自分はあまりにも精神力が強かった。
いや、強くはないのに強くいないと生きていられない気がしていた。早稲田に行きたい気持ちだけで生きていて、それ以外の感情を全部捨ててた。親に対する恨みってのはすごいもんだなと思う。

大学生になり、光と闇が交差する。

--大学生--

親戚回っても大卒がいないこの家系で明治に入ってしまった自分は神のように扱われた。嫌だった。応援してくれなかった親も結局は手のひらを返したかのように自慢し始める。
たった明治で。馬鹿か。ある程度の努力で誰でも入れる大学だ。

バイトで貯金し一人暮らしを始める。独断で契約したので怒られた。もう強行突破だった。

もうそこからは最高!ワンダフル!天国!まず刺されない!殴られない!神!

受験終わった開放感と、ストレスから解放された反動で遊び散らかした。
本当に人生辛かった。でもこれから自分で道を開いていくぞ!親も離れたし関係ない!という最高な気分だった。
何かを思い出したかのように男で遊んだ。そのぐらい許してくれという気分だった。幸い、男と遊ぶといつも自分は可愛がってもらえる。どこかで欠けた愛情を、そこで補完していた。完全に歪んでいた。

崚介に連絡した。合格おめでとうって言ってくれた。嬉しかった。また付き合った。あんなひどいこと言ったのに。

でもうちは最低だった。崚介がいるのに遊びたい欲求が止められずにセフレを作った。結局それが原因になってすぐ別れてしまった。ストレス反動で遊ぶうちをもう誰も止められなかった。止める人はいなかった。言い訳だけど、本当に遊びたくて遊びたくてしょうがなかった。不特定多数の愛情を求めることに必死だった。
今思えば、不特定多数の愛情よりも崚介がくれた愛情のほうが大きくて、深くて、一番無視してはいけなかった。当時の自分はそれにも気づかず、欲のまま進んだ。反動がでかすぎた。大学も行かなかった。


うちはそのセフレ(経営者)を本気で好きになってしまったが彼女がいた。別れる別れるって言いながら1年別れてくれなかった。その間ずっと泣いてた。
やっと別れて、うちと付き合うってなった。そしたら浮気してた。相手は自分の知り合いの女だった。インスタのストーリーで浮気がバレた。電話が来て、でたら
「お前なんてもういらないから。A(浮気相手の名前)に負けたってことだよ。早く死ねよ、じゃあな」
と言われ電話を切られた。うちは親だけではなく恋人にも死ねと言われ、せっかく一人暮らしをして忘れかけていたDVの記憶がフラッシュバックした。その浮気相手の女にも死ね!って電話で言われたことは覚えている。
その後私はショックのあまり車で追突事故を起こした。
並木のバイト先で泣き明かした。それを聞いた小津が事故現場に助けに来てくれた。外塚も遠藤も大学の友達もこまめに電話をくれた、みんな助けてくれた。ありがとう。車も自分のメンタルもボコボコだった。

それでもそいつのことをまだ好きだった。人間として他に尊敬できる部分があったからだった。それは今でも思う。
結局その女とはうまく行かずまたうちと復縁した。恋人に初めて傷つけられて、初めて崚介の気持ちがわかった。猛省の日々だった。

自分はやられないと気がつかない、バカだった。

そいつとは復縁したが、めちゃめちゃ復讐したかった。そんな時に旅行中に出会った札幌のホストに一目惚れする。顔が好きだった。どうせ客扱いされて終わるだけだろうと思ったが、意外にも向こうは女としてみてくれて、一銭も貢がずに告られた。ラッキー。

なのでそいつを振った。まじ最高な気分だった。復讐完了って感じ。が、酒癖が悪すぎるのと遠距離、かつ自分は就活生で人生の分岐点ということもあって別れた。好きだったけど。彼を追っかけて札幌で就活して、その後振られたらどうしよう。リスクはとりたくなかった。泣く泣く別れた。
その頃、そいつはうちに復縁してくれと何回も何回もせがんできた。ストーカー化した。本気なのは伝わったし、まぁいっかぐらいの気持ちで復縁した。ストーカー怖いし。家庭で孤独だったからか、他人に依存する癖が抜けない。そんなバカな自分だ。

結局別れた。うまくいくはずなかった。もううちにそこまでの熱量なかったから。


もうほぼ恋愛の話になってしまった。

実は大学生活中、バイト先(塾講師)でモラハラにあったりしたこともあってストレスを溜めていた。私は目鼻立ちがハッキリしているので多少の化粧で突然不本意にケバくなる。なぜか目をつけられた。私だけ理不尽なことで怒られたりもした。辞めようかとも悩んだが、生徒に対する責任はしっかり持ちたかった。2年続けた。なんだかんだで大学生活も地獄だったかもしれない。

自分の行動には絶対にいつも意味がある。
塾講師を始めた理由は、自分が大学受験で悔しい思いをしたから生徒にその思いをさせたくない。という理由と
クソ親から夢を狭められている生徒がいたら、自分が盾になって助けてあげたいと思っていたからだ。綺麗事でもなんともない。その思いを持ってまだ塾の先生を続けている。

本当にクソ親というものは存在する。このバイトをしててとても思う。生徒に本気で寄り添える、そんな先生になりたかった。この前も自分の生徒がクソ親で、ブチギレた。自分の評価なんてどうでもよかった。生徒には、親には私からいうから胸張って受験してこいと言い放った。
言い放ったのに、私は今こんな状態で、その子の最後の授業には行けなかった。情けない。本当は最後の授業、自分の言葉で色んなことを伝えたかった。悔しい。