前々回前回に引きつづいて、今回もソフトクリーム編、part③です。


記憶を辿って確認するかぎり、わたしの初恋は【天才てれび君】に出演していた美形の男の子です。(もしかするとウエンツ氏?)

そしてその初恋には、最初の失恋までもが、しっかり引っ付いていました。その子の とある振る舞いに絶望して、すぐさまテレビを消して、しばらく呆然としていたら、母に心配されたことを鮮明に覚えています。


そんな初心な初恋を皮切りに、その後も好意を抱く相手の基準ときたら、とにかく顔重視(雰囲気も込み)で、紛れもなくわたしは面食いでした。

反面、そんな基準で心を寄せる人を選ぶだなんて、人として底が浅いと思い込んでいたので、その本性を隠したいがために「やっぱり内面だよね」なんて口にして、自分なりのヒロインアピールもしていました。(その偽装工作こそが、底が浅い証であろうに)


結局、人生のパートナーになった夫の容姿はというと、わたし好みからはかけ離れていますよ。(それは彼側とて同じです)

夫は大泉洋氏に少し似ているのですが、わたしはどうやら小栗旬タイプの容姿に惹かれるみたいで、一昨年の日曜20時台ときたら

「義時のが俄然好みなのに、どうしてわたしは頼朝と結婚したんだろう?」なんて、苦虫を噛み潰したような表情で、鎌倉のドラマを視聴していました。


先日のソフトクリーム屋勤務にて、一緒に仕事をした大学生の男の子が、指示は的確、業務は器用にこなし、周りとも上手くコミュニケーションを取って、歳上相手にも堂々と渡り合っていたんですよ。

彼の姿を眺めながら「やっぱり男は仕事が出来てナンボや」と、ひと回り以上歳下の男の子に、ほんのりとだけ ときめきを覚えたと同時に、価値観の変容にも気付かされました。その子の容姿が、わたしのかつての好みとは、まったくかけ離れていましたから。


「どれだけ容姿が好みな男性が目の前に降り立っても、仕事が出来なかったら、ときめきを抱けない気がする。大人になったということ?」

ある側面では わたしを悩ませていた価値観は、いつの間にやら影を潜めていました。分岐点はあったのかしら、それはいつだったのだろう。


【仕事ができる男性は素敵】。

ジャッジでもあるから、それを抱くことで、苦しみが生じたりもあるはずです。振り返れば夫が仕事が出来なくなった際にも、うんざりしかけましたし。でもジャッジする自由もあるし、好みは消せるものじゃないですしね。


さらに赤裸々に言えば、仕事が凄く出来たとしても、そのことを鼻に掛けたり、尋ねてもいないのに仕事論をつらつらと述べてこられた時は、白けていた記憶があるなぁ。

(【全員が仕事が出来る人な世界線】はあるはず、創ってゆけると信じていますが。各人が向いていることをする、などして。)


あと、誰かへときめいたとしても、恋愛へ発展させなくて良いのは既婚者の特権ですね。そこで終われる気楽さったらない。

「あの人カッコいいね〜」と軽々しく口に出すことも、どこか許されている気がする。

独身の頃は「素敵な人にいつ遭遇するか分からない」と無意識下で、常に出会いには備えるべきだという観念があったはずで、それは楽しくもありつつ、しんどさも備えていました。

少し親しくなった頃に、知人から「お付き合いしている人はいるの?」と、恋人の有無を尋ねられる やり取りも、ニガテだったなぁ。(いない時期の方が、圧倒的に長かったからかな。

それから開放されたんだ!って、結婚当初は感動すらしていました。


そんな、ときめきの棚卸しをしていた週末。

ソフトクリーム編、次がラストです。


うと ありさ 🍦🍦🍦


北欧デザインのプルーヌス柄の布巾、出番が無かったので、額縁に入れて飾ることにしました。

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