こんにちは

 

ボクの赤い鼻はピエロの鼻…おかしい?

 悲しい NEWS です…

 

 いわゆる「引き込もり」です…はじめの事件が引き金になり、今度は父親が実の息子を殺したという事件です… 殺された長男の身体には複数の刺し傷があったと言います…父親に強い殺意が働いていたことを物語ります…

 

 想像してみてください…我が子に複数の傷を負わせる父親の心情を…流れる血、呻く苦悶の声、必死に凶刃を逃れる子供をなお追いかけて、刃物を振るう父親…

 

 突然の凶行に逃惑う子と、追う父の強い決意…その時の彼らの心に去来する涙と、突き上げる慟哭の底のない闇の深さは、どんな人間にも想像できないでしょう…

 悲劇というにはあまりにも凄惨で、果てない悲しみが深い一瞬です…

 

ボクだってピエロの鼻さ…おかしいかい?

 

 こんな時に必ずと言ってもいいほど出てくるのは、子供だった頃の屈託のない笑顔の写真です…きっとその頃の親には、我が子へのたくさんの愛情があったはずです…

たくさんの願いもあったのだろうと想像します…この時にまさかこの愛する笑顔がそれぞれの運命を暗転させるなどと、考えもつかなかったはずです…

 

 這えば立て、立てば歩めと願った可愛い笑顔に…親は心から願います…

それでも起きてしまう悲劇…「引きこもり」と「家庭内暴力」…その度に、おずおずし恐怖の嵐に巻き込まれ、手立てもなく、声も上げられずに立ち尽くす親…愛と憎しみが交錯し連鎖します…

 

 一方でこんな事件が起きるたびに問題視される「引きこもり」…今回も原因の全てと標的にされます…

 

 でも今回は違いました…

「引きこもり」を擁護する人たちが「一括りに」するなという反論を上げます…

同時に誰もが好き好んで「引きこもり」になったのではないということを知ります…

 

 確かに僕たちはあまりにも「引きこもり」=「個人の勝手」=「親の責任」と勝手に思い込んだ見方をしていたようです…でも「引きこもり」の原因が決してこんなステレオタイプなことではなく、社会的な「要因」「誘因」が存在することも、わかりました…!

 

オイラだってピエロの鼻…こんな犬だっていたってイイ…!

 

 「いじめ」や「過度な愛情」「社会的な無視」などいろいろありそうです…

つまり「社会」や僕にも原因や要因がありそうだということに気がつきました…

改めてクローズアップされた「8050問題」…この身近な問題解決の責任にどう向き合えばいいのでしょう…もちろん引きこもる「個人」の病理的な原因もあるでしょう…ただ、今まで僕はこんな個人の差を理解できませんでした…

 

 一方で「引きこもり」や「家庭内暴力」の長い試練から立ち直った親たちや家族もいます…まだ戦っている家族もいます…叫び声すらあげられず、助けも求められず…どんなに暗い闇の中なのか…! そのことすら理解ができませんでした…

 

 

 今はみんながホンネを隠して生きているようです…

日本にも「狂言」という芝居があります…事件をさらに大騒動にするのが「狂言師」まことしやかな言葉や動作でことを荒立てます…その言動に周りは右往左往します…

 

 今ではスマホでみんなが簡単に「狂言師」になり、しかもことの次第を確かめないままにこの「狂言」に相乗りします…周りも仮面をかぶり、まるで素顔を見せません…みんなが「狂言」をホンモノと信じます…だから簡単にフェイクニュースや、うわさ話に反応します…スマホで素顔が見えないし…真実よりもウワサのほうが絶対に面白く、責任を負わないからです…

 

 人間の感情の本質を見抜いたギリシャの仮面劇では悲劇で仮面が使われます…

 

 市井には今も「博多にわか」のような仮面劇が存在します…でもこれは最後は「笑って」終わります…素人が仮面の喜怒哀楽に合わせて「俄か=にわか」に演じる「狂言」だからです…他愛もない話を仮面をかぶって「笑い」に転じます…罪がありません!

 

 「狂言」の元は「猿楽」です…猿芝居のように終わらせてくれないのが…現代の「狂言師」の被ったマスクの怖さです…

 

  それを当たり前にしたカミツキガメと取り巻き、もちろんこの国の宰相だって例外じゃありません…世界を二分しても自国が一番とうそぶきます…

世界の半分がピエロになったようです…

 

 

 好きな絵本に「オレゴンの旅」があります…

ピエロはサーカス仲間のオレゴンという名のクマに、生まれ故郷の森に連れ帰って欲しいと頼まれます…旅のあいだじゅうピエロは赤い鼻や白い厚化粧を外しません…

いくつもの困難を乗り越え、ようやく森にたどり着いたピエロとオレゴン…やがて来る冬眠の季節…お別れです…冬眠したオレゴンの穴を去るピエロ…雪にピエロの赤いハナが捨てられています…今度はピエロの自分探しの旅が始まります…!

出版は1995年です…オレゴンがピエロを肩車して麦畑を行く表紙に惹かれて買った絵本です…

 

 赤い鼻を捨てたピエロの「自分探し」の「旅のこれから」を暗示して物語は終わります…「自分探し」とは「ホンネ」で生きていこうということなのでしょう…あるいは「自分のままに」自分らしく生きるということなのかもしれません…!

 

ボクたちはいつだってホントを探してる…!

 

 こんな歳になっても、まだ残っている僕のピエロ…赤い鼻を捨てなくてはと思わされた今回の事件です…

僕も改めて絵本から学びました…!

 

 

 

 

 ありがとう

 いつの時代でも親は「加害者」であり、子どもは「被害者」です…親の重圧をはねのけられない子どもたち…

 流行りの「キラキラネーム」の数だけ、勝手な親たちの期待があります…

 ね、ご同輩!