ガンが発覚したのはだいぶ以前の話で、書こうとは思っていたのですが、生来の無精者にてついついほったらかしにしておりました。

昨年の11月初めの頃だから、もうほぼ1年経とうとしてますね。我ながらビックリ!笑

 

昨年10月下旬位から息切れするようになり、だんだんそれがひどくなってきて、これはさすがに変だとなって、近所の呼吸器内科に行ってレントゲンを撮ってもらったら、右の胸が真っ白で、即座に近くの総合病院に緊急入院することになりました。これが11/10のことで、急性胸膜炎との診断でした。11/14に体重計測しましたが65.4kgで、ちょっと痩せたなという間隔でした。

2週間近くこの病院に入院していろいろ検査したのですが、確定的なことが診断できないということで、さらに大きい総合病院に11/25に転院しました。

 

入院中、自分で調べたところによると、急性胸膜炎は付随して発生する症状で、その原因になるのは1結核、2肺炎、3ガンのほぼ3択ということで、まず結核の可能性はないと思っていて、以前から咳喘息のような症状が出ることはあったので、肺炎であることを期待していましたが、心中かなり、これはかなりの確率でガンだなと思っていました。

それで、ガンから急性胸膜炎を発症した場合の予後のデータを調べたら、5年生存確率が1割くらいというデータが出てきてかなり落ち込んだりしてました。

 

当時、体の症状としてキツかったのは、とにかく息切れして歩くのがつらいということで、その原因は急性胸膜炎で右胸に水が溜まって肺が溺れたような状態になっているからだということはハッキリしていたのでその水抜きから治療が始まりました。

 

途中の経緯はまた、機会を見て述べたいと思いますが、11/27の検査で左腎臓の腫瘍からの疑いが濃いが、生体検査で、実際に癌化細胞を発見しないと確定診断が下せないということで、その日に生体採取の手術をしてもらうことになりました。

 

最終的に成分検査の結果が出て、やはり癌化細胞が見つかり、診断がほぼ確定になったと聞いたのが12/4のことでした。ここまでは呼吸器内科で胸の水抜きの治療がメインでしたので、呼吸器内科の先生からの説明でした。

 

そして、12/7に腫瘍内科の先生から病状説明を受けることになり、

病名 腎臓癌、肺転移

腎臓癌が血流に乗って肺に広がっていると考えられ、進行度は既にステージⅣで、手術や放射線治療は難しく、抗がん剤治療しかない。

抗がん剤で癌を完治はできない。抑えてうまく付き合っていくための治療であり、効果も副作用も個人差が大きく高い効果が長く続く人もいれば、全く効果のでない人もいる。

私の場合の抗がん剤治療は免疫細胞(リンパ球)を刺激して活性化し、癌を攻撃するよう仕向ける薬剤であること。

吐き気や脱毛の副作用はほとんど生じない一方で、免疫が活性化しすぎることによる副作用が生じることが多いことなど、あと、根治の難しい癌の治療をしていく上で、周囲のサポートはとても重要になる。

 

概略、以上の説明を受けました。

その後、胸膜炎の方の治療が無事に終わり、12/11に退院して、後は通院治療ということになりました。

 

胸の水は驚いたことに8リットル以上溜まっていて、1日500CCずつ水抜きしていって2週間以上かかりました。退院前の12/10に体重を量ったところ、水を抜いた分と、病院食が激マズでほとんど食べられなかったこともあり、53.2kgまで落ちていました。

 

長文になってしまい、申し訳ありません。途中のエピソードやその後のことについてはまた、気の向いた時に書かせていただこうかと思います。

 

幸い、現在、いろいろ人間関係等の悩みはあるにせよ、ほとんど闘病感はなくて済んでおり、たぶん普通の人が見たら、誰も私をそういう癌患者であるとは思うまい、と感じています。体重もリバウンドしすぎており、もはや70kgに近づこうかという段階に達しています。笑

パナソニック優勝おめでとう。

福岡が最後の最後に、どうしても経験できなかった念願を果たせて、ホントに良かった。悔いを残さず引退できて羨ましい。

これからの医師への道も山あり谷ありだと思うけど、我が道を進んでいって欲しいと願います。

ところで、バレットは今シーズン限りなの?

以前の記事見ると、まだ高校生の時のスピードスケートの高木美保の記事とかあったりして、もう10年くらい前の話かと思ったりするわけです。

それで何を書くか考えるのですが、とりあえず私の人生の重大事を書いておきます。

昨年11月初め頃から急に息切れが酷くてちょっと動いては休憩することをしないと動けない状態になりました。
しばらくは病院にも行かず、様子を見ていたのですが、11月10日に我慢できなくなり、家の近所の呼吸器内科に行ってレントゲンを撮ってもらったところ、右肺が真っ白で、ウチでは手に負えん、というわけで紹介状をもらって近くの総合病院に緊急入院することになりました。
そこで、急性胸膜炎と診断され、右肺に水が溜まって、ほとんど使えない状態になっているので、息苦しいのだという説明を受けました。入院時の体重が65kg強でした。

それで、問題は急性胸膜炎の原因が何か?ということでだいたい大きくは3とおりの原因しかない、ということで、
1. 結核からくるもの
2. 肺炎からくるもの
3. 癌からくるもの
の3パターンであることが、ネットで調べてみてわかったことでした。
1.の結核から、というのはそれまでの状況からちょっと考えられず、私としては2.の肺炎からであって欲しいと思っておりましたが、状況的に3.の癌からの方の可能性が高いような気もしておりました。

