懐かしの わかったさんの新作 が、33年ぶりに発表とな!!

あらゆる絵本を読んでいた少女時代、中でも大好きなシリーズでした。


わかったさんシリーズ にはたくさんの思い出があって、たしかプリン編は、新潟の母方の実家に帰省した際に買ってもらったんです。

実家は山奥の集落の中に位置していて、買い物に行くには車を使って下山しなければならず、そこそこ品揃えのある本屋となると、隣町まで足を伸ばさなければ なりませんでした。


みんなで車に乗り込んで、その隣町の本屋まで出掛けて、子どもはそれぞれ好きな本を買ってもらったんです。

家に戻ってから読み始めたら、真ん中に差し掛かった辺りのページに、大きな引っ掻きキズがあるのを見付けてしまいました。

母やイトコから「明日、もう一度本屋さんに行って取り替えてもらおう」と言われて「手間取らせて悪いよ、わたしが気にしなきゃ済むことだし」って、いらぬ遠慮をしたことも覚えてます。(結局は再訪して取り替えてもらえて、内心ほっとした記憶があります)


ショートケーキ編は、サンタさんからの贈り物として、わたしの手元へとやって来たものでした。

「せっかくだし高いものを頼んだほうが得よな」なんて邪さ、(今とは違って)いっさい見当たりませんでした。単純にその本がいま一番欲しいものだったから、です。


そしてあの当時、10冊あるシリーズ全巻を、早く揃えたいとは少しも思っていなかったんですよね。“大人買い”という言葉もまだ知らなかった少女は、手元にある本をたいそう大切にして、同じ話を飽きもせず繰り返し読み込んでいました。どうしてあんなに豊かだったんだろう。

わかったさんに加えて、こまったさんシリーズも友達と持ち寄い合って、図書館ごっこをしたこともあったなぁ。


繰り返しこのブログで書いていますが、わたしの幼少期は反射の残存による困りごとが凄まじく、常に情緒は不安定、あらゆるものが怖くて仕方がない、世界は灰色のように見えて映っていました。


そんな世界で生きていた頃にも、わたしを楽しませてくれたり、ひと時でも生き辛さを忘れさせてくれる存在があったんだと、こうした懐かしさが込み上げる度に実感するのです。

(両親との間に確執はあったものの、ちゃんと子ども時代を送らせてもらっていたんだな、とも思う。お金のムダ遣いを毛嫌いするタイプだったけど、本の購入には好意的だったし)


そういった存在は、人生を劇的に変容させるインパクトさは備えていなかったけど、存在の1つずつが寄せ集まって束になって、わたしの精神がいちばん底にまで堕ちないための、命綱の役割をしてくれたような気がします。その効力が失われる前にどうにか光を見出だせて、命の維持に間に合いました。

大げさなんかじゃ きっとない、わたしを生き長らえさせてくれて、ありがとう。


ヒゲ男爵のモビールを、この度リビングへお迎えしました。(わたしの撮影技量の点から映えてはいませんが、ほんっっと可愛いんですよ)アウトレット価格で、通常よりめちゃ安値でした。

風の時代が訪れても
かたちある可愛いものへの ときめきは、永遠なり!!