ひな

2011年4月27日生まれ、白柴メス🐶
2021年2月4日、、、亡くなりました。
9歳9ヶ月でした。

私の大事な大事な娘でした😭

小さい頃はソファーの下、狭い隙間に

遠くから走ってきてスライドして潜り込んでいました。

少し大きくなると庭の土を掘り返し、鼻を真っ黒にして家族を笑わせました。

そこそこ おてんば娘なところもありましたが、
成犬になってからはおとなしくて、
人や犬のお友達が苦手で
お家が大好きで じっと窓から外をみながら
赤ちゃんが聴く音楽を聴くのが日課でした🎼

優しいお顔をして、嬉しい時は耳を横にして

目を細めて笑う子でした。

今から2年前、

クッシング症候群と糖尿病と白内障と診断され、朝晩10単位ずつのインスリン注射と 

夜にクッシングの飲み薬を 

亡くなるまで毎日続けました。


ある日、ひなの後ろ足に近いお乳の横に

直径2cm以上のコブができていて 

コブの中からもまた小さなコブが幾つかありました。

検査しないとわからないと言われましたが

糖尿病のため、血糖値が高いと麻酔ができず

検査もできないとの事で、

結局原因がわからず亡くなってしまいました。

おそらく癌だったのではないかと。


毎朝、毎晩、ドライフード や缶詰、ササミや牛肉の茹でてカロリー計算された物を我慢して食べました。


今年お正月が明けて3日までは 少々辛かったと思いますがお散歩も行っていました。

お散歩に行ってオシッコ中にインスリンを打たれて やっとご飯がもらえるので 喜んで小走りに帰ってきました。


それが4日に急に後ろ足が立たなくなって、だんだん食べなくなって😔

それまで どこかに預けた事がなく、

入院はひなの精神的に良くないとはわかっていても 致し方のない4日間でした。

入院中も点滴だけで何も食べなかったので

連れて帰った方が食べるようになるかと思い、

何とか退院させてもらいました。


それからは 介護が始まりました。



飼い主の私たちの責任ですが、人様さえ噛まなければ良いかと、噛み癖をきちんと直さず、

病院やシャンプーに行く時は口輪をして行っていたので介護になった時の事を念頭においていませんでした。


足が痛いのかオシッコシートを替えるのにも

噛もうとするので すごく苦労しました。

挙句の果て、吊り上げる持ち手が前後についている胴着を買い、何とかシート替えはできるようになったのですが 胴着自体がオシッコで濡れて着替えさせるのも一苦労で。


今まで服なんか着た事もなかったので さぞ窮屈だったと思います。ごめんね。


こんな状態が2〜3週間続いた頃、

これがいつまで続くんだろうと 

少しでも頭をよぎった事、本当にひなに申し訳なく思っています。



退院してしばらくは家でも食べなかったのが 2〜3日すると少しづつ食べるようになり、

2週間以上経ってからやっと普通の便も出るようになりました。

回復してきたかな?と思った矢先、

退院後、肘や後ろ足に骨が見えているくらい

えぐれた傷があって、その治療に 

今までずっと通っていた病院は遠くて、待ち時間も長いので、紹介状を書いてもらって 近くの病院で傷の手当てをしてもらいました。


その時に、後ろ足を立たせる為に

糖尿病患者にステロイドは血糖値を上げるけれどイチかバチか注射をしてみますかと言われたので血糖値は少ししたら下がるものかと思いお願いしました💉


その後1週間しても足は立たず、水は飲むけれど また食べなくなり、血便も出るようになって、今度は皮下点滴と整腸の注射をしに2〜3日通いました。


私としては 先代の子が亡くなる時、

庭に出て行って椿の木の下でうずくまっていたのを無理に病院に連れて行って 心臓マッサージをしてもらって亡くなってしまったので 

そっと家で息を引き取らせてあげるのが良かったのかと後悔しました。


なので、今回この子はできるだけ苦しみと痛みを取ってあげて 家で安らかに息を引き取らせてやりたいと決めていたのですが、

家族は最期まで できる限りの事をやってやりたいとの思いで病院に連れて行きました。


寒い夜、車で15分ほどの病院まで連れて行かれて腸の治療の注射と水分補給の皮下点滴で 

また何回も針を刺される事になって、、、。

見ているのがとても辛かった。


