武相荘(旧白州邸)白洲次郎。兵庫生まれ。若くしてイギリスに留学、ケンブリッジに学ぶ。... View this post on Instagram 武相荘(旧白州邸) 白洲次郎。 兵庫生まれ。若くしてイギリスに留学、ケンブリッジに学ぶ。 第二次世界大戦にあたっては、参戦当初より日本の敗戦を見抜き鶴川に移住、農業に従事する。 戦後、吉田茂首相に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」。高官にケンブリッジ仕込みの英語をほめられると、返す刀で「あなたの英語も、もう少し勉強なされば一流になれますよ」とやりこめた。その人となりを神戸一中の同級・今日出海は「野人」と評している。 日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声も強かったが、生涯在野を貫き、いくつもの会社の経営に携わる。 晩年までポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長を務めた。「自分の信じた『原則(プリンシプル)』には忠実」で「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」と正子夫人。遺言は「葬式無用、戒名不用」。まさに自分の信条(プリンシプル)を貫いた83年だった。 ※武相荘ホームページより転載 #白洲次郎 #武相荘 #町田市鶴川 #吉田茂 #日本国憲法 アークヒルズさん(@archills_a_mansion)がシェアした投稿 - 2019年May月2日pm10時06分PDT