私が生まれたのは秋の終わり。
首が座ったかどうかも分からない頃から保育園へ預けられた。
朝は開園同時位。
夜は19時まで保育園。
21時まで園長先生のご自宅。
それ以降は親戚の家。
日によっては、親戚の家で朝を迎えていた。
ある夜、怒鳴り合う両親の声で目を覚ました。
幼いながらに考えた結果、
結婚記念の写真を間に置いてクルクルと回して見せた。
その時の喧嘩は止まったが、
それ以来喧嘩のジャッジをさせられる様になった。
昼間は母の愚痴を聞く役目。
夜は両親の怒鳴り合いに耳を塞ぐか、起こされて板挟み。
おかげで、いつでも起きられる眠りの浅さが身に着いた。
曾祖母から見えない場所で小遣いを貰う事がある。
後で報告をするのだが「小遣いをやるくらいなら金返せ」と吐き捨てる様に愚痴られる。代わりに返そうとしても、受け取りを拒否される。
お年玉も陰でもらった金額を報告する。
伯父に貰う金額が親同士の打ち合わせと違うと、やはり愚痴られる。
そして、一時的に借り上げられる。
いつからか、妹の愚痴の聞き役もしていた。
弟は全部自分の中に閉じ込めている。
小学生に上がる頃の週末、
洋服を沢山持って祖父の家に皆でお泊り。
月曜の朝に帰宅。
同じ事を数回している。
「好きな事をやれ。じいちゃんはいつでも応援してる」
大好きな祖父は、頻繁に言ってくれていた。
グレなかったのは、この祖父のおかげだと思う。
小学生の低学年だったか、母から
「あんた達がいなければ、とっくに離婚できていたのに」
とのお言葉を貰う。
自分はいらない存在だと強く認識。
弟妹を守らなくてはと思い込む。
父からは
「弟が駄目男に成長するようなら、代わりに家を継げ」
「勉強しろ。大学まで行かせてやる」
機嫌が悪いと、八つ当たりの様に様々な説教を受けた。
朝まで数時間続く事もざらだった。
弟は口答えをして、殴られたり引きずられたり。段々と物を言わなくなって行った。
母からは
「義務教育すら受けさせたくない」
「今すぐ仕事してほしいけど、働ける年齢ではないから仕方ない」
「働いてくれれば今すぐ離婚できる」
私が愚痴を聞いていれば、弟妹には比較的優しい。
本当の両親が他にいるのではないか?
誰か自分を殺してくれないか?
弟妹を守るには幼すぎる。早く大人になりたい。
そう思いながら眠る毎日。
中学の部活も、出来るだけお金がかからない部活を選んだ。
しかし、毎週の様にある遠征。遠征の度に寄るコンビニ。鉛筆やノートに遠征時のおやつ…
小遣いが足らずに母に交渉。
それでも、小遣いは足りない。
毎月末になると「お金がない」と毎日の様に言う母。
部活引退したある日、小遣いの残りを貸した。それ以来、小遣いの残りを借り上げられる様になった。
高校を選ぶ際、中一の頃に担任から言われた進路から数ランク落とした学校を希望した。
父からは罵倒を受けたが、進学就職共に粗100%と知って許可がもらえた。
母は相変わらず「今すぐ就職。近所の目があるから進学させる」
祖父は「好きな事をやれ。何時でも味方してやる」
結婚したい相手が出来たら一緒に頼んでやるからじいちゃんに真っ先に紹介しろと言われていたが、結婚に夢も希望もあるわけがない。
カミングアウトできない同性愛者と書類上の夫婦になれば文句ないだろうと考えていた。
就職は最寄りの企業に就職しようとしたが、不採用。
進路指導の言うがままに希望先を変更したら、父から罵倒。
企業の資料を見たら態度一転。マンモス企業恐るべし。
成人して数年後、
「家は弟に継がせる。お前は好きにしろ」
「本家を継ぐ可能性があったが、それが消えたから自由にして良い」
肩の荷が下りたと同時に、胸に穴が開いた。
もう、祖父はいない。
一人になった気がした。
就職していた企業の上層部で色々あり、事業所トップがパワハラ上等という方になっていた。
「このままだとあの人を刺しそうなので辞めます」
そう言って辞表を出し、帰宅。
有休消化中に就職活動をしようとして最寄りの職安へ。
「企業は今すぐ働ける人が欲しいんです。働けるようになったら来てください」と、窓口のお姉さんから門前払い。
隣の管轄所へ行くと「担当区域外なのでお役に立てません」
暫く家事担当の無職になった。
せめて勉強をと思ったが、得意分野すらできなくなっていた。
「昔は俺が教わっていたのに…」と、弟に言われながら勉強した。
有休が終わりそうになったので、最後の挨拶を職場にしに行った。
挨拶をした一人から、新しい職場を紹介してもらった。
紹介してもらった企業には愛があった。
スタッフ同士もお客様との間にも。
不思議だけど、居心地の良い場所だった。
東北の震災がなければ、そのまま居たと思う。


