キッチンが充実したら、次は「食べる」ということですが…
「イヌ食い」っていうのに、「ネコ食い」って言いませんよね…
同じ食べ方なのに…お行儀が違うのかなぁ…?
キッチンが充実して「お掃除」や「家族参加」などいい方向に変わった例があります…
以前より「お料理」するのが楽しくなったとか、その効果も様々です…
でも変わらないのが「食べ方」のようです…「取り箸」や「くちゃくちゃ音を立てる」「犬食い」などはそれ以前の問題ですが…
男子たるもの「早食い・早○」と言います…若い頃は食欲も旺盛、ハラも丈夫だから出来たんですが…さすがに年取るとハラも弱くなって、だんだん消化力も弱くなってきます…その分少食にもなります…
クセはなかなか抜けません…でも「早食い」は若いうちもイケマセン…とお医者さんは言います…
ガキの頃は粉薬が主流でした…良薬は口に苦しとか…とにかく苦い!
今のように糖衣錠なんてないからほとんど粉薬です…それで飲むときのコツは、舌を丸めて、先っぽの方に薬(粉)を載せて飲みます…なぜなら舌には五味を感じるところがそれぞれあって…先っぽが特に甘味=あまみを感じるところ…こうすれば苦くないというワケです…ガキの浅知恵です…
でも最近は舌が味を感じる「味蕾(みらい)」は舌全体に有り、特に舌先だけが甘味に敏感だというワケじゃないそうです…それでも僕たちオジさん世代は、薬を飲むと言うとつい舌をすぼめます…
口先三寸とか、二枚舌とか言います…蛇じゃあるまいし、正しい人間の舌は1枚です…
もっとも、設計士や不動産屋さん、銀行屋さんにはいるそうなので要注意です…
子犬は平和の夢を見ます…
食べて、遊んで、あなたのそばで眠ります…
随分昔ですが、夏の京都を訪ねました…ウワサどおりの暑い夜で打ち水をしてよしずを張った料理屋へ行きました…カウンターに小上がりだけの、8人ほどでいっぱいになるような小さなお店です…今でいうコースだけのお店で、初めのほうに鱧(はも)のそうめんが出てきます…京の夏ははもと言われるほどです…でもはもは小骨を取るのが大変だそうです…それがそうめんにしてあり、それに柚子(ゆず)をサメの皮ですりおろし茶せんで履くようにふりかけてあります…
その美味しさに、思わず「おいしい!」といったのですが…いかにも頑固そうなご主人が一言…「お客さん、それは嘘だ」「え?」と問い返すと…「美味しさというのは咀嚼(そしゃく)して、舌の裏側から唾液(つば)が上がってきた時に感じるもので、そんなにすぐにわかるもんじゃない」…
その時これが「旨味うまみ」だということ、それを感じるには少し時間がかかることを知りました…以来、TV番組などで口に入れるなり「おいしい!」と叫ぶレポーターには「ありゃ嘘だ!」と言えるようになった「味」体験です…
そしてもう一つ気付いたことは、そのお店の食器は全部清水焼だったのですが、京の夏の暑さに負けないように全てが冷やしてあります…冷蔵庫も発展過程の頃です…選ばれた食器の色や形と共にこれがもてなしなのだとわかります…
確かにあのとき手にした清水焼の中にこの町に息づいてきた、小さな宇宙があったように思います…
ただしホンネを言えば京都人はどうにも好きになれまセン…ホンネ丸出しで粗野な江戸っ子とはソリが合わないようです…昔から相性がいい組み合わせで言われる「東 (あずま)男に京女(おんな)」…「ありゃ嘘だ!」
締めにいただいた、塩抜きして千切りにしたシバ漬けと大葉が乗っただけのもち米のご飯の美味しかったこと…!
母の「かやく飯」とどっこい勝負の「うまさ」でした…! 素朴が全てに勝ります…
一方で都内の一等地の新築祝いの招待では、調度品やヨーロッパの名皿や名品の自慢話しを聞かされます…当然ですが、お料理は名店の出張サービスでした…
も・て・な・しというのは、道具や料理の良し悪しではなく、結局は「心」の問題だと知ります…
そういえば忘れられないもてなしの心は謡曲「梅鉢」でも学びました…「いざ鎌倉」で有名なこの謡曲はオトコのもてなしのなんたるかを教えてくれます…これは高校の先生が教えてくれました…いい先生でした!
