書籍情報
著者:紗久楽さわ
出版社:フィルムアート社
発行年:2025年
価格:1,980円
ジャンル:インタビュー/評論・エッセイ、漫画論、BL研究、江戸文化・歌舞伎・浮世絵、クリエイター論
著者のプロフィール
紗久楽さわは、江戸期の風俗・言語感覚への緻密な目配りで知られる漫画家で、『百と卍』をはじめ江戸文化とBLを交差させる表現で高い支持を得ている作家です。幼少期から手塚治虫やCLAMPに憧れ、浮世絵師や歌舞伎役者など実在の人物・芸能への関心を創作に取り入れてきた経歴が語られており、江戸文化への愛と調査にもとづく描写、そして現代的な関係性の感性が作品の核を成しています。BLジャンルの可能性を広げつつ、歴史解釈とフィクションの往復によって、固定観念から読者の視野を解放するアプローチが特徴です。
本書の特徴
本書は『百と卍』の歩みを節目に、江戸文化・歌舞伎・浮世絵への愛、BLジャンルの変遷と魅力、影響を受けた作家・作品、そして各代表作の背景と制作プロセスを語る全編インタビュー構成です。副題に示されるとおり、「同じものでも見方が変われば違って見える」という視点転換を鍵に、過去と現在、男色史とBL、史実と創作の関係をほどき直し、読者に歴史と表現の再読を促します。
以下内容要約
紗久楽さわが語る、江戸×漫画×ボーイズラブの根源
「見落とされた過去を今とつなげたい」——この一句が、紗久楽さわの創作活動を貫く通奏低音となっている。新著『おんなじものが、違ってみえる 江戸と漫画とボーイズラブと』(フィルムアート社)は、『百と卍』の完結を機にまとめられたインタビュー集だ。聞き手はBL評論で知られるライター・山本文子が務め、著者の半生から創作思想まで、隠さず言語化している記録となっている。
本書で繰り返し語られるのは、同じものでも見方が変われば、まったく異なって映り、意味が生まれるということだ。江戸という歴史舞台は、学者にとっても漫画家にとっても、同じ過去であって同じではない。紗久楽さわにとって江戸は、セピア色の死んだ世界ではなく、そこに生きた人々にとっての、目に鮮やかな日常そのものなのだ。
月代への「推し」から出発した創作
著者が江戸の扉を開いたのは、高校時代に放映されたNHK大河ドラマ『新選組!』だった。脚本家・三谷幸喜の緻密な時代考証と娯楽の両立に惹かれた紗久楽さわは、やがて新選組の武士たちが結った月代(さかやき)という髪型に深く惹かれることになる。前髪から頭頂部を剃り上げた髪型への、ほぼ純粋な「推し愛」から、本来的な意味での研究が始まったのだ。
その後、杉浦日向子の江戸漫画を読み、陰間(かげま)という江戸時代の男娼の存在を知る。江戸の市場には、陰間茶屋という斡旋機構まで存在し、客との時間は線香の本数で計測されていたという、当時の社会的現実がある。紗久楽さわはここで、セクシュアルマイノリティとしての生存形態と感情に向き合うことになる。
インタビューで著者は述べている。「月代をしているお兄さんがふたりいるのがものすごく好きで、ずっとそのふたりを望んでいた。けれど既存のBL作品には、月代同士の表現が極端に少なかった」と。自分が妄想する世界がこの世に存在しないなら、描くしかない。この強い欲望が『百と卍』の誕生を促した。
「型」と「様式」がもたらす親和性
紗久楽さわの表現世界を理解するには、幼少期からの読書体験に遡る必要がある。手塚治虫やCLAMPといった大家の作品に魅了された著者は、物語と絵が織りなす「型」という概念に幼くして捕まった。この「型への感受性」は、後に江戸文化との出会いで花開く。
江戸時代の美意識そのものが、本質的に「誇張」と「様式」を基調としていたのだ。歌舞伎の大げさな身振り、浮世絵の記号的な表現、そこに存在する「見立て」という手法——すべてが漫画という現代メディアの「記号化・省略・強調」という特性と驚くほどの親和性を持っていた。江戸と漫画は、見た目は違うけれど、本質的には同じ「美学言語」を話しているのだ。
