おはようございます。

 

梅雨の晴れ間ですね。気持ちがいいです。

 

ピクニックにでも行きたい陽気ですね。

 

 

ちょっと前に話題になったフィリピンのドゥテルテ大統領のこの発言

 

フィリピン大統領「昔はゲイだったが”治した”」 https://genxy-net.com/post_theme04/661119ll/

 

フィリピンは僕にとって、実は第二の故郷と思えるほど、大好きな国です。

 

さらに良くも悪くも、フィリピンという国がこんなに世界から注目されるようになったのは、間違いなくこの大統領のお陰ですよね。

 

個人的にはすごく応援している大統領なんですけど。

 

 

フィリピンは敬虔なカトリック教徒が多い国として有名です。

 

僕も何度か訪問しているのですが、本当に貧しい人たちでも、教会に行ってお祈りを捧げて、寄付をしています。

 

セブ島の「セントニーニョ教会」という有名な教会にお邪魔したことがあるのですが、

 

それはそれは多くの信者たちが静かに祈っている姿が見られます。

 

僕は神仏はどんな神仏に対しても敬意を抱きます。そしてそれと同じようにそれを大切にしている人々に対して敬意を持ちます。

 

あまり詳しくは書きませんが、祈る対象の神と、祈っている人も、まったく同じように尊い存在だからです。

 

愛や慈しみを垂れる神はそのものとして尊いし、その神が存在するのは信じる人がいるから尊いと思っているからです。

 

もっと言ってしまえば、実は「同じ」だと思っています。寸分たがわず(^^)

 

皆さんの宗教観も是非聞いてみたいなぁ。

 

 

 

んで、この「治った」という発言ですが、

 

同性愛というのは病気ではないので、「治る」というのはオカシイ。という人が多いと思いますが、

 

病気か病気でないかは置いておいて、とりあえずこのフィリピンという国においては「治った」と表現するのが、

 

もっとも「政治的に」相応しい表現だったのだろうと思います。(なんでそう考えらないんですかね・・・)

 

例えばこれば日本国内でのことですが、

 

一般的に「死」というのは、人生の「終わり」と捉えられます。

 

ただ「天理教」という宗教では、それは「出直し」と表現され、「再出発」の意味があるわけです。

 

また確かインドネシアの一部の地域では、死というものが存在せず

 

生命活動が止まった体はミイラ化されて、定期的に衣装が取り換えられ、生きる者から丁重な祭祀を受け続けるというものあります。

 

 

これと同じように、フィリピンの大統領として相応しい表現をしたまでだと僕は受け止めています。

 

彼がゲイだろが、バイだろうが、そんなカテゴライズははっきり言ってどうだっていいのです。

 

1人のロドリゴ・ドゥテルテという男性が、同性を愛する(この場合は性の対象としてみる)感性を持っていた。

 

しかし人生の中で、愛する異性と出会い結婚をした。

 

本当にただこれだけのことだと思います。

 

ゲイだからゲイと付き合って、ゲイと生活をしなければならない。

 

ゲイだから結婚をしない、できない。

 

というまさしく「自己洗脳」に浸ることなく、ドゥテルテ大統領は自由にご自分の人生を歩んでおられる立派な方だと僕は思います。

 

 

 

パッキャオ選手or議員の発言も、まぁこれもはっきり言って政治的な側面が強いと思います。

 

ボクシングという男性性を剥き出しにしたスポーツは「これ以上の男性性を求めない環境」と言えます(後で解説)

 

そうした環境で生きる彼もそれを支持する人たちも、やはりどうしても同性愛を嫌う傾向になるでしょう。

 

彼はそうした人たちの代表として政治の世界進出しているわけですから、こうした発言になるわけです。

 

ただ、まぁ言い方は選ぶ必要がありますよね。(21世紀に生きているんですから)

 

うんだったら、いくらルールがあるとは言え、人と殴り合いをして勝敗を決めるような奴らは、動物以下。と言われても仕方ないですから。

 

 

さっき登場した「これ以上の男性性を求めない環境」についてですが

 

例えば、男性が主に行うスポーツ(相撲とか、ラグビーとか、ボクシングとか(女子もありますけどネ)

 

或いは、日本の祭りとか、ガテン系の仕事とか。

 

基本的に男性メインの組織や環境のことを「これ以上の男性性を求めない環境」と僕は読んでいます。

 

男性性で満たされているから、それ以上の男性性を付与する必要がないわけです。

 

つまり男性性で「お腹いっぱい」ということです。

 

そこに、もっと男性性(男性性を求める人や求める行為)を足したらどうなると思いますか?

 

そうです「吐く」んです。

 

つまり「気持ち悪い」という感覚になります。

 

これがスポーツや祭りの組織、ガテン系などの仕事に従事する人たちに、ホモフォビアが多い理由だと思います。

 

ただしこれはあくまで「環境」の話ですから、個人のレベルではこういう環境であってもゲイは普通に存在していますし

 

事の他ゲイはこういう環境を好むし、変な幻想を抱いている人もいたりします。(僕も好きですけどね)

 

むしろこうしたゲイの中に、節操なく振舞うヤツがいて、ゲイがますます嫌われる素地を作っていると僕は思っています。

 

例えば、どう考えてもおかしなスタイルで祭りの現場に登場したり、紐だろそれ!みたいな褌で現れたり・・・

 

こうしたゲイに注意喚起する方法ってなんかないかなぁ~と常々思っているのですが、まだ見つかりません。

 

 

 

なんだかまとまりがないブログになってしまいましたが、

 

まぁただ一方的に、発言を批難するのではなく、その背景や、己自身について考察するのも大切なことだなぁ~

 

とつくづく思ったわけです。

 

 

 

それでは今日はここまで!

 

最後までお読みいただきありがとうございます。