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散歩中の出来事

近くの河川敷をウオーキング中の出来事。河川敷の片側から煙が上がっていましたが、火もそれほどでもないし誰かが野焼をしているのかと思い通り過ぎました。その後しばらくして煙の上がっていた側を折り返していると、消防車のサイレンが目
なんと火事でした。あっという間に消防士さんが消火。
私は声楽を始める前は消防士になりたかったのでサイレンの音や消防車をみると今でも心がはやるのです。そこで写メをとりました。
誰かのタバコの投げ捨てかもしれませんが、消防士さん。本当にごくろうさまです。
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幸・不幸を呼び込む法則

仏教の教えに因縁果報(縁起の理法)というものがある。
簡単にいうと、
よい行いをするとよい結果が得られ
悪い行いをすると悪い結果になるというもの。
私たちの世代だと、子どもの頃、おじいちゃん、おばあちゃんに教えられたような内容だ。
私も近所のお寺があり、よくそこの尼さんから教わっていた記憶がある。
私は成功、幸福、お金持ちになれるとかのハウツーものをよく読むが、そこに書かれている、成功する方法と縁起の理法の内容は同じようなものだと思った。
ポジティブな思い、夢、目標を持って、そこに向かって努力をしていると、その通りになっていくと、言葉は違え、どの本にも同じようなことが書かれている。
したがって、これは、法則なのだと仮定してみた。
現代的に言うと原因結果の法則と言いかえると理解しやすいと、読んだ本の一つに載っていた。
(私は努力が苦手なので、この「努力」の部分がない成功書はないかと思うのだが、未だに出会っていない…)
当然、逆もあり。
悪いことをすれば、悪い境遇になる、ということだ。
犯罪を犯せば、牢屋行き、という簡単なこと。
悪いことをしても、ばれなければいい、と思うこともあるかもしれないが、
この縁起の理法も、成功のハウツーものも、もし悪いことが公にばれなかったとしても、どこかでそれなりのペナルティは科せられる、という。
平たく言えば、「やったことに、必ず責任を取らせられる」ということであろう。
いいことをすればいい、どんな形は分からないが、その人にとって良い結果がやってくるが、悪いことをすれば、何かしら同じ分のマイナス事象が起こってしまう。
仏教では、この世では起こらなくとも、あの世で大変なペナルティが待っている(地獄?)ともいう。
子どもの頃、
「悪いことをすると、必ずいつかはバレるものから、悪いことや嘘はいけない」
と大人に教えられたのは、子どもが分かるように、この法則を教えていたのかも知れない。

これは個人でも、団体でも逃れられない法則らしい。
善悪で表現したが、
理に叶っていること、正当な努力をしていれば、必ず報われる。
理に叶わないことで、不正に儲けたり、努力以上の賞讃を得た場合などは、どこかでマイナスの報いがくる、という訳だ。

一つの例。
JALの負債を国の税金から穴埋めするのはどういうことか。とさる方が言っていた。
なる程と思った。
会社は自助努力の精神で成り立っている。
赤字が出るのは、その社の努力が足りない、創意工夫がたりない。
大手だからと言って、一つの会社に赤字補填に税金投入するのは、他の会社が赤字を出しても、国が助けてくれる、と思ってしまうので、
そこに自助努力の精神が失われてしまう、そうだ。
その方によれば、JALの赤字は長年の労働組合の問題によるのではないかと指摘され、
それは、社の内部問題だから、そこに国税を使うのは間違っている、と指摘されていた。
企業倫理に欠けていると表現されていた。
なるほど、これはちゃんと法則を国もJALも見抜いていないなと思った。
国も社の内部問題に、国税を使ったのは間違いであろうし
そもそも会社とは、社員は一丸となって、勤めている会社の利益を上げるために頑張るものであると思われるが、労働組合とは会社全体の利益追求とは逆のエネルギーによる発想で存在しているように思われる。
いづれペナルティがあると思われる。


