音楽は言葉を介さなくても、人と人とのコミュニケーションを図ることが出来る、本来素晴らしいものだ。このように人間にとって良いものであるはずの音楽が消極的な結果を招くとは、何とも皮肉な話である。


 事故にこそならなかったが、私自身も次のような体験をしたことがある。電車に乗っているときに、ウォークマンで音楽を聴いていた。イヤホンをつけていたので、周りの音が聞こえず、ある女性に話しかけられていたのに、なかなか気付かなかった。私はちゃんと聞こえる耳を持っているのに、私の対応は耳が聞こえないも同然であった。


 本来音楽は、人と人との心を近づけるものである。一つの音楽をみなで共有し、共感し合う。音楽の楽しみはそこにあるはずだ。しかし、イヤホンで音楽を聴くという行動は、音楽を皆で共有できないどころか、外界と自分、そして他者と自分をも遮断してしまうことになる。他者とのコミュニケーションを助長するはずの音楽が、かえってそれを遮ってしまうということは、ウォークマンは本来の音楽のあり方ではないということだ。


 最近、音楽はあまりに身近になっていないだろうか。私達はウォークマンや携帯電話などで、いつでもどこでも自分の気に入った音楽を聴くことができる。その結果、音楽が自分のためだけのものになり、音楽を他者と共有し合うことがなくなってしまった。広いコンサートホールで、見知らぬもの同士が一つの音楽と向き合い、感動を共有する。これが本来あるべき音楽ではなかったのだろうか。 手軽さは、ある意味で人間関係を遮断し、利己主義を生む。あらためて、私達は音楽を聴くべき「場」というものを自覚しなくてはならないと思う。

 義務教育の範囲以内で、音楽は均等に、統一的な教育がなされるべきだと思う。確かに音楽は芸術であり、自由な精神の所産である。だが、人間の教養でもある。勉強というと、何故か鉛筆を持って紙の上で学ぶ、というイメージがあるが、音楽ももちろん学ぶものである。音楽を学ぶことも、勉強と同じように、教養であり、人を豊かにするものなのだ。

 同じ教養であるのに、なぜ音楽はこうも勉強から切り離されて考えられるのだろうか。そもそも勉強とは、様々な経験を積んで学ぶことである。学んだことは、人の教養となって、よりそのものを魅力のあるものにする。義務教育の中で、子供達の勉強への姿勢はあまりにも受身なものになっている。勉強できる環境が当たり前にあり、知ることに飢えていないのだ。私もそうであった。だが、そもそも、学ぶことは楽しいはずだ。知らないことを知りたいと思うことは、人の自然な欲望のはずだ。しかし、楽しいはずの勉強は悪役となってしまっている。音楽と勉強が切り離されて考えられるのは、ここに原因があるように思う。


  冒頭で、音楽も統一的な教育がなされるべきだと述べたのは、勉強と同じ位置づけにしたいから である。だが、その結果、勉強のように、音楽ができる環境が当たり前になり、音を楽しむことが出来なくなることは避けたいものだ。魅力的な人間になるために、自分自身に教養をつける。そのために、学び、音楽をする。当たり前のプロセスが崩れてしまっている。今、義務教育には、何を教えるかではなくて、どんな経験をさせるかが、大切であるように思う。素直に学びたいという心を育てることが、本来の小中学校の役目ではないだろうか。音楽も含め、色んな経験を通して、子供達が自発的に学びたいと思えるようになることが、教育の第一の課題であるように思う。だから、音楽をすることを強制するのではなく、音楽をしたいと自発的に思える機会を子供達に与えて欲しい。

 現代、音楽を聴覚と視覚を使って楽しむことが社会一般に広く浸透している。昨年ポータブルAVであるi-podにもとうとう動画機能が付けられた。今や音楽と映像は切っても切り離せない関係と言っても過言では無いだろう。依存し合っているようにでさえ思える。それが邪道だとは思わない。だが私はあまり、視覚を使う音楽は好きでない。自分の想像できるイメージが一定のものになってしまうからだ。  


 音楽を視覚的に楽しむものとして、一番に思い当たるものは、プロモーションビデオである。歌手が歌い、踊ったりする様子が映し出されていたり、曲のイメージとして何か一つのドラマが演じられているものもある。私達はそこで、音だけでは伝わらなかった演奏家の意図を見る。しかし裏を返せば、彼らが音だけで伝えきれなかったものがある、ということである。だがそれは悪いことではない。伝えきれなかった部分に、私達は自分の想像や経験を重ねて楽しめるのだ。それこそが、音楽の醍醐味だ。プロモーションビデオは本の実写化に似ている。活字だけでの本では、読んだものそれぞれの主人公像が出来るが、映画では、主人公像はキャストそのものである。そしてそのギャップに苦しむことがある。自分のイメージにそぐわないキャストが演じていると、何故か本そのものにも愛着が沸かなくなる。こんなイメージだったのか、とショックを覚えるのだ。プロモーションビデオも同じである。音だけを聞いて、人は様々なイメージを抱くだろう。だが映像を共にすると、イメージはとても限られたものになる。音楽を聴いて、イメージするものが自分の経験や想像したドラマではなくて、作り出された1つの映像になってしまう。それは音楽の良い部分をとても損ねている感じがする。


 音楽は多彩なイメージを生み出すが、映像が生み出すイメージはただ一つだ。それを共にすると、良いものであるはず映像が、音楽の邪魔者にでさえ思える。


こっちは音楽学専門のものを置いていこうと思いますさくらんぼ

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