それは2年前の病気がわかった時から 毎日決して良くはならない子を見ていて辛かった。


結局どの方法が正解かがわからず、

ひなが一番慕っていた息子がやってくれた事ならひなもわかってくれるかな?と。



それはそれは、息子は今まで私たちが見た事のない一面を見せてくれました。


ひながそろそろ危ないとLINEで状態を見せると

在宅ワークが終わる頃の時間で

次の日からも たまたま連休だから、今から帰ると新幹線で帰って来てくれました。


帰って来るなり お正月に会った時は普通に元気だった姿とは違い、

横たわって元気がない様子を目にしたとたん 

涙をポロポロこぼしながら 頭を撫で回し、

絶対に回復させるという意気込みで

介護全般をやってくれました。


これ以上ひなを連れ回すのは体力的に無理だからと、病院に行って皮下点滴のやり方を先生に教えてもらってメモをして、

更にYouTubeでも調べて

インスリンの針より幾分も太い針を 

ごめんごめんと言いながらひなの背中に刺して

点滴をやってくれました。


おかげで少し回復して この調子なら またご飯も食べるのではと期待していたのですが。


最期の日、朝から息子はひなの近くで仕事をして私はひながいつもヨガマットに乗って参加していたオンラインヨガをひなのそばでやる事にしました。


聞き慣れた先生の声を聞きながら

じっと私がやっている姿を横で見ていました。

参加しているつもりだったと思います。


それを終えて 息子は仕事のお昼休み、

私は近くのスーパーに行き、帰ってすぐお昼の支度をしていて、主人はたまたまお昼で帰宅しました。


ひなのお尻が汚れていたので 

洗面所に息子が抱いて連れて行き、

主人がシャワーでお尻を洗って

部屋に戻ってひなを降ろし、息子がドライヤーで乾かし始めた頃、息子が"ひなが息をしていない"と叫んだので 私は台所からすぐ駆けつけて 

最期だと思ったので 意識のあるうちに腕の中で死なせてやろうと抱き上げて

ありがとう、ごめんねを言いました。


息子は諦めきれず まだ生きているからと

前もって勉強していた人工呼吸を

ひなの鼻を口で加えて息を吹き込んだり、

心臓マッサージを加減をしながらやってくれました。


白内障でほとんど見えていなかった目を、

カッと見開いて 一生懸命に少しでも永く生きようとした姿は立派でした。


よくたくさんの病気に頑張りました。

インスリン注射を1500本以上も頑張りました。


苦しくても 息子が帰ってきたら

健気に少し回復しました。


皆んながそろう時間まで待ってから逝ったような気がします。


朝から息子が仕事をしている姿を首だけ持ち上げてじっと見ていました。


うつ伏せの状態が苦しくて 寝返りをさせて欲しかったのかもしれません。


抱っこしてもらって 逝きたかったのかもしれません。


ごめんね。わからなくて。

楽にしてあげられなくて。


まだまだ たくさん ひなに謝らなければならない事や感謝することがあります。


そもそもクッシングという病気になった事自体、

私たち夫婦のせいだと思っています。

ひなの前でたくさん夫婦喧嘩をしてしまいました。かなりのストレスになっていたと思います。


本当に飼い主失格です。

どれだけ謝ってもすまないくらいです。

ごめんね、ひなちゃん。

よそのお家に居たら こんな事にならなくて良かったはずなのに。



今日は亡くなってから35日です。

7日ごとに7回で49日みたいです。

その5回目にあたる35日は来世が決まる日らしいです。


今度は病気知らずの子で生まれておいでね。

また戻っておいでね。


先代の子と一緒にひなのお骨も少し持ち歩いています。どこへ行く時も一緒です。




ほとんど犬のお友達にも接する事がなかったから

ひなが生きていた事、知られていません。



だから、、。


こんな子がいました。


お利口で優しくて我慢強い子でした。



ありがとう、そしてごめんぬ。

また会おうね。


本当のお母さんに可愛がってもらうんだよ。

れっちゃんやお友達と仲良くするんだよ。

いっぱい美味しい物 食べるんだよ。

いっぱい遊ぶんだよ。


そして時々会いに来てね。


ありがとう、ごめんね。