音楽は言葉を介さなくても、人と人とのコミュニケーションを図ることが出来る、本来素晴らしいものだ。このように人間にとって良いものであるはずの音楽が消極的な結果を招くとは、何とも皮肉な話である。
事故にこそならなかったが、私自身も次のような体験をしたことがある。電車に乗っているときに、ウォークマンで音楽を聴いていた。イヤホンをつけていたので、周りの音が聞こえず、ある女性に話しかけられていたのに、なかなか気付かなかった。私はちゃんと聞こえる耳を持っているのに、私の対応は耳が聞こえないも同然であった。
本来音楽は、人と人との心を近づけるものである。一つの音楽をみなで共有し、共感し合う。音楽の楽しみはそこにあるはずだ。しかし、イヤホンで音楽を聴くという行動は、音楽を皆で共有できないどころか、外界と自分、そして他者と自分をも遮断してしまうことになる。他者とのコミュニケーションを助長するはずの音楽が、かえってそれを遮ってしまうということは、ウォークマンは本来の音楽のあり方ではないということだ。
最近、音楽はあまりに身近になっていないだろうか。私達はウォークマンや携帯電話などで、いつでもどこでも自分の気に入った音楽を聴くことができる。その結果、音楽が自分のためだけのものになり、音楽を他者と共有し合うことがなくなってしまった。広いコンサートホールで、見知らぬもの同士が一つの音楽と向き合い、感動を共有する。これが本来あるべき音楽ではなかったのだろうか。 手軽さは、ある意味で人間関係を遮断し、利己主義を生む。あらためて、私達は音楽を聴くべき「場」というものを自覚しなくてはならないと思う。