清澄ゆりの里 (その1・清澄寺編) | Mrs.風来坊の足あと手帖

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よろしくお願いします。

まとめるのに時間がかかってしまい更新大変遅くなってしまいました。
6月10日(土)に行って来ました『清澄ゆりの里』の様子です。

清澄ゆりの里の場所は、千葉県鴨川市清澄山にある日蓮宗の清澄寺の中に入り、少し進んだ奥にある日本山妙法寺が建立した仏者利塔周辺に植えられてます。清澄寺を目指して行かれると分かりやすいと思います。

《マップ》

星清澄寺について
清澄寺は日蓮宗の大本山で、山号は千光山、総本山でもある久遠寺を筆頭に大本山の池上本門寺、誕生寺と共に日蓮宗四霊場と呼ばれてます。
御本尊は十界曼荼羅、創建は771年(宝亀2年、開山は不思議法師。

(以後公式サイトより)
星清澄寺の歴史
およそ1200年前『不思議法師』と名付けられた僧侶が千光を発する柏の木で『虚空蔵菩薩』の仏像を掘り、その仏像の前で21日間修行をしたことに始まります。

承和3年(836年)天台宗比叡山延暦寺の中興の祖慈覚大師円仁師がこの地を訪れその仏像の前で21日間の修行をし、それ以来天台宗のお寺となり栄えます。

それから室町~江戸期には度重なる火災と戦により衰退を繰り返しますが、大正期に入り日蓮聖人の銅像が完成したことでお参りの信者が増え、真言宗知山派と日蓮宗との間で改宗の話し合いがもたれ、ついに昭和24年日蓮宗に改宗、宗門直轄の大本山として現在に至ります。

星日蓮聖人誕生から開山まで
日蓮聖人は1222年(貞応元年)2月16日、安房の国東条郷(現在の千葉県鴨川市小湊)で生まれ『善日麿』と命名され、1233年(天福元年)日蓮聖人12歳の時に生家近くの清澄寺にのぼり道善房に師事し『薬王丸』と改名する。
その後十有数年にわたる遊学を終えて恩師道善房の住する清澄寺に戻り、1253年(建長5年)4月28日早朝、清澄山の旭森山頂に立ち上る朝日に向かってお題目を唱えついに立教開宗の宣言をし、伝導の誓願を立てました。


清澄寺山門

金剛力士像 阿像(那羅延金剛)

金剛力士像 吽像(密迹金剛)

モリアオガエルの池 
モリアオガエルの鳴き声の大合唱を聞くことが出来ます。蛙の姿が見たいと目を凝らして探してみましたが、見つけることは出来ませんでした。

カエルモリアオガエル
両生類網無尾目アオガエル科アオガエル属に分類。普段は森林に生息し繁殖期になると水面上にせり出した木の枝などに粘液を泡立てて作る泡で包まれた卵塊を産み付けます。
清澄寺では4~7月ぐらいに境内の堀や池で見ることができるそうです。


水の中を覗いてみると沢山のオタマジャクシが……。

正面の建物が大堂、右手にあるのが鐘楼堂、左側には祖師堂があります。

正面が大堂、左手が祖師堂
大堂は摩尼殿(まにでん)と称され、天和2年(1682年)完成のものだそうです。御本尊は曼荼羅ご本尊、その前に天瑞和尚作の虚空蔵菩薩像が安置されてます。この像は能満虚空菩薩と言い、日蓮聖人が願をかけた不思議法師作の虚空蔵菩薩像を胎内に安置すると伝えられているそうです。 
祖師堂は昭和48年落慶。正面には日蓮聖人像が安置されてますが、その像は徳川家康側室であり水戸徳川家と紀州徳川家の家祖の生母でもあるお万の方の奉納と伝えられているそうです。
(清澄寺オフィシャルサイトより)


中門
天正4年(1647年)建立。2回ほど改修されてるとの事ですが、昔の姿を残しているとのことです。昭和39年千葉県指定有形文化財に指定。

清澄の大クス
清澄寺と言えば千年杉が有名ですが、こちらの大楠も素晴らしかったです。
樹高15m、樹齢は不明ですが鴨川市指定の天然記念物です。


清澄寺石造宝篋印塔(せいちょうじせきぞうほうきょういんとう)
千葉県指定有形文化財。

梵鐘(明徳3年在銘)
千葉県指定有形文化財

清澄の大杉(千年杉)
千年杉と呼ばれてますが樹齢は不明。一千年を越える清澄寺の歴史を物語る霊木とされてます。
高さは約47m、根廻の太さ約17.5m、目通りの太さ約15m。大正13年12月9日国の天然記念物に指定されました。


清澄寺から少し進んだ所に仏者利塔があります。その周辺に見事なゆりが植えられてます。

その様子はその2で……。もう暫くお待ち下さい。
(続く)