小林正観さんのありがとうを言えば言うほど、奇跡が起こる!というのが本当かどうか実験しています。
最近、ありがとう散歩を終えて帰ってきて休憩している時に、よく頭の中で聞こえると言うと大袈裟ですが、ポンっと考えが浮かぶことがあります。
先日、13万回目のありがとうを言い終えて散歩から帰宅すると「栄養になって循環する」というワードが浮かびました。
自分の頭に浮かんだ考えなんですが、
「ん?なにがなんの栄養になるのかね?循環するってどこを?」
と、分からないことを口に出して質問していました。はたからみると独り言です。笑
そして自問自答して色々と考えた結果、凄いことに気が付きました。
体は食事から栄養を取り込んで、骨や肉にし、余分なものを排泄するという一連のながれで出来ていますが、心も同じ作りになっていることに気が付いたんです。
体が食事から栄養をとるように、心は言葉から栄養をもらっているんだと思います。つまり自分で発した言葉や誰かに言われた言葉が心を作る要素になっているということです。
私たちが、栄養たっぷりのバランスのとれた食事をとると肌が綺麗になったり、息やオナラの臭いも無臭になったりします。逆にジャンクフードばかり食べていると肌が荒れたり、息やオナラの臭いはキツくなりますよね。
これと同じことが心でも日々おきています。
1つ前のブログで、心と思考・感情は別物だと書きました。人の体で例えるなら、心が体で、思考・感情は息やオナラなどの排泄物です。
綺麗な言葉を使ったり愛のある言葉を誰かに言ってもらうと心は.どんどん綺麗に美しくなります。それにともなって排泄されていく心の息やオナラ=思考・感情が愛のある綺麗なものになるんです!
私は、ありがとうの実験を初めてからイライラや不安が本当にビックリするほど少なくなったり、ちょっとした景色に感動したり、とても穏やかに機嫌よく過ごせていたので、なぜなんだろう?とずっと考えていました。
感謝の言葉や愛のある言葉は例えるなら栄養たっぷりの野菜や手料理です。そして、愚痴不平不満はジャンクフードにあたります。ジャンクフードは手軽で美味しいし、中毒性があるので食べれば食べるほど止まらなくなります。様々な病気の原因にもなります。
愚痴不平不満もこれと同じで、誰かと愚痴不平不満を共有してるときって、なんともいえない心地よさというか楽しさのようなものがあって、喋りだすと止まらなくなったり、いつの間にか愚痴不平不満を言うのが当たり前になってしまいます。
ジャンクフードな言葉ばかり食べた心は、冷たく荒れまくり、思考や感情もイライラや不安、恐怖、嫉妬、妬みなどを生むようになります。この状態の心が出す息やオナラは当然、臭いもキツイし周りを不快にさせます。さらに食べ続ければ心の病気になってしまうでしょう。
つまり、心の綺麗な人が綺麗な言葉を使っているのではなく、使う言葉が綺麗だと浮かんでくる思考や感情が自然と綺麗なものに変わるということなんです!!
だから自分の黒い感情や悪い思考に苦しんでいる人は言葉を変えれば良いんです。そして、悪い言葉や、どす黒い感情がでてきても、それはただの心の排泄物なので一喜一憂する必要もないんです。
体が食べたものを骨や肉にするのに、時間がかかるのと同じで、心が言葉を栄養にするのにも時間がかかります。私は、ありがとうの実験を始めて、イライラすることが格段にへったのは1ヶ月ほど経ったときだったので、言葉が心の栄養になるのにそれくらいかかるのかな?と思いました。個人差あるかもしれませんが…
こう思うと、自分の中の悪い感情が出てきたなら、それは自分が使ってきた言葉の結果なんだと思います。だから悪い思考や感情を持つ人が悪いのではなく使っていた言葉が悪いだけなんだということ。しかも、普段どれだけ良い食べ物を食べても、うんちやオシッコをしない人はいないわけです。だから、どんなに綺麗な言葉を使っていたって、よくない思考や感情がおこるのもそれは心が生きているから仕方のないことなんだと思います。
私は、美しいものや良いものを求めるあまり、汚いことを考えてしまう自分ってまだまだだな。とか嫌だなと思ってきましたが、今回の気付きでとても胸が軽くなりました。
できるだけ、素敵な言葉を使って心が綺麗になったら嬉しいし、悪い思考や感情が浮かんでしまっても、ただの心の排泄物だと思って過ごしていけばいいんです。
ですが、排泄物も無視するよりは観察することで気づくことが沢山あります。普段しているウンチを観察することで体の健康状態や病気が分かることもあるように、心の排泄物である思考・感情を観察すれば今の自分の心の状態が分かる!ということです。
これまでのように思考や感情に振り回されるのではなく、しっかり観察して自分の心の状態をより深く理解していきたいと思いました!
今回も読んで下さりありがとうございました!