膝が笑うって言うのはこういうことかと、やけに冷静なような、パニックなような頭をフル回転させながら中庭まで避難しました。


照明が落ちてしまったため、そして防火扉が閉まってしまったため、さらには天候が悪くなってきてしまったため・・・

暗くなった階段を一段一段下りました。

携帯のライトで足元を照らしながら、そして周りにいる友人たちの顔を見ながら。


ありえないくらい汚い階段。清掃員の方がキレイにしてくださっている階段が、こぼれてしまった壁や割れたタイルなどで粉っぽくなってしまっていました。

とっさにショールで口元を覆いました。粉塵を吸い込んだらヤバい!?と考えたんだと思います。


私の学校の代名詞になっているようなものに『赤レンガの校舎』があります。

外の渡り廊下、校舎の外壁が赤レンガで覆われているのです。

その壁には亀裂が入り、床も隆起したり割れて砕けている所もありました。


(これは夢、だ。)


上着を着ずに貴重品すら建物の中に置き去りにして逃げてきた学生もいました。

そんな中、どんどん雪は強くなり、積もっていきます。

就職活動中の友人はスーツのスカートにストッキング、パンプスという格好・・・

とにかく一刻も早く建物の中に入りたかった。


周りにいた人たちは、家族や友人と連絡を取り続けていましたが、繋がっている様子はありません。

私は祖母の安全も分かったのであえて電話はかけず、ネットに接続しました。


(災害用伝言板・・・)


yahooトップメニューにはまだ災害用伝言板は出ておらず、Myメニューから入ることにしました。

その時、トップニュースに“震度7”や“津波警報”とあるのを見てテンションが上がるのが分かり、怒りとも焦りともいえない表現しがたい感情をどこにぶつけたらいいのか分からないまま。


