La passione commuove la vita

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情熱は人生を動かす

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人生にとって本当に大事なことは何だろうか。


人並みの幸せを手に入れる事だろうか?


物質的に豊かに安泰に暮らすことだろうか?


もちろん、これらの事が悪いとは思わないが、大事かと言われれば、そうでもないと思う。


どれだけ心の震える体験をすることができたか。


人の真似をして、敷かれたレールの上を歩いていくのではなくて、自分の心が震える事を探し続けていく事だと思う。


その過程で豊かさが手に入らなくとも、好きなこと、自分の信じる事を探求し続けていく事、色々と試すことが人生において大事なことでないかと思う。


諦めないで生き続けていれば、楽しい事もあるだろうし、チャンスも巡ってくるかもしれない。


前の会社を辞めてから2年弱の空白期間で何を得たか。


根本的に、自分はボーっとしていた事について、悪いとは思っていない。


良い悪いというモノサシではかる事はできない。


何事も二元論で物事を決めつけることはナンセンスであり、物事の本質からずれていると思うからだ。


とはいえ、この社会においては、ある程度、2極のモノサシで判断されるのは仕方のないこと。


そのように判断する人が悪いわけではない。


だから、自分に出来ることは、自分の考えを正直に話すことくらいかな。


それを相手がどう捉えるかは、相手側の問題。


『人生に意味はない』と言う事。


言い換えれば、人生の意味は自分が自由に決められると言う事。


どんな事が起きたとしても、その出来事にどんな意味があるのかは、自分が決められると言う事。


一見ネガティブに見える出来事であったとしても、そこからどんな意味を受け取るかは自分の考え方次第だと言う事。


2年以上の空白期間があったとしても、それをどう捉えるかは自分次第だと言う事。


自分が与えた意味、自分の感じていること、考え方によって、人生は創られていくという事。


空白期間に何もしていないことが悪いとは思っていない。


何かしているのは良い事で、何もしないでボーっとしているのは、悪い事と捉えるのは、そもそも善悪の判断をしてしまっている。


人生に良いも悪いもない。


生まれてきた目的は、良い事も悪い事も含めたありとあらゆる二極を体験する為なのだから。


そういう意味で、究極をいえば、どんな人のどんな人生にも等しく価値があると言う事だ。


辛い事や苦しい事を体験したとしても、それを体験できた事自体に価値があると言う事。


ただ、その体験から何を学ぶか、その体験をどう捉えて、どう次につなげていくかは自分で選ぶ事が出来るし、それによって、結果も変わってくると言う事だ。


どんな状況に対しても、ポジティブな意味づけをするならば、その後もポジティブな体験をすることになるってこと。


ポジティブな意味づけをした結果、ポジティブな結果が得られる保証はないが、ネガティブな気持ちで居るよりかは、ポジティブな気持ちでいた方が、良い結果になりそうじゃない?


良い結果を望む事は悪いわけではないが、良い結果に執着してしまうと、逆にその良い結果を遠ざけてしまう気がする。


良い結果、悪い結果という言葉が出てくる時点で、良い悪いという二極のモノサシでこの世界を見てしまっていると言う事。


多分究極は、どんなことが起きたとしても、その結果をあるがまま受け入れること。


人生の目的のひとつが、色々な体験をすることだと考えると、


何もしないでボーっと過ごしていたことも、何もしない暇な体験をしたと言う事になるわけで。
→その体験自体に価値があると言う事。


そこから得たものは何かと言うと、


余り暇すぎても、何かしたくなってくると言う事。


たっぷりとある時間の中で、人生において大事な事について考える事が出来たこと。


人から援助されて生きていたので、与えられる喜びを体験できたこと。


自分が愛されていると言うことが分かった事。


ケンカもしたけれど、今になって思うのは、自分はまだまだ未熟で何も知らないと言う事。


こんな怠惰な自分でさえも、愛してくれる人がいるという事。


→いまはそのことに感謝の気持ちが湧いてくる。


その人たちの為に、そして、社会を良くする為に、これから精一杯働こうと思っている。


仕事をする目的の一つは、自分が幸せになること、そして、人を幸せにする為だと言う事。


競争して勝ち負けを決めたところで、何になるのだろう?


仕事をして何かを与える目的は、みんなが幸せに暮らす為だったはず。


このことは、どんな仕事にも通じる考え方だと思うよ。


ある意味で、もうたっぷりと休んだのだから、多分これからはたっぷりと働く事が出来るって事。


得たものが何も無くても、それはそれでいいわけで。


自分はこう思うけれど、社会がどう思うかは分からない。


でも、自分を偽って生きたところで、その人生は本当に幸せと言えるだろうか?


幸せのかたちは、人によって異なる。


人並みの幸せを手に入れようとして、普通に生きようとして、もがくと、自分の場合は上手くいかない気がする。


提示された幸せのかたちを追い求めるのではなくて、自分なりの幸せのかたちを見つけていこう。


その為に、他人になろうとしないで、自分の個性をポジティブな方向に伸ばす方法を考えよう。


そういう事を試すことこそが、生まれてきた目的のひとつだとは思わないだろうか?