これから「家」を持ちたいと思う、または大人になりたい人に、読んで欲しいと思うブログです…

あなたの「マイホーム計画」のお役に立つために…今日は前回つながりですが「刃物」のお話です…!

 

現代のバンガロー・スタイル…スペイン風

 

 

 今回は、はじめからムダ話です… まだガキの頃…「あおに(匂い)よし〜 オナラのみやこの やへ(屁)ザクラぁ〜 きょうここの(屁)に 匂い(におい)来るかなぁ」 …なんて囃しあっていました…とにかく男の子はたとえ言葉でも汚いイメージが好きです…

 元の歌は万葉集の「青丹(あおに)よし 奈良の都は 咲く花のごとく いま盛りなり」…これを遊んだものですが…「青丹よし」は「奈良」の枕詞枕ことばで…当時の都の奈良の賑やかさが伝わる歌です…

 

 ついでにもう一つ…「ももしきや古き軒端で 穴だらけ 今朝の寒さに ちんぽ縮まる」なんてのも読んでいました…

当たり前ですが、女生徒にはイヤな顔されましたが…されればされるほどムキになって…歌うのが年頃の男の子です…

 元歌は百人一首の「ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりける」です…

「百敷(ももしき)」とは「宮中」の枕詞ですが…「しき」と「引き」の違いはあっても…子供には「ももしき」は「股引き(ももひき)」と同じで、あの頃のガキには冬の必需品…大抵は兄貴からのお下がりで、繕ってあっても古くて穴だらけだから…そこからスキマ風が入ってくる…で、…ブルっつ、寒い…となる…ちなみに「しのぶ」は、例の「吊りしのぶ」のこと、こんな小さな世界にも自然を求めた日本人の情感…いっとき夏の暑さを忘れさせてくれる風物でした…

 

 両方とも、音や韻、それに主題をきちんと読み込んだ上での替え歌で…前回の「切れ味」を作った日本人の感性が生んだ言葉です…昔のガキは学がありましたね…とはちと褒めすぎか…

 

 

 

 ところで、「青」は濃紺や緑で、「丹」は「丹色」のことで、どちらかというと「朱色」です…

神社の屋根瓦は濃紺の翡翠色で、柱などは朱色に塗られて、白壁に映えます…そんな神社があちこちで映えた奈良の都はきっと美しかったのでしょう…腐らないからと屋根や飾りに使われた「銅」のサビは「緑青ろくしょうと呼ばれました、きっとこの色も入っていたのでしょう…このサビが出ると「サビを吹く」などと呼ばれ、古風な趣が出るからと歓迎されます…ちなみに、この銅板、加工性が高く、防水、防火性の強さから看板建築にも多く使われています…建築当初は銅がピカピカ光って、裸のように居心地悪そうなんですが、このサビが出るとあっという間に町の一角に「古風でどっしり」感を出すという、銅独特のサビです…

 

 やがて、仏教や儒教、あるいは質素を旨とする禅寺が増えて、派手な色は抑えられます…伽藍の多くは木=自然のままが良しとされます…これらを削ったのが「刃」です…大きな丸い柱が今でも自然のままに感じるなは、カンナ手斧ちょうなという刃物が切って表面を仕上げたからです…

 

 表面を成形するには「切る」と「磨く」方法があります…「切る」とは「刃」のある鉋などで切って、削ることで、「磨く」とはヤスリで研ぐ方法です…日本には「砥草とくさ」という磨くのに適した、硬い草があります…これでゴシゴシやります…仕上がりは同じようになりますが、それでもこの二つの方法は顕微鏡で覗くと全く違う仕上がりになっています…

 

 

昔の木地仕上げは、刃で切ってあるから水を吸わない…

 

 木が持つ「繊維」が刃物では切られていますが、磨きでは変形しています…表面が微妙に違います…

つまり「塗装」しなくても刃物で切られた表面には、木の繊維が密集して、まるで木を守るように覆います…水を吸いません…木のままで呼吸し、活き続けます…

 今日私たちが見る古い時代の木造建築の柱や梁、垂木などが、塗装無しでまるで創建当時のような自然を感じるのはこのためです…「刃物」を使う大工道具の凄さがここにあります…

 

 

 なお「砥草」はいまでも「漆」の専門店などで売られています…3M などで進歩した最新の技術も及ばない、微妙な「磨き」を天然の「砥草」だけが表現しているのでしょう…

 

 

 前回つながりですが…たとえ家庭の「包丁」であっても「切る」という「刃物」の意味と、そこに秘められた鍛冶職人たちの長い時間を大切にすることを、僕たちはもっと学ばなくてはいけません…

 同時に「家」とはこんな「刃物」の集合体であることも理解しなくてはならないようです…でもこんなことを知っているのは、僕たち素人だけなのかもしれませんね…でも、どうやらそれが現実のようです…

 

 

 最後についでのムダ話、落語に「てんしき」というのがあります…

 ある和尚、診察の後に医者にこう言われた…「てんしきはあるかな、あったら知らせなさい」と…まさか、てんしきを知らないとは言えない和尚…その場はまだないと逃げた和尚…弟子の珍念に薬を取りにいかせる道すがら、それとなくてんしきを探らせる…そうとは知らない珍念、道すがら檀家の旦那に聞く…聞かれた方も知ったかぶりの答え…「朝の味噌汁に飲んじゃったから今はない」とか「あれだったらもう人にやっちゃったよ」とか「あれは美味かったねぇ」とか「ついさっきまであったんだけどねぇ」とか答える…薬をもらいがてらにてんしきのことを尋ねると、医者の曰く…アレは「屁」のこと、術後にこれが出れば大丈夫だからと聞いて…そこで珍念考えた…「和尚も知らないな」…寺に帰った珍念、素知らぬ顔で大事な「盃」の事だったと和尚に言えば、「そうよそうよ、すっかり忘れていたぞ!」と、知ったかぶる…そこへあの医者が診察にやってくる…「どうかな、てんしきはあったかな」「もちろんありました」「あったのか?」…「今持ってきましょう」「はて?」…和尚少しも慌てず珍念に持ってこさせる…うやうやしく珍念が「盃」を持ってくる…訝る医者「?」…

これがてんしきとばかりに和尚が言うと…たまらず医者が笑い転げた…それで事の次第をわかった和尚、顔を真っ赤にして珍念に言う…「コラ珍念、なんという話だ」…珍念少しも慌てず「え、屁みたいな話ですから」… アハハハ

 

 てんしきとは「転失気」と書き、出典はれっきとしています…転じて落語では「知ったかぶり」のことです…出てくるみんなが江戸っ子らしく見栄っ張りで、知ったかぶりのてんしき野郎です…

 

 そしてこの話も前回同様、教訓的です…

とかく現場では専門的な言葉が飛び交い、素人にはさっぱりです…だからこそ、知ったかぶりをするのではなく、わからないことは聞き、調べて正しい知識を持つことが大事です…「生兵法はケガのもと」とか、手痛いケガを負う前に簡単なことから始めてください…

 

 

 

 ここまで読んでくれて、ありがとうございます! 

 

 次回は「インテリアにもっと色彩を…」という話です…! 

 

 「家」の基本は材料と道具の本質を知ることです…情報を得て共有することです…

何しろ高い買い物です…当たり前といえば、当たり前なんですが…どうにも他人任せのようです…

あなたの「マイホーム計画」が成功することを願います…!

 

 Renovationには修理や修繕の他に刷新や元気回復という意味もあります…

「家」を新しい力で元気にさせる…「リノベーター」に応しい言葉ではありませんか…!