こんにちは…まだまだ寒い日が続きます…みんな元気にしてますか?

 

 「家」の話に戻ります…ちょっと長くってクドくなります…ごカンベン願います!

 

この前のブログでアメリカの多様性について書きましたが…「家」的視点でわかることもあります…

かなり大雑把ですが以下の通りです…あなたのお耳をダンボにして、知っていることを動員すればナルホドとわかることがありますよ…

 

 ところでいつも耳にするアメリカの地名ですが…ニューヨーク、ボストン、ニューオリンズ、サンフランシスコ、ロスアンジェルス、シアトル、それに歴史的なゲティスバーグなどなど言葉の最後が似たところがいっぱいあります…これらは「新しいヨーク」であり「新しいオルレアン」であり「聖フランチェスコ」「聖エンジェル」ということですが…シアトルはこの地域を収めていたインディアンの大酋長の名前をとったものであり、なになにバーグというのはなになに城=街を表すドイツ語圏の表現です…ハンブルグの名産がハンバーグがというのも同じです…バーグの英語読みです!

 

 この他にも「バーボン」はフランス王朝のブルボン家のことで、車のシボレーなどはスペルの最後のTは発音しませんね…「サン=聖フランチェスコ」は航海の安全の神様で「ロス・アンジェルス=聖天使」ともにスペイン語です…

 

 これらはたいていヨーロッパから新大陸に移り住んだ人たちが、遠い故郷を想ってつけた名前です…

その他にも地域の先住民に敬意を払ってつけた地名もあります…西海岸の集合住宅は「プエブロ」と呼び今でも「イロコイ族」の街があります…移民の末裔たちはインディアンを痩せた土地しかない自治区に追いやり彼らの豊かな土地を「収奪」してゆきます…

 

 このように改めてアメリカを見てみると、そこにはまるでモザイクのようにヨーロッパ各地から多民族がやってきたことがわかります…

 

 さらにアメリカを地形的に眺めてみると…下にはニューオリンズからミシシッピーの大河が大陸の中心に向かっています…メキシコ湾を遡ってきたフランスはこの大河を水運に利用…川辺にいわゆるフランス文化を移植して植民地化…俗にいう「フランス的」な「家」や家並みをこしらえます…綿花やタバコ産業に働き手の奴隷を大量にアフリカから呼び込みます…奴隷産業です…M・ミッチェルの「風と共に去りぬ」の世界であり、ハックルベリー・フィンの故郷がここです…このミッシピー周辺の地域が今なお人種差別、特に黒人蔑視が強く残る「ディープサウス」です…この「白人至上主義」も今日的なアメリカの「現実」なのです…

 

 ちなみにデキシー「DIXY」というのは、この地域だけに通用する通貨の単位でこれが通用するのでデキシーランドと呼ばれます…

 

 やがて「南北戦争」で奴隷は開放され、ブルースがジャズを生み、奴隷たちは新しい産業の働き手となってシカゴやカンサスなどの新興都市へと向かいます…今日黒人をアフリカ系と呼ぶのはこのためです…彼らの手にした古い楽器と溜まり場「ジュークジョイント」が後のロックを生み出します…音楽だけでなく文学や絵画などが混ざり合います…東部へ行くほど黒人には寛容な白人がいました…こうした「融和」もまたアメリカの「多様性」です…

 

 一方、ボストンなど中心とした地方を「ニューイングランド=新しいイギリス」と呼びます…

アメリカ=新大陸発見でヨーロッパの各地から多くの人々が流れ込みます…同時に各国の政府もこの新大陸を手に入れるべく押し寄せます…イギリス軍が初めて大西洋を超えて上陸、その拠点になったのがこの地方だからこう呼ばれています…この地方に英語読みが多いのはそのせいです…

 

 移民の移動は文化も移動させます…豊富な森林や鉱物資源は本国同様の「家」を作るのに困りません…やがてワシントンやジェファーソンを中心とした戦い「独立戦争」でイギリスからの独立を果たします…ちなみに、その時に「独立宣言文」を批准した最初の13の州の数が今も国旗のストライプの数になっています…

 

 アメリカ=新大陸の歴史はこの時この地域から始まったと言っていいでしょう…それには大西洋を超える海路の発展も大きく…彼らイギリス人は(地図的には下の)チェサピーク湾からも上陸します…ここに本国のイギリスを夢見る富裕層は石や木で、より威圧的な役所や裁判所や公共施設で街並みを造ります…

 

