私たちが暮らす現実社会には三種類の人が居るといわれる。
いろんな表現があるので詳細は割愛。ここでは私自身の言葉で述べてみたい。

 

(1)居て欲しい人は・・・

  それが誰であれ困っているとほっとけない。世話役。全体を俯瞰する。
  代価・見返りを求めず平素から「損して徳とれ」「三方一両損」の発想ができる。
  誰もみてないところでも善意の努力を積み「縁の下の力持ち」に徹するひと。
  海面上の氷山よりも大部分を占める水面下を視る。

 

(2)居ても居なくもどっちでもいい人は・・・

  いわゆる傍観者。面倒なことに関わらない。
  友が困っていればほっとけない。友でなければ冷淡になる。
  悪人ではないから、ことを荒らさないものの皆の役にも立たない。
  熱し易く冷めやすい。途中で投げ出す。継続を苦手とする。
  折角の豊富な知識も人脈も役立たない。
  保身優先。逃げ口上、手堅い言い訳を用意できる。

 

(3)居てもらっちゃ困る人は・・・

  利己主義。独善。公私混同。猜疑心が強い。売り言葉に買い言葉(短絡)
  いつまで経っても出たとこ勝負の〈へぼ将棋〉から抜けられない。
  ホラ吹きドンドン。すぐバレるウソデマが得意。バレても居直る。

  話が誇大化する。
 (例)おれの従兄は広島の公安の官僚だ→徳島の公安だ、有澤とこむりんいいつけてやるからな。てめーら、おぼえてろ→警察にいうてやる

  ↑(こういうのはダチョウ倶楽部のギャグだけでいいってばw)
  人の不幸は蜜の味。かっぱえびせん。←井戸端会議に一人居ると疲れるね^^;
  何事も面倒くさがる。日常的に下衆の勘繰りに陥る。 

  鬱陶しい粘着質。ストーカー気質(歪んだ好意。おまえはおれのものだ~)
  迷惑に鈍感。憂さを晴らすことを最優先とする。
  (自分の憂さを晴らせれば他人が迷惑してもかまわない)

  誰もみてない善行は無意味と考えてる。StandPlayしかできない。
  主張に「理」が欠けてるからハチャメチャな言い草になる。
  味方以外は全部敵www

 (これが正常な思考ならば、敵でも味方でもないひとが大多数を占めていて、敵も味方も一部とわかるのに「味方しないのは敵だ」となる。異常たる所以。)

 

 

 

 〈自分〉と〈みんな〉の適切な距離が大事だということ。

 自分(個)と他者(個)の距離をどう保てばいいかだよ。
 ※ この距離感が壊れると、いわゆるストーカーに陥ることがある。自分は好意のつもりでも縛ると嫌がられるんだよ。
 〈みんな〉との距離を適切に保てる人と、保てない人の違い。これは大きいよね。
これで雲泥の差が出るといっても言い過ぎではない。


考え方の大きな違いとして肝心なのはここ。

(A)損得を抜きに「みんな」の為に自分をどう役立てるか。

(B)自分の利益の為に「みんな」をどう利用するか。
この違いは誰の目にも一目瞭然ではないかな。


〈みんな〉は自然に(A)に集まる。道理として求心力が働く。
〈みんな〉は(B)とは関わりたがらないもの。道理として遠心力が働く。


 不心得者は(A)を羨み嫉妬する。そこで陥れたくもなる。
たとえ讒言によって(A)を陥れようとしても「策士、策に溺れる」結果に帰結する。
いわゆるブラック魔王ですね( *´艸`)
Bの傾向の強いひとは〈みんな〉の眼からは損得勘定や打算が透けて見える。

くれぐれも、メッシー君、アッシー君、貢ぐ君に陥らないように。

 

 そこで提案だよ。

 例えは、あなたが、いままで(B)であるとか、あるいは(A)(B)どっちつかずであるなら、いまからでもいいから努めて意識して(A)を志向してみるの。

 荒らしたり威張り散らしても心は晴れないこと他ならぬ、あなた自身が感じてるはず。無理して憂さ晴らしても疲れるだけだと思うよ。

 (A)に馴染んでいけば荒らさずとも、ふつうに楽しめるようになるんじゃないのかな。そうなるまでには人によって半年、一年、二年と移行時間はかかるかもだけど。

 

 

 

 わたし自身に貫かれていること。人生の先輩の檄・訓示
「他人の役に立て。社会正義の人たれ。傍観者になるな」を堅く守る。
それは時として痩我慢を伴うこともあるけれど。


 ことわざに「損して得取れ」とある。
 目先のことに縛られてないで、その先にあるものを見通してごらん。

 わたしの場合は祖父祖母からの伝承、先祖代々の考え方として 損して徳とれ と表記するんだけど、これは誤記・誤変換ではなく、本来の意味としては人徳の「徳」であるということから、この字をあてるようにしているんよ。

 たとえば無償の奉仕によって一見すると金銭または時間など損してるようにみえても、もっと大きな人徳を積めてる(だから腐るな)と理解する。

 

 公衆トイレの掃除奉仕なんていうのも無心になってやると心が洗われる。

 袖を捲っていい汗かけば清々しい気持ちになる。こういうことを誰もみてないところでやってごらん。凄いことになるよ。あなた自身でわかる。