彰仁親王の別邸が造営されました。彰仁親王の死後、1911年(明治44年)に韓国王世子である李垠の別邸となり、昌徳宮と呼ばれました。1927年(昭和2年)に伊豆半島出身の資産家に売却されましたが、1952年(昭和27年)に三島市が敷地を買い取り、同年7月15日から三島市の公園として一般公開されました。

小松宮彰仁親王は、伏見宮邦家親王の第8王子で、1848年(弘化5年)に仁和寺御室を継ぎ、仁孝天皇の猶子となりますが、その後出家して、仁和寺門跡30世となりました。1867年(慶応2年)には勅命により還俗し、戊辰戦争の際には奥羽征討総督、1874年(明治7年)に勃発した佐賀の乱の際には征討総督、1877年(明治10年)の西南戦争時は旅団長として出征して乱の鎮圧にあたりました。

1882年(明治15年)に仁和寺の寺域の旧名小松郷にちなんで小松宮に改称しました。兄弟には第4王子の久邇宮朝彦親王、第9王子北白川宮能久親王がいます。小松宮彰仁親王に子供がいなかったため小松宮家は一代で断絶しましたが、1910年(明治43年)に北白川宮能久親王の第4王子であった北白川宮輝久王が臣籍降下し、小松輝久侯爵となり、小松宮家の祭祀を継承しました。

小松宮家の本邸は東京の駿河台にありました。

楽寿館見学のご案内|三島市立公園 楽寿園 (city.mishima.shizuoka.jp)

⑤楽寿館は1日に6回見学ツアーを実施していますが、この日は時間が合わずに見学はあきらめました。

⑦楽寿燈籠

⑧小浜池の対岸から楽寿館を望む。小浜池の湧き水は、富士山の東斜面に降った雨や雪が、三島溶岩流の間にしみこんで地下水となり、約10年をかけて小浜池に湧き出します。

⑨小浜池と言っていますが、冬季には渇水となり、下記に水位が上昇します。かつては三島湧水群を代表する水量を誇ったそうですが、1962年(昭和37年)頃から上流部での工業用水のくみ上げが原因で地下水位が下がり、湧水が枯渇してしまい、現在では雨季や大雨の後に水のある池が見れるようです。

推移については楽寿園でHPで日々公開しているようなので、こちらを確認していくのがよいでしょうね。

小浜池の水位|三島市立公園 楽寿園 (city.mishima.shizuoka.jp)

⑪広瀬神社

⑬三島市の近代建築はすべて見たと思いきや、前を通ったのに撮り逃したものがあったので、来年、小浜池に水がある時を見計らっていこうかな。秋に行ってもきれいな景色が望めそうな気がします。