もう少しで、また一つ歳をとります。


今日は、両親のことを書こうと思います。




私の両親は養父母です。



子供に恵まれなかった両親。



母は若いうちに、唯一の兄を病気で亡くしており、逆に父は、兄弟がたくさんいたので、その兄弟の子供を養子にしようとしましたが、母親が離さなかったり、反対されたりして断念したそうです。



また、近所に双子が生まれた時は、近すぎると反対されたりして…



どんな経緯か、私は生後21日目で両親の養子になりました。



全く血の繋がりはありません。



幼い頃から、なんとなく自分は本当の子供ではないんじゃないかと思い、母に聞くと、

「橋の下に捨てられていたから拾ってきた」

「ゴミ捨て場に捨てられていたから拾ってきた」


と、誰かしらも経験があるような、あるある話をして、私が泣くと、ギュウッと抱きしめて、

「本当の子供じゃなければ、厳しくはしない」

と言っていました。




高校の入学式、色々な書類を提出しなければいけなくて、入学式に来ていた母のところに取りに行きました。



母は困った顔をして、一緒に来ていた親戚や知人も哀れむような顔をして…それを見て察しました。



書類の中に、「養女」と記載された物があったので、死ぬまで隠したかった母は、自分で学校に提出するつもりだったそうです。



とびきりの笑顔で母に接し、入学式も人一倍張り切っていました。



入学式の日の夕食時、母は私に

「母さんには、どんな態度をしても良い。だけど父さんにだけは、お願いだから普通に接してちょうだい」


と言われました。



その日の夕食時のことは、今でも忘れることはできません。



無言で、ご飯をなかなか飲み込めないようで、なんとか飲み込もうと食べる父の姿、私と父を気にしながら見る母。



父は死ぬまで、養子について触れなかったし、母に聞いても多くを語らないので、実親のことは少ししかわかりませんでした。



20歳前半の時、
実親がいるならば、会いたい。
会ってみたいと思い、戸籍謄本をとりました。



実母の名前が記載されていて、実父の名前はありませんでした。
認知されなかったんですね。



戸籍謄本にある住所で実母を尋ねました。



実祖父であろう人から、実母の住む家を聞き、訪ねると、父親違いの妹であろう人が出てきて、職場を教えてくれました。



最初に声をかけた女性が、たまたま実母でした。



感動という感情はありませんでした。



改めて夜、会うことになり、父親のことを聞きましたが、名前だけを教えてくれ、どんな人だったか、何故に養子に出すことになったのかは、なかなか教えてくれませんでした。



わかったのは、家庭のある男性だったということ。
だから、認知されなかったんですね。



実母は、だんだん調子よく話だしました。



「私ね、今彼氏いるんだけど、すごくいい男だから、あんたに紹介しようか?」



バカなのか?!




この言葉を聞いて、私は実母に会ったことを、とても後悔しました。



実父に会いたい気持ちは全く無くなり、両親に申し訳ない気持ちで、いっぱいになりました。



母に、実母に会ったことを正直に言いました。



母は、私が実母のところへ行ってしまうと思ったようで、明らかに動揺しているのがわかりました。



もう二度と会う気はないことを、はっきり言いました。



実母に会ったことで、両親への感謝の気持ちでいっぱいになり、私はこの両親の養子にならなければ、どんな生活をしていたか、想像ができました。



厳しくても、何不自由無く育ててくれ、云うことをきかない私に、一度たりとも養子にしたことを後悔したとは言わなかった両親。



血の繋がりなんて関係ない。



愛が一番。



父だったから、母の子供になれた。
母だったから、父の子供になれた。



二人の子供になれたことを、誇りに思う。
二人が親であることを、誇りに思う。



父さん、母さん、ありがとう。






父が亡くなる数日前の夕日