災害用伝言板の家族宛のメールアドレスに『大学にいます。無事です。車で来ているので落ち着いたら帰ります。』とだけ打ち込みました。

mixiもtwitterも繋がりました。facebookも繋がりました。

それぞれに『大学にいます。無事です』と書き込み、友人や親戚に見られるようにしました。



ワンセグで状況を確認しようとしましたが、どの局もパニック状態でどんな状況なのか全く分からない。

ただ、それだけで異常、緊急事態だということが分かりました。


大学の職員や教員の方も何をしていいのかわからない様子で、30分近く吹きっさらしの中で待機。

ようやく学科別、学年別の整列が始まり、名簿で確認をしたかとおもえば、さらに待機。


その待っている間も余震は続き、中庭の何もないただ広いだけのところで立っているのに揺れているのが分かりました。



友人の一人は寒さではなく、ショックでずっと震えていました。

顔は真っ白で「どうしてABUちゃんはそんなに冷静なの?」とだけ繰り返しながらただただ立っていました。

多くの学生が落ち着きを取り戻す中、その子は携帯を見ることすら忘れていたようです。


ちょっと意識を変えるために「ほら、○○くんは大丈夫かな?メールしてみたら?」と周囲が促すと

「あ、忘れてた。いま本気で自分のことしか考えられない」

と少し離れた所にある実家(連絡は取れていたみたいでした)のことを心配していました。



しばらくして、大学体育館に誘導されましたが唖然。

窓が割れていて、天井が剥がれかかっている状態。

「この辺りに固まって」という指示がありましたが、学生も多いし拡声器もないため聞こえない。


その後、


バスで帰宅する人

JRを利用する人

徒歩圏内に住んでいる人


と分けられたりもしましたが、運行がストップしている以外情報が何も入ってこないため無駄でした。

学校付近に住んでいる一人暮らしや自宅生ですら帰宅困難だったのです。



17:00も近くなった頃、貴重品や荷物を取るために校舎に入ることが許されました。

もといたパソコン室はただの瓦礫の山のように見えました。

先生方の研究室のドアは開くわけもなく、天井付近にある通気窓を無理やり突破してこじ開けました。


今だから言えますが、ちょっとした冒険、RPGやアドベンチャーの世界にもぐりこんだような雰囲気だったのを覚えています。


自分の荷物がどこにあるのか分からない。

どこからか音がするけど、それが何の音なのか分からない。

地鳴りが聞こえ、続く余震。

とりあえずパンプスの子に履き替えさせるスニーカーとジャージを引っ張り出し、使えそうなひざ掛けを掘り出しました。


中高でいう生徒会室のような部屋も棚に入っていたものが全て床に投げ出されて、片付けのことを考えるのも嫌なくらいメチャクチャ。

ジュースも吹っ飛んでいるし、分別していたゴミ箱も倒れて散らばって。


(この学校は、もう、無理かもしれない。)


本気でそう思える状態でした。



一人暮らしをしている友人の家から、避難所として使うことになった大学体育館まで防寒着を持ってくるため、2人ペアで外出することを許されました。

アパートまで向かう道も壊れ、隆起し、マンホールなんか30cmくらい?いやそれ以上盛り上がっていたように思います。


TVで見た戦後の様子のように思い、今後の生活を覚悟しました。

でもやっぱり現実としては受け入れられず、


「明日のベガルタのホーム開幕どうなるかなぁ、やるかなぁ?」


なんて話をしていました。とんでもない事です。



雪で体が凍えていたこともあり、何だかんだで大学体育館に戻ってきたのはすっかり暗くなった19:00近くでした。

先生方に許可を取り、車で帰ることを伝えると、


信号が動いていないこと

道が凍り始めるほど急激に冷えたこと

余震がまだ続くこと


などたくさんの留意点を伝えられ、家に着いたら届かなくともメールをするように何度も何度も言われ、やっとのことで帰していただきました。



softbankもwillcomも回線がパンクしていて家族とは連絡ができず、ラジオやテレビのニュースでも同じような情報が繰り返し流れる。

ちなみにこの時点でのマグニチュードは8.8に修正された所でした。


辺りは街灯もなく。

皮肉なことに雪もやんで晴れ上がった夜空に星がとってもきれいに輝いていました。


(明日になれば、何とかなるだろう。)


この時は沿岸部がどんなことになっていたかも知らずに、帰途についたのです。

3月11日、金曜日。


人生の中で初めてじゃないか・・・というくらい激ハードな2月のスケジュールをこなしたばかりなのに、既に3月末まで予定がびっちりで泣きそうなくらい追い詰められていました。


自分のやりたいことをやっているんだけど、でもやっぱりやりすぎな気がしたりして、自分に自信がなくて。

各所に迷惑ばかりかけているのでは?と憂鬱な日々を過ごしていました。



そしてこの日は、急に大学の先生に呼び出された関係で前後の予定がビッチリと詰まってしまい、祖母から車を借りて学校に来ていました。

本当はダメなんです、近所の本屋さんの駐車場にコッソリ停めていました。


15:00には富谷町の小学校に着いていなくてはいけない。

なのに、先生は14:00頃に来てください、とのこと。

1つの用事だったはずでも次から次へと思い出していくので、先生に呼び出されると最低1時間は見ないといけない・・・とちょっとため息。



少し早めに学校に行って、パソコンで用事を足しておこう。

13:00頃に学校着。


卒業を間近に控えた4年生の先輩たちが卒業式で着るガウンを借りに来る日。

春休みだというのにいつもより少し賑やかでした。

久しぶりに会えた先輩もいて、ちょっと嬉しかった。



小学校の演奏会の司会役もあるから、インタビューの確認をして

学院広報誌に取材されて掲載されていた中にミスを発見。

担当の広報さんに電話で問い合わせをして

インドの小学校の件で少し東京の方と連絡を取って

20日に行われる定期演奏会の司会原稿を直して・・・


と思っていたら2つ目の作業を終えたあたりで先生から連絡が。

研究室に行ったら、意外とあっさり用事は済んで、ちょっと拍子抜け!