後に続きます。

<五輪スピード>長島「銀」、加藤は「銅」 男子五百
(毎日新聞) 2/16 13:01

 【バンクーバー飯山太郎】バンクーバー冬季五輪第4日の15日(日本時間16日)、当地近郊のリッチモンドの「五輪オーバル」でスピードスケート男子五百メートルを行い、長島圭一郎(27)=日本電産サンキョー=が銀メダル、加藤条治(25)=同=は銅メダルを獲得した。1回目で6位だった長島は、2回目で34秒87の好タイムをマーク。1回目3位の加藤は2回目を35秒07で滑り、合計タイムで3位となった。

 及川佑(29)=びっくりドンキー=は13位、太田明生(25)=JR北海道=は17位。牟太※(モ・テボン、韓国)が優勝した。また、1回目の前半10組が滑り終えた後、整氷車の故障で競技が大幅に遅れるトラブルがあった。

 男子五百メートルは、84年サラエボ五輪で北沢欣浩が2位に入って以降、6大会連続でメダルを獲得するなど日本の得意種目だったが、前回の06年トリノ五輪では及川の4位が最高でメダルゼロに終わっていた。

 このほか、フィギュアスケートはペアのフリーがあり、前日のショートプログラムで3位につけた川口悠子、アレクサンドル・スミルノフ組(ロシア)が旧ソ連時代から続くロシア勢の13連覇を目指して登場。
 ※金へんに凡
http://vancouver.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100216-00000044-mai-spo


 男子スピードスケート五百メートルでメダル2個は予想以上の好結果。長島か加藤のどちらかでメダル1個とれればいいと思っていた。韓国勢が優勝しそうな気がしていたがモ・テボンがきたのはちょっと予想外だった。それにしてもネットでニュース見ているだけだとやはりいまいち盛り上がりませんな。
愛子、悔し涙の4位「何で一段一段なんだろう」…モーグル
2月15日8時1分配信 スポーツ報知

 ◆フリースタイルスキー 女子モーグル(13日・サイプレスマウンテン) 愛子、このままでは終われない! 女子モーグルの予選と決勝を行い、悲願の金メダル獲得を狙った昨季世界女王・上村愛子(30)=北野建設=は4位に終わり、4度目の五輪挑戦でまたもメダルを逃した。27人中20人が決勝に進む予選は小さなミスが響き5位で通過。決勝での逆転を狙ったが、表彰台に届かなかった。メダル獲得で視野に入れていた現役引退の既定路線を一時凍結。“5度目の正直”をかけて4年後のソチ五輪を目指す可能性を残した。

 雨よりも涙で顔をぬらした。悲願のメダルは、雨風すさぶ山の中へと消えていった。「悔しい…。なんでこんな一段一段なんだろう」。98年長野の7位から1大会で1つ順位を上げての4位。五輪4大会、12年の集大成をかけたレースで、精いっぱい手を伸ばしても届かなかった。「メダルが手の中に入らず、すごい悲しい気持ちになった」愛子は、あふれ出る12年分の悔し涙をグラブで何度もふいた。

 「あそこで1番が欲しかった」という予選を5位で通過。後続の選手の得点を見つつ、審判の採点の印象が優位となる上位で予選を通過していれば順位が変わっていたかもしれない。決勝では予選と同じ第2エアのわずかな着地ミスが響いた。6位通過のバーク(米国)に後れを取り、後続4人を残して暫定2位に。不本意な他力頼みの考えを捨てて結果を待ったが、地元のトリノ五輪女王ハイル、優勝したカーニー(米国)に追い抜かれた。

 今季課題にしてきたエアは全体2位。採点の5割を占め、最も得意とするターン点は全体5位で伸びず、タイム点で差をつけられた。2冠を達成した昨年3月の世界選手権(福島・猪苗代)では愛子のターンが光ったが、雨で緩んだ五輪コースはスピードが勝敗を分けた。「本当にパワフルな滑りをした人が(表彰台に)入った。けど、この舞台で自分らしくしっかり滑れたのが良かった」。4年間、貫いてきたターン技術に集中した。

 試合前に初めて不安にならなくなった。世界選手権2冠で成長した。「あそこで変われたと思う。この4年間、1年1年、成長できた。支えてくれるみんなのことを考えると涙がどんどん出てきます」。スタート地点で送り出してくれたヤンネ・ラハテラ・コーチ、雨中の観客席の母・圭子さん(58)、そして日本で見守ってくれた夫・皆川賢太郎(32)=竹村総合設備=の顔を思い浮かべた。

 中2の冬に初めてモーグルと出会った思い出の地カナダでメダルを取り引退する決意だったことも明かした。「メダルを取れたら、それこそ辞めていたかもしれない」。思い描いてきた大輪の花は、五輪のゲレンデで咲かすことはできなかった。「ここから先はまた、時間がたってもう少しゆっくり考えようかなと思う」と愛子。親しい関係者は「愛子のことだから、きっとまたやりたくなる」と話す。3月のW杯猪苗代大会には出場するが、その後は未定だ。気持ちは霧の中。心の中に晴れ間が出てきた時に再び「一番気持ちいい滑り」を求めて動き出すに違いない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100215-00000068-sph-spo


 本人も言っていたように精一杯やった結果としてあと一歩メダルに届かなかったというのが正直な印象。採点結果を見ると、ターン点が全体の5位にしか評価されなかったのが響いたという格好だが。
バンクーバーで日本勢のメダルはおそらく3~5個くらいではないだろうか。可能性があるのは10種目くらいはありそうだが。