安房国札三十四観音霊場巡り【27番 住吉寺】前編 | Mrs.風来坊の足あと手帖

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本日は安房国札三十四観音霊場巡りに行って参りました。

◎住吉寺(すみよしじ)について
(山号)中嶌山
(宗派)真言宗 智山派
(本尊)阿弥陀如来/正観世音菩薩
(由緒)1353年(文和2年)にあったと言われる古刹で、元は千倉町南朝夷の寸場にあったと伝わるそうです。
その昔は、岩上の御堂周辺は海で、船で参拝したと言われており、船が係留されたと言われる船繋石が残っています。
お寺の裏手に流れる川尻川までが海岸線だったそうで、元禄の大地震によって土地が隆起して陸続きになったそうです。
今の海岸線からは少し離れた場所にあり、辺りは田畑に囲まれていてポツポツ家もあり、岩山の上の観音堂までは急な階段を上ります。
まさかこの近辺が元禄の大地震以前は海だったなんて!想像できない気持ちです。
なんとも不思議な面白さを感じました。
昔にタイムスリップして、船に乗ってお参りしてみたい気持ちになりました。(笑)

頂いた御朱印


この祠は水の神様でしょうか……。その隣に今は使われなくなった古い井戸の跡がありました。
その横に手押しポンプがありました。
まだ使われているのでしょうか……。




第一の門?!
素朴で味わいがあります。


お寺さんの前にありました。古そうです。
ちゃんとお水とお供えがされていて、綺麗に大切にされている雰囲気が伝わってきました。




六地蔵


よくよく見ると古いものです。


この観音菩薩の石仏ですが、よく見ると『宝永五年』と書かれてます。
宝永は元禄の後で1704~1710年まで。中御門天皇、徳川家綱、家宣の時代ですね。
宝永の時代は、1707年に南海トラフ大地震の一つでもある宝永大地震が起き、その49日後には富士山の噴火、阿蘇山、岩木山、三宅島、浅間山の噴火もありました。
そんな時代のもと思うと、何だか感傷的な不思議な気持ちになります。
沢山の人々が平和の祈りを捧げたのでしょうね。


住吉寺の彫工が見事なようです。


お寺の入り口。正面が本堂。左手が岩山で手すりのついたちょっと傾斜の急な階段があります。その上に観音堂があります。


階段右側に子育て地蔵。1809年(文化6年11月建立)、周辺には句碑が幾つか立てられてます。
このお寺に隣接する住吉神社からお寺の名前が由来するそうで、住吉神社は大阪の住吉大社と縁があり、住吉大社は歌の神社と言われ、その事から境内に句碑が幾つか立てられているとのことです。


新しい六地蔵の後ろに古い六地蔵が並んでます。


こちらが本堂。住職さんご不在でした。


後編に続く

※参考資料
・安房国札三十四観音霊場巡りガイド
・たてやまフィールドミュージアム