母はどんなイヌもネコも大好きでした…
来るもの拒まず、去る者追っかけて(?)いましたが…
自分の子よりも大事な理由は、あの子たちはしゃべれないから…
ぬか漬けが好きだった母が、古いぬか床に沈んだキュウリやナスをみじんに切り塩抜きしてから、麦ごはんに混ぜた我が家のかやく飯…クーラーなんかない夏の朝、塩振っただけの不恰好なトマトにナスの冷たい汁の朝ごはん…前の晩のご飯をザルに盛り、乾いたふきんで覆って風通しの良い軒先に一晩ぶら下げるだけ…今考えるとそんな母の楽しみを分けてもらったような朝食でした…
そういえば、一汁一菜を提案するお料理家の服部先生がある時シチューをすすってこう言っています…「この味のためにたくさんの努力があったのだろうね」と…鱧の小骨取りといい、軒端の麦飯といい、たくさんの努力が「美味しさ」を作っているとすれば…世俗的な表現ですが、水鳥は見えない水面下で一生懸命に水を掻いています…同時にその努力の想像できる「食べる」ヒトになりたいと願うのですが…
昔「現ナマ(金)に手を出すな」というジャン・ギャバン主演のモノクロのフランス映画がありました…
老ギャングの彼がすっかり落ち込んだ手下の男を自分のアパルトマンで食べさせるシーンがあります…
もちろん料理の映画じゃないから、パンとチーズとワインだけ…それをナイフで切りながら食べさせるのですが…そのシーンは男の食事の全てを美しく見せ、以後食事にはいつもこのシーンを心に描きます…一人になった今も「食べる」ことを楽しめるのは母とこのシーンの記憶かもしれません…
後年、作家の池波正太郎さんがやはりこのシーンを何かの随筆に書いていました…思わず我が意を得たりと思ったほどだから、きっと同じことを感じたおじさんたちも多かったのではないかと想像します…
↓ここからは僕の個人的感想です…この感想と正反対の方がいるかもしれませんね…不愉快になるかもしれません…
そういう方は次の↑まで無視してください…
ゴロゴロ…にゃ〜ん…ゴロゴロ…も一つゴロゴロ…
最近は外食も進み、人気店に行列が出来ます…みんなの口、いや舌も肥えているようです…
それなのに、まるでこれが自分の個性だと言わんばかりに、一口も食べないではじめからタバスコやマヨネーズ、ケチャップなどをウンザリするほどかけて、真っ赤にしてから食べる人がいます…
たとえそれが自分の味覚であっても、それは料理と作った人への侮辱に他なりません…敬意すら払おうとしません…好きなミュージシャンの曲を聴くのにこんな聞き方をしますか…?
また出された料理をちょい待ちといちいち写真に撮る人…きっとプロの盛り付けを参考にしたいのと、多少の自分自慢がそうさせるのでしょうが…同じテーブルを囲んだ他の客への配慮が足りません…
お店も少しでもインスタ映えがするように盛り付けます…どっちもどっちですが…
写真を撮ることは「記録」であり、決して「記憶」じゃありません…
記憶は味やその場の「残像」まで残します…心に沈殿した記憶はやがて「想像力」を生み「創造の工夫」をします…記憶はより深く残ります…「恋」にも似ています…! 「恋愛」の結晶化です…
まるでこれが「個性」だ「自分の自由」だと主張して、はじめから辛子や七味、マヨネーズを大量に振ったり画像に夢中になる人は、きっと料理の「味わい方の平衡」まで失ったようです…
いったいいつからこんな不愉快な「食べ方」が大手を振るようになったのでしょうね…
当然ですが、歳をとった今はこんな彼らと食卓を囲むこともありません…同調したような愛想笑いの必要が無くなりました…
↑
ところで…
味に「五味」があります…!
「甘味」かんみ「酸味」さんみ「塩味」えんみ「苦味」くみ「旨味」うまみです…
今やこれに「ひが味」「やっか味」「いや味」「ねた味」「そね味」「うら味」「つら味」という七味のどれか、いや全部かな?がトッピングされます…こんな料理なんて誰だって振舞われたくありませんよね…! でも、それを作り出すのもキッチンです…⁉︎
ついでです…五味に「醍醐味」と答える人がいるそうです…「醍醐」はもともとは「最高」を意味する仏教用語です…当時大陸を通って日本に伝来した「チーズ」をことのほか「美味い」と称したのがこの言葉の出どころです…だからあの「後醍醐天皇」がチーズ天皇だというのは…「そりゃ嘘だ」!
ここからは個人的な体験…
随分前ですが、ドイツを一人で旅したことがあります… Pax intrantibus Salus exeuntibius
あの「ロマンチック街道」の宝石ローテンブルグの中世からの城門の上の碑文にはこう記されています…ラテン語で書いてあるのでちんぷんかんぷんですが、ここでは日本画家の東山魁夷さんの訳のまま書きます…
「入り来る人に安らぎを・去りゆく人に幸せを」…これは彼の随筆「馬車よゆっくり走れ」で知りました…それ以後ずうっと僕の人生のもてなしの原点になっています…
またカナディアン・ロッキーの、それこそ名勝にはその地の説明文があります…
でもその最後は必ず「どうか、ここでの滞在を楽しんでください」と結びます…(これは英文、これくらいは読めました)…日本では必ず「以下の行為は罰せられます」とか「禁じます」という脅し?文句で終わります…
国民性の違いなのでしょうか、もてなしもこんなに違います…
洗いたてのコンバースと、愛犬と一緒に出かけた…
小さな旅…
キッチンとは直接関係ありませんが、その東山魁夷さんはこうも言っています…
「古い家のない町は、想い出のない人間と同じだ」とも…
そう、家は古くなったからといってすぐに壊していいものではありません…「再生」の意味も考えてください…リノベーターだけでなくみんなが考えなくてはいけない問題です…!
ちなみに、隣町のデュンケルスビュール…ドイツ最古の木造建築のホテル「ドイッチェハウス」にも泊まりました…
おかげでこの国特有の「ハーフティンバー」建築を内部から観察でき、同時に古い町並みと家の関係も知りました…
また「夜まわり」が印象的な町でした…まだ一人親方なんて考えもしなかった頃です…
このブログは、お客の利益の側に立つひとり親方がもっと増えてくれるとイイと願って書いています…
特に女性こそこの分野へ興味を持ってください…あなたたちには特別な才能が眠っていると信じます…
日本だけじゃなく世界を知ってください…建築も世界を見せてくれます…!
そのためにも仲間と情報を共有してください…