** 北タイ情報誌「CHAO」264号(2014年04月10日発行)の連載コラム記事 **




 私が僧院へ通い始めて約2年の月日が流れた。ここには現在、80歳を過ぎたルアン・プー(大長老)と、40代半ばのプラ・アーチャーン(住職)を始め通年5-6名の僧侶が修行をしている。アーチャーンがこの地で修行を始めたのは今から7年前のこと。それまでは別の県の寺院や僧院に身を置き20年以上もの間、長期・短期に渡って行脚遊行(あんぎやゆぎょう=僧が教化、修行のために各地を巡り歩くこと)を繰り返しながら修行を積んできたという。

 

そんなアーチャーンが仏の道を歩み始めたのは15歳、中学生の時。元々自然の豊かな農村地帯に育ったアーチャーンは、幼少時代からたくさんの友達に囲まれ野山を駆け回る活発な少年だった。しかし成長するにつれ生きている意味を考えるようになり、また恋を知るようになるとますます相手を束縛したい気持ちに苦しみ始めた。なぜ自分はこんなに苦しいのだろう、この苦しみからどうしたら解放されるのだろう、そもそも生きている意味とは何なのだろう・・・。中学生になったアーチャーンは友達と遊ぶ一方で、次第にその答えを一人求めるようになり、日々カセットテープで法話を聴くことが多くなっていたという。出家への思いが強くなりとうとう両親に相談した日。以前から息子の変化に気づきながらも愛するが故に首を縦に振らなかった母は泣き、父も猛反対。「もし学校に行かないのなら家の仕事を手伝いなさい」すでに意志の固い息子に考える時間を与えるため、父が最終的に出した提案だったが、言葉通りアーチャーンは翌日から学校へは行かずに稲刈りの手伝いを始める。そして更にひと月が経った村の農耕祭の日、お祭りで両親が機嫌のよいのを見計らって再び説得をしてみると最後に父が一言、「仕方ない、好きにしなさい」。・・・これは急げ!と、その足で村の小さな寺院に行き、住職さんと二人きりで小坊主になるための儀式を行い頭を丸めたのだという。

 

「それから、成人して正式に僧侶として出家してからも家族に会いに戻るのは数年に一度。その後も彼は全国各地を長老や阿羅漢を一人で訪ね歩いては修行を重ねてきたの」昨年、アーチャーンのお母さんが、私にそう教えてくれた。「時には風の便りで元気だと聞くこともあった。でも親としてはいつ還俗して戻ってきてくれるか、最初の頃はずっとそれを望んでいたのよ」

出家僧が約30万人いるというこの国タイでは、家族から僧侶を出すというのは素晴らしく功徳のあることだと認識される一方で、親(特に母親)の胸中としては息子が修行で苦しむのがかわいそうで仕方ないと思うのがどうやら一般的なようだ。普通に就職をし、結婚をし、子育てをし家や財産を持ち、親も老後は一緒に暮らしながら孫の面倒でも見て過ごしたい。そうして家族揃って仲良く一生を送るなんて、生まれた時から育ててきた親なら当たり前に描く未来図なのかも知れない。

 

そんなアーチャーンのご両親だが、今から約10年ほど前から他県の寺院に移り住み、夫婦共に修行者として生活を送っている。そして年に数回はアーチャーンのいる僧院を訪れて宿泊し、息子の身近で質素に暮らし修行を積んでいる。「こうして両親が私を理解してくれるまでの道のりは決して安易ではなかったんだよ」昔を振り返りアーチャーンがそう語っていた。今年の初め、お父さんはご病気で亡くなられたが70歳を越えたお母さんはご健在で時折、姿をお見かけする。今では立派な住職になった息子であるアーチャーンに他の在家者と同じように敬語を使い三礼するお母さん。一方、少年の頃から親元を離れ長く厳しい道を歩んできたアーチャーン、その親子が現在に至るまでの道のりを思うと、私は両者に対し大いなる尊敬の意を抱かずにいられない。

 

森の僧院には、実はもう一人アーチャーンが親のように慕う人がいる。先に述べた大長老ルアン・プーだ。ルアン・プーが出家したのは今から23年前。ちょうどアーチャーンが20歳で出家した際に、同じ儀式で僧侶となった云わば同期である。その当時60代半ばだったルアン・プーも今では80代。長年つかず離れず共に歩んできたアーチャーンにこの森に招かれて以来、小さな僧房に暮らしながら、静かにそして厳かに戒律を守り修行を続けている。

 

仏道は孤独との戦いであるように思う。しかしそれと同時にこうしてお互いの距離を保ちつつ尊重し合い共存しているその姿は、傍から見ているとそれも一つの温かな家族の形なのではないかと、秘かに感じるのだった。


文・写真 areca tree