閑話休題

 

 日本には古来からモノに似せた美しい表現があります…「出舟入舟=でふねいりふね」もそんな言葉の一つです…

 

 昔のトイレ内は御不浄とも言われて簡易なサンダルなどに履き替えました…その時履きやすいようにサンダルが奥に向かっている様が出舟で、履いてきた室内履きがそのまま置いてあれば入舟と言います…

 出舟ならそのまま履いて奥に向かえます…一方で帰りのことを考えて履きやすいように先端が廊下や部屋に向いて、つまりクルッと向きを変えて置いてあれば、それも出舟と言います…

 

 その時の様がちょうど港を出る舟のように見えることから「出舟=これから乗り出す舟」で、その反対が「入舟=着いたばかりの舟」というわけです…誰が言ったか知らないけれど、うまい表現です…

 

 日本の家は古来から室外と室内で靴を脱ぐようにできています…玄関先、縁先、ご不浄などです…その時に「出舟」は室内に誘導するように置かれ、「入舟」はその家の家人または本人が、帰りのためにクルッと回転させて「出舟」に変えておきます…本人なら後ろ向きに上がれば、帰りに備えて「出舟」になります…

 しゃがんで履物をなおすのは、ある意味とても合理的でしかも美しい形です…でもそれ以上に家人と家への敬意と考えることができます…女性には着物文化の影響もあるかもしれません…

 

 ところで私ごとですが、過日この古来からの美風に出会ってしまいました…先日インフルエンザにかかり、なにせ狭い部屋だからトイレへ向かうのに七転八倒をしたのですが…その度に苦しんだのがトイレのサンダル…突然の尿意になんとかトイレに行くものの…足元のサンダルに苦労します…何せ高熱でボッとしているのに、狭いトイレの中でトイレ用のサンダルをつっかけて便器に座らなくてはなりません…

 

 このとき「出舟入舟」の大切さを知ります…

とは言っても次に備えて狭いトイレで反転しなくては次の出舟にはならない…一人暮らしの気楽さであまり考えもなく、あまつさえ入るときも出るときもそのまま…次の行動なんて考えたこともなく、狭いトイレで体をよじり、足元の面倒くささに多少の時間がかかても気にしなかったんですが…インフルで寸刻を争うのだからそうもいきません…治ったら絶対に今度こそは「出舟入船」を習慣づけるぞと、ボ〜ッとした頭のどこかで呪文のように唱えます…じゅげむじゅげむかいじゃりすいぎょの〜とは違うか?

 

 ガキの頃から母親には「出舟入舟」を叩き込まれてはいても、大人になるとつい忘れがち…あしらいがぞんざいになって、忘れたこともいくつかあります…「スズメ百まで踊り忘れず」の例え通り、やっておくべきことはやった方がスッキリします…

おかげで和室の前もスッキリしました…これならいつでも客を迎えられます…!

 

 ちなみに、自転車に乗ることや泳ぐことはいくつになっても覚えているものですね? だから学校でも飛び込みや流れを泳がせる方法も教えるべきだと思うのだけれど…水府流など古式泳法を見たことがありますか…? 先生や親は水はどこもプールみたいな静水だと思ってるんだね…きっと!

 

 

 お江戸八百八町とか、埋め立てで拡張された江戸にはそれだけ町があり、流れがあります…そんな彼らの行き来を支えたのも水運…

そして庶民の小さな行き来を支えたのが「チョキ舟」です…

 正しくは「猪牙舟」と書きます…形がイノシシの牙に似ているからと言います…

そういえば今年はイノシシ年…仏教で鳥獣の肉を不浄なものとして口に入れることを嫌われても、イノシシは「ぼたん鍋」と呼ばれて庶民の間で密かに重宝されます…あるいは「山くじら」とも言います…折しも日本は「くじら漁」を禁じる条約から脱退しましたが…イノシシ肉を牡丹の花のように盛り付けたのがこの名の由来だそうです…イノシシとはそれだけ関係の深かったのが僕たちの社会だったんですね…

 ヨーロッパの中世では、その突進の勇猛さから王侯貴族や騎士たちの紋章にもなっています…ちなみにお隣の中国では「ブタ年」…いかにルーツは同じでも、ブタ年ではねぇ!

 

 

 ところで大胆な構図の葛飾北斎の有名な「神奈川沖浪裏」で逆巻く大波(浪)に飲まれんばかりの舟も「チョキ舟」のようです(少し大きいようだけれど)…舟まで湾曲しています…砕けて落ちる波頭と言い、明晰な観察力+想像力の違いでしょうか?…

改めて見るとすごい筆力の年寄りです…

死ぬ直前まで「まだうまくなれる!」と絵筆を離さなかった「画狂老人」…

 こんな年寄りになれるのか?と思う年寄りの「白日夢」的な連想でした…!

 

 

 それにしても、トイレの開け閉めにスリッパが当たるお家のドアはどうやってるんですかね…

 ね、ご同輩!