史実と創造のあいだで
著者の創作プロセスで興味深いのは、その学び方だ。紗久楽さわは江戸検定などの試験資格を取得していない。著者自身の言葉を引けば、「勉強した記憶がない。『萌え狂って調べていたら、いつの間にかこんなところに』」というスタンスなのだ。
東映太秦映画村への訪問、消防博物館での火消しに関する資料調査、隅田川の現地踏査——好奇心を駆動力とした身体的な探究を重視する著者にとって、江戸知識は「客観的な正解」ではなく、「創作のための感覚的な土台」である。
『百と卍』における月代や陰間の描写も、同様の姿勢から生まれている。江戸の性愛の多様性と、現代のセクシュアルマイノリティへのまなざしを重ねながら、著者は「同じだけど違う、違うけど同じ」という相対的な視点を構築した。元陰間の百樹と伊達男の卍が「義兄弟」の契りを結ぶシーンは、江戸の伝統儀式と現代の婚礼の象徴性を融合させる、その試行錯誤の果てにある。
江戸言葉が持つ音の美学
本書で語られる「江戸言葉」への執着も、創作の深さを示す。紗久楽さわは「胴欲(どうよく)」という言葉に愛着を寄せている。意味は「残酷だ」だが、魅力的な男性が色関係にある相手に意地悪をし、相手がすがって泣く——そうしたシチュエーションを表現するための、古江戸人の言葉遣いなのだ。
「まくし立て早口」の会話がもたらす音韻的な快感、「まっぴらめんねェ」「みったっしゃねェ」といった音の変化への注意深さは、漫画における方言運用の根拠となっている。BLというジャンルの感情の厚みと、江戸的な美意識の融合を目指す時、言葉選びは決して細部ではなく、作品全体を支える骨組みそのものなのだ。
見落とされた者たちへのまなざし
本書の真の価値は、「見落とされた」ものを今に生かそうとする紗久楽さわの姿勢にある。江戸時代の男色文化は、時代とともに記録から消された。セクシュアルマイノリティの感情や生存形態は、公式な歴史叙述の外側に置かれてきた。
現代のBL表現は、そうした「隙間」を埋める力を持っている。女性作家による江戸表現、マイノリティの視点、関係性の濃度で歴史を読み替えるジャンル——BLは単なる恋愛表現ではなく、従来の歴史認識そのものへの異議申し立てなのだ。
『百と卍』は2018年度の『このBLがやばい!』で1位を獲得し、さらに文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞を受賞している。BL作品として初めて同賞を受けたこの受賞は、時代小説とBL表現の新しい可能性を制度的にも認めたのだ。
おわりに——視点を変える自由
本書『おんなじものが、違ってみえる』は、個々の作品紹介ではなく、著者がいかにして「同じ江戸」を何度も何度も読み替えてきたのか、その感受性の進化を辿る書籍だ。デビュー作『当世浮世絵類考 猫舌ごころも恋のうち』から『かぶき伊左』『あだうち 江戸猫文庫』を経て『百と卍』に至る軌跡は、実は「同じテーマの異なる見え方」の積層である。
視点を変えることで、同じものが違って見える。違うものが同じに見える。その反復の中で、固定観念はほどけ、新しい感受性が育まれる。BLというジャンルの可能性、江戸文化との新しい結び方、そして性とジェンダーの多様性を祝福する姿勢——それらすべては、単なる「個人の創作観」ではなく、過去と現在を架橋する方法論そのものなのだ。
「見落とされた過去を今とつなげたい」という動機は、単なる歴史への郷愁ではない。それは、現在の読者が今を生きる上で、異なる視点をいかに獲得するかという問題と直結している。本書は、その実践を紗久楽さわが自らの創作で示した、貴重な記録なのである。