しかし急遽4年生の方にお願いすることができて、ギリギリまで学校にいることに。

外では雪がちらつき始めていました。


(演奏会は16:30だから間に合うな、よし。)


東京にあるNPOの事務所の方にコンタクトを取って送信、でも司会原稿を直す時間はないか・・・と思ったその時、カタカタカタ・・・と教室がゆれ始めた気がしました。


「最近、地震多いよね。NZもだし、中国もだし」

とパソコン室にいた誰かが言っていたけど、2日前の3月9日に起こった地震と同じくらいの揺れだったから、特に気にも留めませんでした。

『あれだけ揺れても宮城県沖地震じゃないんだも・・・』


ドンッ


ゴゴゴゴゴゴガガガバンッガシャガシャダンダンッゴゴゴゴ


バタンギシギシドスンゴン


ドンッ


ドシャンバンッバンッドドドドガンッガンッ


今までに体験したどんな揺れよりも強く、そして言葉や擬音では表せない、一瞬というにはあまりにも長い出来事。

椅子に座っていたのに、下から突き上げられる感じがして転びそうになるのです。

パソコンが倒れる可能性もあるからしゃがむわけにも行かず、机に寄りかかって立っているしかありませんでした。


いくら女子大だとはいえ、これまで何十回もの避難訓練を体験してきた大学生が身動きも取れていない。

友人たちも思考回路も働いていない様子でした。



「ドア開けてっ」と誰かが言ったのですが、ドアを開けた人はそのまま廊下に飛び出していきました。

私は、とっさに今までの避難訓練を思い出しました。


ドアから離れた場所にいたので『ドア閉めないで!』と言ったら、最初に声をかけた人が押さえに行ったようでした。

『窓に寄らないで!ガウンでも何でもいいから被って!』

建物全体から、地面から、もうどこから出ているのか分からない轟音が響き渡り、怒鳴るように声を出さないと声が届きません。


隣にいた友人は、パソコンの真ん前でひざ立ちになり

「えっ、えっ?地震?」

明らかに頭が真っ白になっています。

『いいから机の中に入れ!』

つい口調が荒くなりましたが、次の瞬間、キーボードが飛びそうになり、危うく友人にぶつかるところでした。。


私たちの学科のパソコン室には額縁に入った絵が何枚か貼ってあります。

『頭守って!上着被って!』

と言いながら私も、毛布くらいの厚さと広さがあるストールで上半身を覆いました。

普段だったらインド巻き~とか言ってふざけているけど、頭や首を守れる。役に立って良かった。


落ち着いているように見せかけていましたが、自分に一言ずつ言い聞かせるように叫びました。

壁から離しておいてある長机は片足が閉じたうえに横倒しになってしまい、何台かのパソコンが床に散らばりました。

その他の机でもモニターはもちろん、デスクトップもバタバタと音を立てて倒れて滑り落ちたうえ、教室用の机に乗せてあったプリンターも落下しました。


2度目の揺れが来たとき、電気が消えました。副手さんの顔が見えたのを覚えています。

先生方は研究室から廊下へと出てきていて、何とか学生を落ち着かせようとしていました。

廊下に飛び出した学生が我を忘れて外に出ようとしていたら様子。


最初に下から突き上げられた後、その揺れが収まる前に2度目の突き上げが来たことに驚きました。

机から出ようとしていた人を押さえ込み、私だけでも何とか冷静でいようとしましたが、頭は冷静でも体は正直、膝が笑っていました。



何とか揺れが収まったけれど、今度は机にもぐっていた人たちが出てきません。

恐怖であったり、事態が飲み込めていなかったり、立てなくなっていたようです。

『避難場所の中庭に出るよ。大きな荷物はいいから、とりあえず貴重品と上着だけもって。』

普段は明るい学校なのに、電気が消えた上に防火扉が閉まり、夜のようです。


(さすがに今日のは宮城県沖地震だろう)


