モン族の民族衣装 端切れ はぎれ ハギレ
(画像はスカートの縁のはぎれです。スカートボトムボーダー刺繍布)
2000年までの1990年代後半は、私はタイチェンマイに暮らしていまた。町は大きいのに、チェンマイはゆっくりしてそのゆっくりゆったり感は並大抵ではありませんでした。そのペースの中でアリのように「ちまちま」と私は働き続けました。動くと(大金ではないが)確実に稼げたからです。人のやらない隙間ビジネスもいくらでもあっけど誰もやろうとしない。そんな余裕の「ゆたかさ」がチェンマイ以外の東南アジア各地には満ち溢れていた。
そんなころ私とタイのアカ族のかみさんは「ちまちま」とモン族の民族衣装のはぎれをバックに縫い付けてます。バックや服にして日本や欧米の取引先商社商店に何万点と輸出していました。古布の原材料は自分で仕入れに行かなくてもチェンマイなら持ち込んでくれる人々がたくさんいます。代表がモン族やカレン族の人たちです。持ち込んでくれて仕入れができた一番の品物がモン族の刺繍布でした。雨季でないころは、一週間に四五人のモン族の運び屋のおばちゃん達がイーサン地方やラオスから店に売りにやってきます。彼女たちは毎日五六件の店を回って新旧の刺繍布を売り歩いてゆくようだった。イメージとしては、日本のわかめ売り行商のおばちゃんのようなもの(私の記憶では、東京でも昭和40年代後半くらいまであったんではないかなぁー)。あのおばちゃんたちです。ビニールのごみ袋みたいなズダブクロにいっぱい布を詰めて回ってくるのです。開けるとぷ~
うんとと臭う古布の匂い。
モン族のおばちゃんたちが数日おきにうちの店に来る理由?
ナイトバザールでは姉の店の固定電話が少数民族の人たちが実家に電話をする公衆電話局代わりになっていたんです。なのでモン族のおばちゃんたちもいつも立ち寄って実家や本拠地に電話して、家族の様子を窺ったり注文をしたり聞いたりしてた様子です。そのついでに隣にある私たちの店にも品物を売りに来た。それで、よくこの端切れを買わせてもらいました。
モン族といってもたくさんに分かれていて刺繍のデザインはおろか施し方までまったく違ったりする。ここで取り上げているものはタイラオス中国に住むモン族のものが中心でクロスステッチを衣装に多用する。中国のサテン生地に原色の糸で×刺繍を施してゆく。私が選んでいたものは数十年の時を経て原色が少し退色していて薄汚れている。その感じが大切にされていた証であり私たちの目にはとても美しいものと感じていた。それとモン族独特の幾何学模様がお土産用の刺繍でない美しさを持っていた。お客様に媚びていないような堂々としているさまにも魅力を感じた。「売り物ではないところに魅力を感じた」というところでしょう。それに当時はたくさんあり選ぶことができました。ふんだんに切り刻んでバックにたくさん縫い付けることができたのでした。いまでは選ぶことはできなくなりました。
おばちゃんたちは大きな頭陀袋のような袋にたくさんのものを入れて、それを店のフロアーにひっくり返して「どうだあー!」と言わんばかりに選ばせてせてくれるんです。
よっぽどうれしかったのか、今でもあのズダブクロから出てくるこれら端切れを夢見る。ぶわっーと、舞う埃とそのにおいと袋から出てくる作品の数々。メコン河の香りとでも言える。メコン川支流の赤土の混じる川の水で洗って持ってきているので「当たらずとも遠からず」ということだ。このモン族のおばちゃんたちはよくしゃべる、わくわくドキドキ、楽しい値段交渉。定価などないし、探り合いと譲り合い。楽しい値段交渉だった。一週間ほどで売りぬいて帰ってゆくので、帰る前日に格安で全部置いてゆくこともあった。ちなみにチェンマイで日用品をたんまり仕入れて帰ってゆくのです。そんな想い出が詰まった 小さなモン族のはぎれ布でした。
5000点目指して出品中!
メルカリショップ
https://mercari-shops.com/shops/oyBmCPZ74hMnARZgFa2znn
Line @archicollection
展示会、アジアの布の情報は
Facebook/archicollection1
株式会社アーチコレクションで検索
フォローお願いします!
2009年前後に何かに使った文章を再加工したものです。撮影して出品してくれている子への商品説明でもあります。この説明作業大変です。何も知識ない人に説明するのだもの。ちょっと言っただけでは記憶に残らない。記録してくれと言われた。ふと思った、この説明が必要な人もいるかも、と。
#Hmong #モン族 #はぎれ #刺繍布 #古布 #山岳民族 #hilltribe #ラオス #タイ #Laos #Thailand # Indochina #インドシナ #archicollection #アーチコレクション