おねさんが旅立ってから
随分時間が経過しました。
ようやく
おねさんの最期を
ブログに書きたいと思えました。
どうぞ
お付き合い下さいね。
2018年の大晦日、お天気も良く日向ぼっこするおねさん。
しかし、@17:10に吐いていましました。
あっと言う間に年が明けて、おねさんの様子を見ていましたが、水飲み場から離れないおねさん…顎を器に乗せたまま動きません。
ドライブ時のしっかりした表情とは違って…げっそりしているのが分かります。
2019年元旦の朝、めごたんのシャ〜っで目を覚ますと、おねさんが寝室に来ていました。
クリスマス後のおねさんは、歩行もフラフラしていて、階段15段を登り寝室に来れるなんて思ってもみませんでした。
おねさんが元旦の挨拶に
来てくれたのです。
その時、最期の挨拶に来てくれたと分かったので、床にしゃがみこむおねさんを抱っこして、私のベッドに入れました。
おねさんの身体は冷えていました。
寝室まで来るのに、時間がかなり掛かったのだろうと想像できました。
普段おねさんは布団の中に入るのを好みませんが、もう嫌がる力もないのか大人しく私の布団で温まっていました。
おねさんの背中を撫でながら、「あなたが逝く時は、こんな風に私が側にいるからね」とおねさんに伝えました。
どこに階段を登る力があったのか…
保たないかもしれないと思いました。
暫く私のベッドで寛いだおねさんが、下に降りたいと言うので床に下ろすと、数歩歩いて直ぐにしゃがみ込んでしまいました。
そんなおねさんを抱えて、リビングまで降りました。
昨年の12月に入ると、トイレをOBする回数も増えました。でも、トイレまで行きちゃんと用を足す気力はありました。
おねさんの食事記録。
(シリンジで与えていた量)
@10:00 10ml
@13:00 11ml
@17:05 11ml
@21:45 10ml
@17:09のおねさん
歩く力もなく、うずくまっていました。
この姿を見て、おねさんはあと1週間保つか保たないか覚悟していました。
@21:54のおねさん
亡くなる1時間ちょっと前の写真。
最期の食事を済ませた後、ぐったりし始めました。呼吸が少し早くなりました。
身体も冷えていたので、30分温灸をして温めました。
温灸を充分にされたのか、おねさんは立たない下半身に一生懸命力を入れ、よろけながらリビングのフロアにしゃがみ込みました。
するとおじじが直ぐにおねさんに駆け寄り、寄り添ってくれました。
夫が「ジジィ!離れろ〜!」と叫びましたが、私は「紀之介、いいよ」と言ってそのままにしておきました。
おねさんに
もう逝くの?
と私は聞きました。
うん
そろそろ逝かないとだね
おねさんは
そう私に応えました。
その後
10分程経ったのか……?
おねさんが大きく咳き込み
フロアで横になってしまったので
彼女を抱え
こたつ布団に寝かしました。
おねさん逝くよ!!!
私は叫び、夫を呼びました。
呼吸が早くなっていたおねさんですが、私が撫でながら話しかけると、呼吸が落ち着いてきました。
おねさんは、本当に頑張ってくれた。
もういいんだよ、無理しなくてもいいだよ。
いいんだよ、もういいんだよ。
おねさんに
私がどれだけ愛しているか
沢山伝えました。
沢山有難うを伝えました。
おねさんの呼吸の間隔が
徐々に大きくなってきました。
夫も泣きながら
沢山おねさんに話しかけていました。
おねさんが
再度、大きく咳き込みました。
おねさん
最期に伝えたいことは
ある?
今まで
私のブログを読んでくださった
皆さまには
おねさんが
何を私に伝えてくれたのか
分かるかと思います。
3年前の元旦のブログ
👇
彼女が我が家へ来て最初の元旦でした。それ以降の元旦はリビングで軍団と過ごしていたおねさん。
我が家にやって来た最初の元旦と
そして…最期の元旦に
おねさんは
寝室に来てくれました。
愛している
おねさんが最期に
私に伝えた言葉です。
その後
おねさんが息を吐く事はありませんでした。
1月1日
元旦@23:16
おねさんの魂は
美しいふわふわな
ミルクティー色の身体から
静かに離れました。