みなさんは何が欲しいですか?
強く求めているものはなんですか?
いきなりこんなことを聞いたのは自分が求めているものを整理することが大事な内観になることに気付いたからです!
好きと欲しいは違います。
混同してる人も多いと思いますが、まじで全然ちがうということに最近きがつきました。
好きは純粋な愛からくる感情、
欲しいは内側の欠乏感からくる感情です。
つまり好きは満たされているから生まれる感情で
欲しいは満たされていないから生まれる感情で真逆な訳です
前にも書きましたが、私が幽体離脱して体感した世界は全て満たされているから何もないただの光の世界でした。この世は満たされていないから、いろんなものがあり分離を体験するための世界という一面があることにも気づきました。
だから、自分が何を欲しているか整理することで自分の中の何が満たされていないのかに気づくと世界のほうに変革まで起こるわけです。(内面が現実世界を作り出しているから)
ちなみに何も欲しくない特別に好きなものもないというのは悟りの境地か絶望と諦めの境地かのどちらかです。(大半は絶望と諦めの境地)
少し考えてみてください。
例えば恋愛で相手に何を求めるかと考えた時、
容姿の整っている人が好き=自分の容姿にコンプレックスがある
スタイルのよい人が好き=自分のスタイルにコンプレックスがある
オシャレな人が好き=ダサいと言われて傷ついたりした過去がある(純粋に服などが好きな場合とは異なる)
優しい人が好き=優しくされることに飢えている。または自分は優しくないという思いがある
具体的な相手がいるわけではないのに恋人が欲しい、結婚がしたい=満たされないものを一挙に解決したい。自分自身に対する存在価値のゆらぎ
このように少しあげただけで、色んな例があげられます。自分の内面が世界を無意識に作り上げてしまう以上、自分の内面に自覚を持つことは凄く大切なことです。内面が満たされていれば現実世界は完全に平和ですが、自覚しない限りは満たすことはとても難しいです。
だから自分の中にある大きな欲求から順に原因を解き明かしていけば、凄く大きな気付きがああるはずです。自分のトラウマや傷にぶち当たることが殆どです。
間違いなく言えるのは満たされれば欲しくないということ。分かりやすい例でいうと、ビデオ屋さんで映画やドラマをレンタルしていた時代から、今は家のネット環境で何千という種類からドラマや映画をいつでも見られる環境が整いました。
環境が変わってから、いつでも見れるようになってから逆に昔のような「あれが見たい!」というような強い思いが薄らいでいるのを感じませんか?
「何を見よっかなー?これでいっか、いややっぱりまた今度でいいや…」とかなりません?
これは、見ることに対してみんなの環境が満たされたからです。借りに行かなくても、返しにいかなくても好きなときに好きなものを自由に見れる。だから逆に満たされすぎてしまって見なくてもいっかーってなる。
例が分かりにくいかもしれませんが、満たされるというのは、うぉーーー!満たされてるー!!みたいな激しい感覚ではなく、「別にいっかぁ〜」みたいなユルユルの感覚なんです
そして、別にいっかぁ〜となればなるほど、どんどん満たされるようになります。激しく求めれば求めるほど、どんどん欠乏します。
だから自分が欲している物を自覚して、いつから欲しくなったのか?そもそもいつ失ったのか?ということに立ち返る必要があります。
このテーマはめちゃくちゃ深い気づきなので、また次回は私の経験もふまえて色々と書いてみようと思いますが、長くなりそうなので今日はこの辺で〜
ありがとうございました!