生まれてからこの方、
一度も生きようとしてこなかった人が、
思いの外多い気がしています。
もちろんそんなこと、だれも思ったことはありません。
特には考えずに生きています。
ひょっとすると、時折「死にたい・・」 なんて
考えることはあったかもしれませんが、
しばらくするとそんなことどうでもよくなって、
またなんとなく生きていきます。
それでも多くは「生きているつもり」はあって、
「一度も生きようとしたことがない」なんて言われると
「そんなことはない」と即答されるとは思うのですが、
でもすぐに目的を見失い、途方にくれたり、
しょうがないので形だけ整えて、
「それで良かったこと」にしていたりします。
その内「生きること」にまじめに向き合うのをやめ、
そんな仰々しいことは棚に上げてしまいます。
そして、そんな動機そのものが「必要ない」とばかりに
何が「好き」か、何が「嫌い」かといった、
その時々の感情に反応して過ごしてしまいます。
でも、そもそも「目的」というものは、
そんなに仰々しいものでも、特別のものでもなく、
ちゃんと「本音」があれば、「ポンポン」と出てきて、
当たり前のようにそっちに向かって動き出すものです。
人はその目的がないと
「死に行く行程」を生きるのだそうです。
そう、目的が「死に行くこと」になってしまうわけです。
もちろん、そんなつもりはありませんが・・。
多くの人にとって、
「死」は最も遠ざけたいものかもしれません。
でもそれは健在意識の方の思いであって、
(あるいは肉体の方の意識かもしれませんが・・)
実際には「死」に向かってしか生きようとしない人は
やっぱり多い気がします。
でも私はその原因が、幼少の頃、
あるいはひょっとするとそのもっと前に、
あがなえない様々な恐怖や絶望感、深い悲しみ、罪悪感等、
一人では立ち向かえない強烈なエネルギーにさらされて、
諦めてしまったのかもしれないと思うのです。
私のように、「死」を願ったり、
何かを強く宣言したのかもしれません。
自分でそれを確認することは難しいかもしれません。
でも、そうだと仮定しても、しなくても、
今私たちにできることは、自分の「本音」に向き合い、
「目的」を設定してみることだと思います。
大きなものでもいいですが、
小さなものでもいいと思います。
ただ、そこに向かって必ずやり遂げるスタンスが
「生きている」状態を生み出します。
おそらく「愛」は、「生きている」瞬間にしか
生まれないし、手に入れることも、包まれることも、
与えることも、満たされることもないのでしょう。
もし今まで、「愛」に「満たされていない」と感じていたら、
それは「目的」がなく、「生きよう」としていず、
「生きること」を諦めていたり、
「生きない」ための宣言をしているのかもしれません。
最後までお読み頂きありがとうございました。
無料メルマガ書いてます♪↓
こちらはブログの↓


