昨今話題となっている差別について私なりの見解を述べさせて頂く。
私は差別主義者である。差別をする事に罪悪感はない。私は弱い人間なんだということを自覚するだけである。
私は差別はを心や身体の防衛反応だと認識している。
そもそもなぜ差別しなければならないのかを考えた時、私は差別には二種類存在していると考えている。
一つは、常識同士の差によるものである。
平等という思想が繰り広げられ、権利から人権へと移行した時点で差別という言葉は生まれたのであろう。そして、異なる常識同士が重なる事で、常識として捉えている事がいつしか差別と呼ばれる行いへと変化しているのである。
一方で、差別と知りながら差別を行うという認識された差別が存在している。
これは、こことあたりある人も多いだろう。レッテルや、決めつけ、諦めや嫉妬、もしかしたら恐怖などの心因的要因から行われる差別である。
私は良く心因的要因から差別を行なっている。
大きな人を見れば威圧感を感じ少し離れるし、タトゥーを入れた人がいれば、その人への印象は粗暴な人であると修正される。幼い子をいじめる人であれば、クソ野郎のレッテルを貼り付け蹴りを入れたくなってしまう。夜道で黒人を見ればポッケで拳を握り身構える。大半の外国人は嫌いだし我が国から出ていって欲しいとすら思う。物知り顔を我が国を汚さないで欲しいと思う。
しかし、私はこれらを悪びれるつもりもない。
全ては我が身可愛さゆえの行いである。降りかかる火の粉は何としても避けたいし、排除したいという防衛本能故である。よって私は差別を行う人たちを否定する事はできない。
人間は強くない。誰かのために自身の血肉を差し出されるほど野生を捨ててはいない。
しかし、差別によって悲しむ人がいる事は事実である。そのため私は、差別を行う人と、差別を受ける人が交わらない世界が生まれることを祈る。