『大丈夫だから、この学校は耐震工事終わったばかりだから』

先輩も後輩も、みんな状況が飲み込めていないようでした。

先生方の表情も凍り付いていて、非常事態なんだと改めて感じました。


ある人は電話が通じない、家族と連絡が取れない、と既に大パニックになっていて、わめくように話している。

その場にいたほとんどの人が携帯を手にし、メールやらネットやら電話やらをしている。

独り言のようだけど、全部口に出ている。

そんな中、とりあえず先生の誘導で中庭まで動くことになったのですが、いざ防火扉の前に来ると、緊張する。


私は両親の職業柄、どちらも無事であることを確信していました。弟も高校にいるはずなので大丈夫だと。

すると心配になるのは・・・96歳の曾祖母と73(?)歳の祖母。

家具の配置の関係で、2人とも家での定位置が大きな棚の前なんです。


willcomはいざという時に繋がりやすいという性質があります。

2人が心配だったのと、私が車を運転していると思っているかもしれないと考え、念のため、電話を入れることにしました。


『大丈夫?私は大学にいたから。みんなと一緒だから。』

「棚抑えったから大丈夫。あ、また揺れたから切るよ!」


と次の瞬間、また大きく揺れた。正直、もう勘弁してほしかったのを覚えています。

1度2度の揺れだったら余震かな?と思って笑えるけど、うんざりでした。

大きな揺れは収まったものの小刻みに揺れ続ける中、先生方の誘導で5階から階段を降りました。

みんな、誰かの腕を掴んだり、肩にしがみついたりしていました。



中庭に皆が急ぎ足で出て行く中、そんなの関係ないよ、とでも言うかのように雪の強さはどんどんと増していきました。

皆さん、ナマステ。

いかがお過ごしですか?


何度でもいいますが、ariTVのスタッフさんには「来れるときにおいで!」と優しく声をかけていただいて、本当にその通り甘えています!

いつもありがとうございます。



実は、先週の1週間はボランティアで被災地に入っていました。

直接何かをお手伝いするものではないのですが、お年寄りや妊婦さん、障害を持った、いわゆる「災害弱者」と呼ばれる方のニーズを拾ってくるボランティアです。


『避難所で状況悪化者や死者を出さない』


を目標に動いているプロジェクトです。



少し話はそれますが、私は将来“伝え手”になりたくて。

「私」というものを通して色々なことをたくさんの人に知ってほしい、そんな気持ちでいます。

話す、伝えるお仕事はたくさんありますが、一番大事にしたいことです。



今回の震災のことでボランティアに入ったとき、関東や関西から来た方とも一緒に行動しました。

たくさん思うところがあり、正直やりきれない気持ちもあります。


これは忘れてはいけないと思うし、これから自分も気をつけていかなければいけないことでもあるし、皆さんの考えも聞きたいところでもあるし、、、


とある『記録』として残しておきたいと思いました。



地震があった3月11日のことから、少しずつ書いていこうと思います。

“Earthquake”というテーマに設定していくので、後からまとめて読むこともできるようにします。



先週から来週までの3週間、そちらのプロジェクトで活動することになっているので、またariTVに行くことができない訳ですが・・・

活動内容の都合上、今週は仙台市内での活動になる予定なので、時間ができたら向かおうと考えています。



いま、いろいろな場所でたくさんの人が手伝いを待っています。


それは災害ボランティアと呼ばれる人だけでなく、

近所のお買い物に並ぶことができないお年寄りだったり

お家の中の泥を書き出す作業が追いつかない家族だったりします。

もしかしたら大学の研究室で教授が困っているかもしれません…。



交通手段がない今、被害の酷かった沿岸部に行くことはできないかもしれません。

だけど、近いところにも助けを必要としている方がいるかもしれません。


少し視野を広げて、周りを見渡してみてください。



アリバイトのブログをお借りしまして失礼しました!

ariTVのスタッフの皆さん、不適切でしたら削除しますので・・・<(__)>


*ABU