風が吹いている


色んな方から


その風が


向かい風なら


前のめりに


歩こう


風が強ければ強いほど


前傾姿勢で歩ける


普段では決して


できない角度で


前のめりに歩ける


一歩一歩


噛みしめて踏みしめて


自分を感じながら


歩ける



その風が


追い風なら


風に任せて


背を伸ばして歩こう


足を止めても


風が押してくれる


その風に乗って


風任せに歩くのもいい


自分の生きたい方へ


風が押してくれたら


ついてる


着いたところが


目的地だ


・・・


また風が


吹いてきた


今度は横からだ


風をやり過ごしてもいい


良い風はまた吹く


でも、待てよ


いっそ今度は


風に向かって


歩いてみようか

器って


よく聞く


昔は


分を知る


とか


器を弁える


とか


嫌いだっだ


きっと


自分が何様何だと


思ってたから


自分の器は


無限大に広がるものと


思ってた


でも


若くなくなった


自分の限界


枠線が見えてきた


かなりはっきりと


そうすると


考える


器って、何


・・・


入れ物だから


中身は無い


いや


自分だけはまず


入っている


要は


自分以外のスペースが


どのくらい


空いているか


かな



人の大きさは


あまり変わらない


同じような体で


同じような頭脳で


同じような寿命で


みんな同じ


でも


他人は自分と違う


何かを


持っているかもしれない


その可能性を


信じ


理解し


受け入れ


自分の中の


空いたスペースにどのくらい


取り込めるか


それが


器の大きさ


なのかもしれない


自分と違う思想


自分と違う興味


自分と違う知識


自分と違う感情


自分と違う感動


自分と違う主張


etc.・・・


とりあえずたくさん


取り込んで


自分と共存させ


時には活かし


時には活かされ


その入る量が


器の大きさ


なのかな



おれは

日本で一番

器の小さな男


もう死ぬまで


変わらんなあ




宗教とは


なんだ


信心とは


なんだ


信仰とは


なんだ



そして



祈りとは


なんだ



神様は


あなたを


そして


私も


どこへも連れて行っては


くれない



ただそこにあるだけの


存在


そんなものに


はたして安らぎは


求められるのか?



人が


ただの木の人形に


拝むのは


祈るのは


ただそこにあるからか



神は


仏は


どこに在る?



無いから


求めるのか


探すのか


想像するのか


尊ぶのか



『すべてのものに従い』


『自らを祝福せよ』


『神は自らの内にこそ在る』



まだ


謎は解けない。