2020.10.25 武家屋敷の通りを登米教育資料館方面に歩いていくと左手に見えてくる古い建物。

=水沢県庁記念館(旧:水沢県庁舎)=

竣工 1872年(明治5年)

戊辰戦争(1868年-1869年)で政府軍に敗れた仙台藩は領地を没収され62万石から28万石に減封されました。1869年(明治2年)の版籍奉還により仙台藩は分割され、藩から返還された地域は「県」と呼ばれるようになりました。更に1871年(明治4年)に廃藩置県が布告、1876年(明治9年)に現在の宮城県の県域が成立するまで何度も県の整理統合が行われ、県域が変更されました。

その中で、1869年(明治2年)に現在の宮城県の北部と岩手県の南部を管轄する「登米県」が設置され、登米県庁舎が本町に設置されることとなり、1872年(明治5年)に庁舎が竣工しますが、前年の明治4年に登米県は仙台県に編入されたことで廃止されました。ただし、登米郡などの一部の地域は一関県に編入(一関県は後に水沢県と改称)され、完成していた庁舎を水沢県庁舎として、1875年(明治8年)まで使用しました。県庁としての役割を終えた後は学校や裁判所、公民館、図書館として利用されていました。

⑤裁判所

⑧裁判事務所