朝、娘に「カーテンを開けて〜」と頼んだ時のこと



やってくれてるのを見ていたら

いつもと違って
カーテンを開けてはいるものの
両端に寄せただけ‥


それを夫に頼んだ場合、
または夫が自らカーテンを開ける場合


いつも
端まで寄せずに
一部が開いてる状態チュー


わたしの場合の『カーテンを開ける』
とは‥


カーテンのヒダをきっちり等間隔に畳んで寄せて
それぞれタッセルで止める

それとリビングに続き間の和室のシェードを上げる


そこまでがわたしの意図する
『カーテンを開ける』という依頼の意味なのですが


『カーテンを開ける』という言葉ひとつとっても
その定義は人それぞれですね爆笑あせる



以前のわたしはというと

やってくれていても
わたしの意図に合わないやり方だった場合

『なんでちゃんとやってくれないの!』
とイラっとしていましたむかっ


わざわざ、自ら気分を害するような周波数の『想いの視点』から見ていたんですね


わたしのやり方でやってもらいたかったら、そのように頼んでみたらいいですよね爆笑

以前息子に『カーテンを開けて』と頼んだ時
細かくわたしの意図を説明したらそのようにやってくれましたからキラキラ


もしも!

わたしの意図を説明しても
わたしの期待通りにしてくれなかった場合には


『いつかどこかの自分かもしれないな‥』と視点を高いところから視るようにしていくと‥


子どもの頃、
わたし自身も母に頼まれたことを適当にやったりしてたこともあるしな‥
(というかほとんどいつもそうだった氣がする笑い泣きあせる

夫から頼まれたことを、そうじゃない!と文句言われたりしたこともあるしな‥
(あちゃー笑い泣き


そうすると
あれっあせる
自分も同じだった!笑い泣きあせると氣付くことができるんですよねキラキラ





そして、
ついこないだ、夫にカーテンを開けて!とわたしの意図を説明して頼んでみました


‥すると‥ 


ひだをきれいに畳まずぐちゃーっと寄せてタッセルでまとめていました笑い泣きあせる


「えーーあせるちゃんと畳んでよ〜!」
と言うと、

「ちゃんと止めてあるんだからいいじゃないか」という返事笑い泣き


それに対して
『いつかどこかの自分‥』
と想いを馳せると


なんか『それぞれの違い』が可笑しくなってくすっと笑ってしまいました爆笑



もし、イラっやモヤッとが続く時には

念仏のように

『ありがとうございます』
『ありがとうございます』
『ありがとうございます』
『ありがとうございます』
『ありがとうございます』‥‥

と何回も何回も何回も唱えもします
(ブツブツ唱えたり、心の中で唱えたり)

そうすると
その場の氣が変わるというか
眉間や瞼の辺りがスッとするんですよねラブラブ

それは
『ありがとうございます』
という感謝の"言葉自体"が持つ周波数のおかげだと想いますキラキラ

その周波数に自分を戻すのです



依頼に対して相手がアクションを起こしてやってくれたことは感謝ですね照れ



今回のカーテンに関してだけでなく


モヤッとするイラッとすることなど(NO)があった時、
そのことや相手に対して

『過去現在未来のいつかどこかの自分かもしれない‥』と
相手の内に自分を見る(全ては自分の可能性としてYES◯受容)ことをして

その上で、感謝とともに、未来の自分に必要のない
"周波数"は判断して絶っていく


感謝生活でこれを実践継続してきて

以前のわたしから見て
自分の内側が本当に変わった!と実感している心の平和を保つ最強の方法となっていますラブラブ

そして

もう感謝生活を知らなかった実践していなかった頃には戻りたいとも思わないし
もう戻れません照れラブラブ


それくらいの変化を実感しています音譜



小さなことにも感謝があふれる豊かさを感じられるようになりましたキラキラ










今日も地球自然全ての繋がりによって生かされていることにキラキラ

ありがとうございます
ありがとうございます
ありがとうございますハート