 同じく地図的には少し上のハドソン川沿いにはオランダ人が入ります…でも彼らはあまりこの地域を動く気はなかったようです…なんとかダムという呼び名の街があります…もちろん本国のロッテルダムとかアムステルダムを懐かしんだ名前です…

 

 さらにデラウエア川から入った勤勉なドイツ人やスコットランド系のアイルランド人たちはここを拠点に新大陸の内部に向かいます…ちなみにスコットランドの聖人が聖パトリック…彼を祝う日には街が緑色に染まるというのも人と一緒に文化も動いた証拠です…特にことが宗教的ならなおさらのことです…

 緑色はアイルランドの色、幸運の四つ葉のクローバーが国花です…

 

 また彼らの前に立ちふさがったのが、東海岸に沿って南北に長いアパラチア山脈です…その奥には中西部の広い土地が広がり、山もそんなに高くないのに越えようとはせずに一部の人と文化はそこに定着します…そんな彼らを山に住む人たち=ヒルビリーと今も呼びます…この山脈がアパラチア山脈です…

 

 もうひとつの大きな山脈が大陸の西に聳えるロッキー山脈です…

 

 その西には温暖な気候と太平洋が広がります…このロッキー山脈は東海岸から入った人たちには超えがたい山として立ちはだかります…この事情は山脈の太平洋岸に暮らす人たちにとっても同じで…この強固な後背地に守られて、大陸の西海岸沿いに北上してきたスペイン系の人たちが多く住むことになります…この地方にスペインやイタリア人などスペイン語圏の地名が多いのはこのためです…そのロッキーも通称「オレゴン街道」が発見されてアメリカ全土が結ばれることになります…この道の発見はゴールドラッシュもあってカリフォルニアを目指す開拓者たちの一大通路になりますが、その後の鉄道開発で次第にその存在も薄れてゆきます…ゴールドラッシュに沸く人たちを49=フォーティナイナー、彼らが好んだ歌が「愛しのクレメンタイン」さらにこの時にブルージーンズなどが生まれたのはよく知られています…

 

 アメリカ建国のはじめ今のニューイングランドから入った移民は、やがてより広い中西部を目指して西海岸にも到達、行く先々であるいは定着しながら母国の文化も広げてゆきます…こうした彼ら=移民の足跡ともいうべきものが地名としてアメリカの各地に残っているのです…

 

 そして彼らが造った「家=家並み」もまた文化の一端を担いながら、変化をしてゆきます…新しい町や旧大陸のような権威主義的な建物がある街…移動をしながらアメリカ的になってゆく街など…「家」はより重要なアメリカ的な表現のピースの一つになってゆきます…

 

 独立前には各民族共にそれぞれの母国の建築方法で「家」を作ります…でもそれは多分に敵から守るという「防御的」なものでした…「敵」とはインディアンのこと、彼らを駆逐したり服従させることのために「家」は造られたと言ってもいいでしょう…つまりアメリカという国は友好的な「敵」から奪って作られた国でもあったというわけです…

 

 やがて産業が盛んになり労働力が都市部に集中、防御的な「家」は家族の「形成」へと姿を変えます…つまり建築は中西部へと広がり、それとともに材料の供給やより建築しやすいようにモジュール化されたのが2×4です…

 

 2×4の急速な発達は「家」の風景を均質化しますが、すればするほど「いや違う」といって本来の、言って見れば先祖帰りした建築もあるのがアメリカの「家」の「多様性」だということです…

 

 つまり「家」も含めて文化の「多様性」がモザイクのようにアメリカ全土に残ります…

アメリカは「新大陸」とも「新世界」とも呼ばれた広大で自由と夢の実現が可能な土地でした…

 

 「ヨーロッパ=旧大陸」では蒸気機関をきっかけにした「産業革命」が始まり「宗教改革」による宗教的な圧迫感や古い政治体制から逃れるように「新大陸=新世界」を目指したのです…

 

 「独立戦争」を体験し「南北戦争」を経て、やがてアメリカは一つになってゆきます…このモザイクの一片一片が生み出す文化の「多様性」こそが今のアメリカであり、彼らの先祖が皆モザイクの一片を持った「旧大陸」からの移民だとしたら…?

 あのカミツキガメやアメリカ第一主義の彼らの歴史を、アメリカは今また繰り返しています…あの時の痛みはすっかり忘れて…です!

 

 アメリカという国はそういう国なのです…

 

 ありがとう

 あなたのダンボの耳と目で見れば、アメリカの「家」もわかるというものです…

 次回は「さて日本は?」というお話です…う〜ん