こんにちは

 

 ムンクの「叫び」は世界でも有名な絵画のひとつでしょう…

ノルウェーのエドゥアルト・ムンクのこの絵…同じ構図でいくつかあることでも知られています…この絵が今日本に来ています…

 何よりも画面中央の人物の”特異"なポーズと言い、画面全体を覆う不気味な色と筆致が見る人の心をざわつかせて…誰の心にもある不安や動揺を誘うようです…

 

 画面の色調はノルウェーの白夜の色調だと言われていますが…表題とともに妙に印象的で心に残る絵です…

 

 いったいこの絵の主人公は何を見て、あるいは感じて叫んでいるのでしょう…

遠景にたたずむ人物は何も叫んではいないようです…広がる空は白夜特有のもので、画面全体をうねるように描かれています…このうねりや色彩も印象的です…

 

 話を変えて…僕たちの生活には音が降り注いでいます…交通機関でもデパートでも、スーパーでも街でも通りでもBGMやアナウンスとどこでもです…それらはたいてい天井の小さなスピーカーから流れています…

 

 その音はデジタルがほとんどです…人間に「攻撃的」な音です…

デジタルは電気的に信号化された音で、言ってみれば電気信号の集合体…雑音と思えるものを排除してメッセージだけを強調することができます…今ではCDなどの音源のほとんどがこれです…このように整理された音は自然界にはないものです…いわば人工的につくられ、あるいは操作をされた音と言えます…

 

 雑音をそぎ落とされた電気的な信号音はキレイではあっても、人間には「攻撃的」です…それも無意識にです!

 それが頭上の天井から降ってくればさらに攻撃力は増し、それを聞かされる人間の体や心は無意識にへとへとに疲れます…

 

 健康大事から耳=聴力の大切を説くのにこの人工的なデジタル音を注意して、自然界で聴く「アナログ音」に意識を払わないからです…人間の体はアナログにできています…さらに耳には三半規管という大事な器官もあります…

 

 こうして僕たちは作られた「音」のダレ流し攻撃に、いつもさらされています…

 

 この攻撃から逃れるように、大きなヘッドフォンを耳に自分の世界に浸る若者もいます…そんな彼らの音源もデジタルなのにです…この攻撃性から身を守っているようで、実は攻撃を直接的に受けているのがわかりません…ヘッドフォンは自分のテリトリーの存在の主張であり、外界と遮断することを意味します…

 孤独な人間の一丁あがりです…

 

 でも考えてみてください…

ムンクの「叫び」は外に向かって叫んでいるのではなく、あれは周囲の音から逃れるように耳を塞いでいるのではないですか?…そして自分でありたいという「叫び」にも思えます…都会の僕たちの耳に鳴り響く意味のない音から耳を塞いでいるのではないのでしょうか?…

 

 やはり僕たちはこの地上に満ちる様々な音を聞くようにこの耳を持っています…

「叫び」たいのは「うるささ」から耳を塞ぎたいからです…と僕は考えます!

 今の時代に考えるムンクの「叫び」です…

 

 

 話は違いますが…ノルウェーと言えば僕たちにはビートルズのあの曲…そう「ラバーソウル」の中の「ノルウェーの森」ですが…村上春樹さんの同名の小説も有名です…その中で印象的なのはフランスのピアニスト、ロベール・カサドジュのモーツアルトに関する記述です…彼のモーツアルトは独特です…ここ何年も年始めの最初の曲は彼の「戴冠式」で、ここの記述には思わずニヤリとしました…もちろん来年の僕の二ユーイヤーコンサートはまた「戴冠式」です…それにしても、モーツアルトのピアノ協奏曲特に第二楽章はどうしてこんなに美しいんだろう…天才の若すぎる死、シューベルトといい「ビンボーは芸術の敵だぁ!」と「僕」は「叫び」ます…

 

 

 

 今日もありがとう

 いっときやはり女性に人気のあったハードボイルド、「初秋」などスペンサー・シリーズがありました…作家はロバート・パーカー…その中にジャズシンガーのジョニー・ハートマンの一文がありました…彼の来日時はまだ日比谷公会堂の頃、前列に俳優の殿山泰司さんがいたのを覚えています…カサドジュといいマニアはこんな一文にニヤリとするもンです

 ね、ご同輩!