不安な足取りで病院に着いた。 心は、身体よりも重い。 この先、何が起ころうと
しても心だけはしっかり支えていかないといけない。
そうしないと、何もかも潰れてしまう。
「どうしましたか」
いつもの優しいA先生の顔を見ると、昨日の衝撃的なのた打ち回る痛みとコカコーラーの褐色の
おしっこの話をした。
「A先生、顔も目も黄色いんです。 肝臓が悪いんでしょうか」
そう言うと、A先生は「よく知っているね。 これは急性肝炎です。 あの痛みによく耐えられましたね。
男の人でも我慢出来なくて救急車を呼ぶのに。 あなたは、なかなか我慢強いですね」
こんな時に褒められても、ちっとも嬉しくなかった。
「即入院して下さい。 二,三週間ほど入院したら急性肝炎は治ります」
「すぐに入院!! 一週間後じゃダメですか。 まだ、仕事が残っているんです」
すると、温和なA先生が物凄い形相で怒り出した。
「あなた、自分の身体と仕事どっちが大事なんですか!! このまま放っておいたら死にます
よ!! よく考えなさい」
その厳しい言葉に私は、しぶしぶ了解した。
急性肝炎。 約一ヶ月の入院。 突然ストップさせられた人生。
「急性肝炎の原因は何ですか」
「働き過ぎですね。 しばらく、静養するつもりでゆっくりしたらいいですよ」
働き過ぎか・・・周りの景色も見ずに走り続けてきた人生だったからな。
二十歳で結婚して、二十五歳で小さい子供達ふたりを抱えて離婚した。 それからは、生活を
支える為に働き詰めだった。 ただ、他と違ったのは仕事を成長の場と捕らえ、自分を向上させ
る為に必死に仕事をしていたから、悲愴感など微塵もなかった。 だから、仕事は楽しかった。
亡き父親は、よく「仕事は権利であって、義務ではない」と言う言葉を口にしていた。
だから、仕事は楽しんでやるべきである。 仕事があることは、誇らしい事だ! とも言っていた。
それなのに、中断させられた私は不完全燃焼のように燻ぶっていた。 燃え尽きて、それで死ぬ
のなら感無量だとさえ思っていた。
当時長男の勇貴は中学一年生で、次男の裕之は小学六年生だった。 そんな子供達を残して死
ぬことなんか出来なったはずなのに。
身体の弱かった私は、子供の頃からいつ死んでもおかしくないと思って生きてきた。
桜が満開になって散っていくみたいに、美しく散ることに夢を見ていた。 夏の花火のように、
華やかに美しく散っていく人生の方が私にはお似合いだ。
入院することを子供達に告げると、ヒロが抱きついてきた。
「お母さん、死んだらイヤやで!! お母さんが死んだら僕も死ぬから」と泣きじゃくっている。
「大丈夫よ、お母さんアンタらの事が心配やから死ぬわけないでしょう。 ちゃんと、病気治し
て帰ってくるから、心配いらないよ」
そう話すと、安心したように笑顔になった。
この子供達の為にも、私は頑張らないといけない。 病気なんかに負けてられない。 先生も
言ってたじゃないの。 私は強いって!!
