今日はここ20年くらいの悩みを書いてみる


察しはつくと思うが

自分は今の20代後半まで、彼女がいたことがない人間


厳密には小中にはそれっぽいのがいたし告白もそこそこされたのだが


これは、まあ精神が成熟する前の話だからノーカンだとして(当時告白してくれた子達ごめんよ)


童貞なのは当たり前なんだけども


それ以前に、普通の人が普通にできていることが


自分にできないというのがとてもつらい


生まれ持ってそうなら、まあそういう人生だと


割り切ることもできると思うのだが


自分以外の周りの人間は当たり前のようにやってのけるのに


自分だけ…



例えば…

友達はみんな就活成功したのに


自分だけ就職が決まらなかったとか


そういうのと近い



人を好きになる気持ちはある


だが、それが相手にうまく伝えられない


そういう雰囲気になると向こうから逃げ出していく


あるいは出さなすぎると、友達で終わる


いわゆる「いい人」


いい人ってのは便利な言葉


特にその人が毒にも薬にもならないときは


いい人だよね


って言っておけばいい


同じ状況の男子は、周りにはいないけど


ネットにはそこそこいるんじゃないかと思う



さて、自分の話に戻そう


自分はここまで苦しみ続けた


年齢も年齢だ、そろそろ結婚を考えるのだが


周りは大半結婚していても、自分はスタートラインどころか運動着も着れてないような差だ


結婚がスタートラインだというのなら


自分はまだ家のベッドで寝ているくらいなもんだ


昔の人はすごい


お見合い結婚というのがある


ただ、人からくっつけられた人と


果たしてうまくいくのだろうか


人は自然に惹かれあって人生を共にするもんじゃないのか


そんな甘い考えは


高校大学で普通の恋愛ができていれば卒業している幻想だ


でもそれがない自分は、いまだにその幻想を追い求めている節がある



非モテの特徴によくある「卑屈」


卑屈ってまさに自分のためにあるような言葉だ


ファーストネームにしようかな



冗談はさておき


卑屈なのが売れないのは当然だ


よく家電で例えられる


この冷蔵庫、冷えないのに電気代は高いし、おまけにいつ壊れるかわかりませんよ?


それでも買ってくれませんか?


といって自虐したら、買ってくれる人などいるはずがない


もしかしたら貴族が下民の哀れな様を見たいがために拾ってくれることもあるかもしれないが


そんなのが幸せなはずはない


卑屈は、表に出さないのが精一杯で


とてもじゃ無いが、人を明るく照らせる人間には


なれそうにない


愛せる人がいて、子どもや奥さんにたくさん愛情を注いで


幸せになりたかったと願う日々だ



他責思考では、彼女どころか友人もいなくなる


せめて自分の人生がうまくいかないのは自分のせいにしていきたい



奨学金を返したら、親にももう迷惑もかからないだろう


何も持たずに飛び出して


どこまで行けるか歩いてみて


くたばったらそこが自分のゴールテープ


そんなことがしてみたいのであった




日本に安楽死制度があったら


そのためにお金を貯めて


臓器提供、全部丸つけて


せめてそれで人の命が助かるなら使ってもらいたい



自◯はどうしても人に迷惑がかかる


部屋ですると事故物件


電車に飛び込めば何千人に迷惑だ


飛び降りは、処理する人間が必要だろう



まあ、すぐに消えたりはしない


三浦春馬も何か人の及ばない悩みを抱えていたのだろう


普通の人からは、富・名声・力?


3つも揃った素晴らしい人生に見えたかもしれないが


隣の芝は、なぜか碧く見えるものだ


彼らが自ら幕を閉じた


その理由を外野があれこれ言うものでも無いが


本人の意思で生まれたかったわけでは、誰もが無いのだ


それでも生まれた以上


何か生きる意味を持っているはずだと


誰もが信じてるだろう



だが、社会に出てみれば代わりはいくらでもいる


会社の仕事など、誰かが代わりを務めるだろうし


そのとき大切だと思っていたパートナーは


別れたってすぐ別の人と歩みを進めるだろう


じゃあそこにいるのは、自分である必要あるのだろうか


考えるほどに自分の代わりなんかいないと思える


自分にとってかけがえの無い人が、相手にとっても自分がかけがえの無い人になると言うのは


奇跡ってものだ



モテないからうだうだ書いてしまった


まともな家に生まれなかったからこそ


まともな愛を知らない人間に


果たして人を愛し、愛してもらえるのだろうか


もう数年は、頑張って生きてみる