お久しぶりです。
スマホ故障に続いて家のADSLモデムが壊れWi-Fiが使えなくなったりを機にサボリ癖がついて、すっかり更新を怠慢してしまいました。申し訳ございません。
在庫がかなり貯まってます。(汗)
コツコツ、チマチマ、更新頑張ります。
尚、更新日は行った日に統一してますので、ブログを更新した日とは異なってます。
上総国薬師霊場巡り24番「最明寺」です。
お寺の門柱ですが、日露・日独戦争に出生した方達が御宿小学校の門柱として寄贈した物だそうです。
大正三年、御宿小学校の新校舎落成を機に、ゆかりの地であるこのお寺さんへ移動されたそうです。
とても綺麗で大切にされているのが伝わってきます。
御本堂
老朽化のため平成2年に新しく建立されました。
ご本尊は阿弥陀如来で脇侍に観音菩薩、勢至菩薩。
向拝柱の獅子頭・象鼻は、寛政10年頃建立の旧本堂の物で、波の伊八作です。
波の伊八作の彫刻の案内板
伊八作の彫刻
薬師堂
とても小さな薬師堂の中に、ご本尊である薬師如来、脇侍の日光菩薩、月光菩薩、十二神将が祀られてます。
江戸時代建立のものだそうで、とても素晴らしいです。
墓苑の来迎観音像
京都大原三千院の往生極楽院に祀られている来迎観音像を模したものだそうです。
頂いた御朱印
散華
お寺のアイドルお掃除小僧
とっても可愛らしいです。
【最明寺の由緒について】
山号は岩井山、ご本尊は阿弥陀如来。
弘仁13年(822年)に開基されたと伝えられ、鎌倉時代5代執権 北条時頼公が諸国巡歴の折、このお寺に宿をとったとされているそうです。
北条時頼は出家し、最明寺殿と称されていたので、その時にお寺の名称も「西明寺」から「最明寺」と改めたとされてます。
尚、時頼公は、この時にお寺裏手の山頂に登り、「御宿せし そのときよりと ひととはば 綱代の海に 夕影の松」と歌を詠み、この句にある「御宿」が、ここの地名「御宿」の由来だそうです。
裏手の山には三峰神社(明治9年に結社)、観音堂(健保5年(1272年)開基)、大日洞等もあります。
※観音堂のご本尊は、慈覚大師作の聖観音菩薩像があり、上総三十三観音霊場の7番寺です。
※大日洞は、鎌倉時代の武士の納骨、供養所の遺跡だそうです。
その当時は「やぐら」と呼ばれていたそうです。
この日は小雨も降っていて足元も良くなかったので行きませんでしたが、今度是非寄ってみようと思いました。
面白そうな場所満載です。