本当に早いものですね。今日であの地震からもう2年がたちました。不思議なものですよね。あんな衝撃的な映像をこの目で見てきたにもかかわらず、記憶はどんどん薄れていきます。そもそも、もう2年ではなくまだ2年なんですよね。私の社会人の門出があの地震だったわけですから、まだ2年なんですが、記憶の中ではもう2年。
 
私はあの時宮城にはいませんでした。地震があったのは知っていましたし、どこで起きたかも知っていました。ただ、惨状を目の当たりにしたのは地震から4時間以上たって家についてテレビをつけてからでした。闇の中を燃え盛る炎、あらゆるものを破壊した津波の様子。頭の中が真っ白になりました。家族や友人と連絡が取れず、何かしたくても何にもできないもどかしさ。ぶつけようのない怒り。生まれて初めての地獄を見せられました。
実家に帰る際には、必ず被災地を訪れるようにしてきましたが、津波は私の記憶すらさらって行ってしまい、高校時代を過ごした石巻の風景すら思い出すことが困難なまでに変わってしまいました。ただ悲しみばかりではなく、復興の掛け声のもと、未来へ向かっている姿を見ると自分のことのようにうれしくなりました。
 
さて、先ほどの報道ステーションで宮城の大谷海岸に行っていましたが、あそこに10メートル弱の防壁の建設が検討されているようです。下の写真は年末年始で実家に帰った際に、南三陸や気仙沼の途中で寄った大谷海岸の写真です。海岸の目の前に駅があり、松原が広がったこの海岸に緑はなくなってしまい、代わりに海を覆い隠すようにこの黒い壁が続いています。津波の被害にあったところでは津波に対するかなりの高さの壁を造る準備をしているようですが、それでいいのかなぁと個人的に思います。いや、被災地の人々がそれを望むのであれば私のような関係ない人間があれこれ言う立場にはないと思いますが、ギネスにのったような堤防もあっけなく崩れ落ちたのを見ると、それに何千億もかけることに意味があるのかと思ってしまいます。復興という名の下の「とりあえず造っておこう」的なものが見え隠れしないでもありません。
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予算は潤沢になるのかもしれませんが、それなら津波によって家を失った人に家と土地を提供したほうがいいのではなんて思うんです。あの津波で自然の力は人間の想定をはるかに超えているということがわかったと思うのですが、まだそれに対して文明の力で対抗しようなんてどうなんでしょう。造るなとは言いません。それは必要とされているはずですから。ただ、そんなに高くする必要があるのでしょうか。それで人も家も守れればいいですが、どうでしょう。それよりも、役には立たな会も知れませんが、昔のような緑の壁の再建と地震の後はどうすればいいかということを徹底することのほうが、内面の強化とでもいいましょうか。がはるかに効果的というか、少なくとも人の命は守ることができると思うんですけどね。自然を恐れてそれを切り離したところで、それは何の解決にもならないと思うんですが。。。
気分を害される方がいたら申し訳ありません。所詮、何もわからない人間のたわごとにすぎないのかもしれませんが、それでも、多くのものを奪い去った海はこんなにきれいだということを示してほしいなって。無機質な壁でそれを遮ってほしくはないと思うんです。
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大川小学校は今年度で閉校になるそうです。過疎の地で廃校ということはよく耳にしますが、こんな結果で母校がなくなるのかと思うとさみしいですよね。私の母校ではありませんが、津波が来なければ閉校にはならなかったんでしょうからね。。。心の支柱を失うようなものじゃないですか。。。
 
あぁ、こんな時間か。明日も早いのでこの辺で。これからもできる限り被災地の足跡を追っていきたいと思います。