そう自分に言い聞かせた。 子供達を不安にさせたらあかん。 涙と振り払って、子供達の髪の毛
を撫ぜた。
「ねえ、知ってる? ヒロもユウもいるから、お母さんは頑張れるんだよ。 病気なんかチョチョ
イのチョイで退治してくるよ。 お母さんは、スーパーマンやから負けへんで」
それから、自分の親に電話した。 あまり行き来のなかった母親は、ビックリして飛んで来た。
いつも、人に迷惑を掛けるなと言われていたから、頼ることも出来なかった。
でも、これは緊急事態やから母親に頼るしかなかった。 案の定、心配を通り越して怒られた。
怒りながら、会社をしばらく休んで子供達の面倒を見てくれることを約束してくれた。
一番甘えたかったのは、母親だった。
しても心だけはしっかり支えていかないといけない。
そうしないと、何もかも潰れてしまう。
「どうしましたか」
いつもの優しいA先生の顔を見ると、昨日の衝撃的なのた打ち回る痛みとコカコーラーの褐色の
おしっこの話をした。
「A先生、顔も目も黄色いんです。 肝臓が悪いんでしょうか」
そう言うと、A先生は「よく知っているね。 これは急性肝炎です。 あの痛みによく耐えられましたね。
男の人でも我慢出来なくて救急車を呼ぶのに。 あなたは、なかなか我慢強いですね」
こんな時に褒められても、ちっとも嬉しくなかった。
「即入院して下さい。 二,三週間ほど入院したら急性肝炎は治ります」
「すぐに入院!! 一週間後じゃダメですか。 まだ、仕事が残っているんです」
すると、温和なA先生が物凄い形相で怒り出した。
「あなた、自分の身体と仕事どっちが大事なんですか!! このまま放っておいたら死にます
よ!! よく考えなさい」
その厳しい言葉に私は、しぶしぶ了解した。
急性肝炎。 約一ヶ月の入院。 突然ストップさせられた人生。
「急性肝炎の原因は何ですか」
「働き過ぎですね。 しばらく、静養するつもりでゆっくりしたらいいですよ」
働き過ぎか・・・周りの景色も見ずに走り続けてきた人生だったからな。
二十歳で結婚して、二十五歳で小さい子供達ふたりを抱えて離婚した。 それからは、生活を
支える為に働き詰めだった。 ただ、他と違ったのは仕事を成長の場と捕らえ、自分を向上させ
る為に必死に仕事をしていたから、悲愴感など微塵もなかった。 だから、仕事は楽しかった。
亡き父親は、よく「仕事は権利であって、義務ではない」と言う言葉を口にしていた。
だから、仕事は楽しんでやるべきである。 仕事があることは、誇らしい事だ! とも言っていた。
それなのに、中断させられた私は不完全燃焼のように燻ぶっていた。 燃え尽きて、それで死ぬ
のなら感無量だとさえ思っていた。
当時長男の勇貴は中学一年生で、次男の裕之は小学六年生だった。 そんな子供達を残して死
ぬことなんか出来なったはずなのに。
身体の弱かった私は、子供の頃からいつ死んでもおかしくないと思って生きてきた。
桜が満開になって散っていくみたいに、美しく散ることに夢を見ていた。 夏の花火のように、
華やかに美しく散っていく人生の方が私にはお似合いだ。
入院することを子供達に告げると、ヒロが抱きついてきた。
「お母さん、死んだらイヤやで!! お母さんが死んだら僕も死ぬから」と泣きじゃくっている。
「大丈夫よ、お母さんアンタらの事が心配やから死ぬわけないでしょう。 ちゃんと、病気治し
て帰ってくるから、心配いらないよ」
そう話すと、安心したように笑顔になった。
この子供達の為にも、私は頑張らないといけない。 病気なんかに負けてられない。 先生も
言ってたじゃないの。 私は強いって!!
そう自分に言い聞かせた。 子供達を不安にさせたらあかん。 涙と振り払って、子供達の髪の毛
を撫ぜた。
「ねえ、知ってる? ヒロもユウもいるから、お母さんは頑張れるんだよ。 病気なんかチョチョ
イのチョイで退治してくるよ。 お母さんは、スーパーマンやから負けへんで」
それから、自分の親に電話した。 あまり行き来のなかった母親は、ビックリして飛んで来た。
いつも、人に迷惑を掛けるなと言われていたから、頼ることも出来なかった。
でも、これは緊急事態やから母親に頼るしかなかった。 案の定、心配を通り越して怒られた。
怒りながら、会社をしばらく休んで子供達の面倒を見てくれることを約束してくれた。
一番甘えたかったのは、母親だった。


