私たちが暮らす現実社会には三種類の人が居るといわれる。
いろんな表現があるので詳細は割愛。ここでは私自身の言葉で述べてみたい。
(1)居て欲しい人は・・・ それが誰であれ困っているとほっとけない。世話役。全体を俯瞰する。
(2)居ても居なくもどっちでもいい人は・・・ いわゆる傍観者。面倒なことに関わらない。
(3)居てもらっちゃ困る人は・・・ 利己主義。独善。公私混同。猜疑心が強い。売り言葉に買い言葉(短絡) 話が誇大化する。 ↑(こういうのはダチョウ倶楽部のギャグだけでいいってばw) 鬱陶しい粘着質。ストーカー気質(歪んだ好意。おまえはおれのものだ~) (これが正常な思考ならば、敵でも味方でもないひとが大多数を占めていて、敵も味方も一部とわかるのに「味方しないのは敵だ」となる。異常たる所以。)
〈自分〉と〈みんな〉の適切な距離が大事だということ。 自分(個)と他者(個)の距離をどう保てばいいかだよ。
(A)損得を抜きに「みんな」の為に自分をどう役立てるか。 (B)自分の利益の為に「みんな」をどう利用するか。
くれぐれも、メッシー君、アッシー君、貢ぐ君に陥らないように。
そこで提案だよ。 例えは、あなたが、いままで(B)であるとか、あるいは(A)(B)どっちつかずであるなら、いまからでもいいから努めて意識して(A)を志向してみるの。 荒らしたり威張り散らしても心は晴れないこと他ならぬ、あなた自身が感じてるはず。無理して憂さ晴らしても疲れるだけだと思うよ。 (A)に馴染んでいけば荒らさずとも、ふつうに楽しめるようになるんじゃないのかな。そうなるまでには人によって半年、一年、二年と移行時間はかかるかもだけど。
わたし自身に貫かれていること。人生の先輩の檄・訓示
わたしの場合は祖父祖母からの伝承、先祖代々の考え方として 損して徳とれ と表記するんだけど、これは誤記・誤変換ではなく、本来の意味としては人徳の「徳」であるということから、この字をあてるようにしているんよ。 たとえば無償の奉仕によって一見すると金銭または時間など損してるようにみえても、もっと大きな人徳を積めてる(だから腐るな)と理解する。
公衆トイレの掃除奉仕なんていうのも無心になってやると心が洗われる。 袖を捲っていい汗かけば清々しい気持ちになる。こういうことを誰もみてないところでやってごらん。凄いことになるよ。あなた自身でわかる。 |