もう一つの例。
この頃、各紙の一面を見て思う。
昨年、「政権交代」と、衆議院事前調査でこんなに民主党が有利とマスコミは散々煽ったが。
民主党にやらせてみて、自民政策を否定しているだけで、このザマである。
(「脱官僚」とか言って、菅氏は官僚の言いなりであるし、公約を守れないと「言い訳」作りに一生懸命だし)
散々煽って、今は第一面で、こき下ろすことを載せている。
自分たちの先見性の無さは痛感していないのだろうか?
正当な謝罪をしないのであれば
その責任を、誰も取らないのは、どういうことか?
某新聞社は倒産寸前だという。
社是に「国民に正しいことを伝える」志がなく、左側に操作していたところに、
縁起の理法が働いてのことではないのか?
噂によれば、首相交代は、マスコミ関係者の先ず挨拶に行かないといけないとか言われててる位であるし
自分たちが一番の権力、と奢っているところもあろうが。
煽った責任、偏った報道操作、第一権力と錯覚している奢り
このままでは
いづれ、ペナルティを受けることになるのでは?

マスコミも政府も日銀も
打った手を間違ったら、誤るのが筋なのではないかな。
日本の皆様はおとなしい民族みたいで。
(中国にヤクザな因縁つけられて、謝ってないで、もっと反撃しましょうよ)
マスコミが煽って、外れた時はもっと糾弾してもいいのでは?

人のことばかり言って、やることやらないでいると、私も厳しい法則が回ってきそうだ。
楽な道なんてないのねしょぼん今年は、努力を怠らないようにしたい。

未来ビジョンの重要性

私は政治に詳しい訳ではない。
こんなことを言いたくないが、昨年の衆議院選、民主党は政策のビジョンを具体的に言わなかった。自分が政権を取ったら、国をどういう方向に持っていきたいのか?それが示せない民主党は、私は信頼できない、と思っていた。

ただ野党の延長で、自民党の政策を否定して、その反対のことだけしているように感じた。
予想として自分たちの目標を指し示せないのなら、野党で攻撃していた時の自民党の反対を「公約」として、深い洞察抜きに強行する方針なのではないかと思っていたら、案の定そうだった。

実はナチスが台頭する時もそうだったらしい。
ドラッガーはファシズム、全体主義は前にあるものを全て否定する、そして自分たちが何をしたいのかは言わない。と「『経済人』の終わり」の中で言っている。
民主党も同じではないか。はっきりした政党としての政策案は出さず(未来ビジョンを持たず)自民党の政策をひたすら否定したばかりだった。
私は思うのだが、野党でいる時は国会でそうがなっていればよいからお気楽だが。
否定するなら、その代案があるのか(ダム建設の中止とか、仕訳とかではなく、日本の未来をどのようにしたいか)ということだ。
自分が就職試験の面接官だとして、当たり障りのない耳障りのよいことばかり並べるヤツがいたら、
「美辞麗句はいいから、あなたは、どんな自分を目指して(←未来ビジョン)ここで実際具体的に何がしたのか?」と、問うだろう。
若者たちにも、将来の目標、夢を持って、そこに向かって頑張りなさいと、私たち大人は言うではないか。
成功理論の本を何冊か読むと、共通して言っているのは、
目標、未来ビジョンをしっかり持っている人の深層心理は、その目標に引っ張られていくのだそうである。
世界第二の大国までなり、(次は教育も経済も他のアジア諸国に抜かれていくのではなく)次の大きな目標を日本は起てるべき時に来ているのでなないか。
日本こそがアジア、アフリカの発展の牽引車となり、弱って来たアメリカに替り世界全体を鑑み、世界の未来の進むべき方向、ビジョンを指し示すべき時ではないのか?
贖罪意識を捨て、大国である誇りと責任を自覚するべき時ではないのか?
個人においても、国においても、未来ビジョンをしっかり持ち、幸福な自分や国を築いていきたいものである。