4日前の夜、喉に違和感を感じ、具現化したのは3日前の朝。
3日前昼すぎに37.8度の熱が出る。喉も痛い。食欲ないのであまり食べなかった。
その日の晩、さすがにおなかが空いたので食う気満々でいたが、
今度は扁桃腺がかなり腫れ、喉を8割方塞がれた状態に。その夜から呼吸も苦しくなる。
次の日も一日中息苦しく、喉には鈍痛、イライラ。パンをコーヒー牛乳でふやかしても
食べるのが困難な状況に。
そして昨日の夜、とうとう緊急入院、点滴の嵐。現在一夜を明かしお蔭様で
かなり回復してます。ただ、まだ予断を許さないのであと2~3日は病院に缶詰です。
それではまた。
かみさんの父ちゃんである。
今日、遅番の筈のかみさんから午後3時半頃2度電話があり、
「すぐ会社来て、じいさんが危ない!」と。
子供たちを車に乗せ、直行で会社のかみさんを拾って
病院へと急いだ。
酸素吸入器やらいろんなカテーテルが付いてて物々しい状態。
主治医の話によると、食事をあまり摂らなかったことによって
血糖値が急激に下がりあわやの事態に陥った とのこと。
我々が病院に着いた頃には一応小康状態になってはいたが、
相変わらず眠っている様子。意識はあった。。
昨年夏あたりから呆けはじめて秋には痴呆症と診断され
10月に倒れて以来、入院していた養父。
2週に一度着替えやオムツをもっていきそのときに見舞っていたが、
行く度に体は痩せ細り、顔色は薄く、薬の副作用だかで
手足が異様にムクんでいっていた。
10月に倒れて以来、入院していた養父。
2週に一度着替えやオムツをもっていきそのときに見舞っていたが、
行く度に体は痩せ細り、顔色は薄く、薬の副作用だかで
手足が異様にムクんでいっていた。
このわずか1年足らずの間に体の中も外もみるみる変わっていった。
俺は16歳のときおふくろを亡くした。
享年51。
俺が死水をとり、骨を拾った。一人で。
享年51。
俺が死水をとり、骨を拾った。一人で。
以来、葬式関連に無縁だったわけだが
先日近所の葬式で役員的なことを任され、
(田舎の集落なので、近くで誰かが亡くなると持ち回りで法要のお手伝いをする。)
火葬・お寺に同行することに。
やはり他人といえども死に目に遭うのは嫌なものである。
骨を拾う身内の姿を見て、おふくろのことを思い出した。。
先日近所の葬式で役員的なことを任され、
(田舎の集落なので、近くで誰かが亡くなると持ち回りで法要のお手伝いをする。)
火葬・お寺に同行することに。
やはり他人といえども死に目に遭うのは嫌なものである。
骨を拾う身内の姿を見て、おふくろのことを思い出した。。
”郷に入れば郷に従え”
土地それぞれに慣わしがあるので後学のため
敢えて引き受けた次第。
「うちもそろそろやばいかな」と。思っていたからだ。
土地それぞれに慣わしがあるので後学のため
敢えて引き受けた次第。
「うちもそろそろやばいかな」と。思っていたからだ。
不謹慎かと思われるかもしれないが大事なことである。
かみさんの父ちゃんだから。
最期の旅立ちをきちんと執り行わなければならない。
そして近所の人が持ち回りで手伝いに来るので
家の中も大掃除しなければならない。
現実問題としてかなり慌しいのである。
かみさんの父ちゃんだから。
最期の旅立ちをきちんと執り行わなければならない。
そして近所の人が持ち回りで手伝いに来るので
家の中も大掃除しなければならない。
現実問題としてかなり慌しいのである。
しかし本当に人の死に目に遭うというのは
なんとも表現し難い哀しみがある。
なんとも表現し難い哀しみがある。
いつの日か、
いつの日にかは自分がその当事者になるのだと。
そういう思い出きちんと身辺の準備・心の準備を
整えておこうと。
いつの日にかは自分がその当事者になるのだと。
そういう思い出きちんと身辺の準備・心の準備を
整えておこうと。
今日のこの日にそう思った。