皆さま
いとちゃんの為に
沢山のコメントを頂きまして、
本当に、本当に
有難うございました。
失礼ではございますが
コメント下さった方々には
この場を借りて
お礼申し上げます。
9/30
いとちゃん最期の1日。
「治療を頑張って凄いね、でも辛い時は助けてって言ってもいいんだよ、愚痴こぼしたっていいんだよ」と伝えたのです。
その1時間20分後にいとちゃんの苦しそうな叫びで飛び起きました。
とても苦しみ、身体を反らせて…
私は自分の手をいとちゃんの顔の下に置いて、何かを伝えたと思います、しかし自分が何をいとちゃんに伝えていたのか思い出せません。部屋の電気を!と思いましたが、今移動したら私はいとちゃんの最期を看取れないだろうと分かっていたので、動けないでいました。
そして、再度苦しい声を絞り出し身体を反らせました。
「もはやこれまでか」
3分ほど苦しみ、最期は呼吸がゆっくりになり、そのまま眠りにつきました。
その時、院長の言葉を思い出しました。
「尿毒症は辛いよ、俺の猫なら安楽死させる」やっとその意味が分かりました。
ヨダレで汚れた顔を綺麗にしなくちゃ!綺麗にしなくちゃ!
深夜2時過ぎに100%近く起きているのは、まり猫さん…直ぐに連絡しました。
すると、まり猫さんは「死後硬直が始まる前に洗ってあげて」と教えて下さり、直ぐに風呂場へ行き大きなタライにお湯を溜め始めました。
いとちゃんが死んだ
いとちゃんを抱き上げ、「やっとお風呂に入れるね!綺麗にできるよ!さぁ、入ろう」と元気な声でいとちゃんに話しかけました。
おじじがオロオロして、風呂場までついてきました。風呂場のドアは閉めず、おじじにいとちゃんが見えるように風呂場に入りました。
歯を食いしばりましたが、涙が出てきました。
亡くなる時少しだけ吐きましたし、口周りのヨダレや、身体を丁寧に洗いました。いとちゃんの口から舌が出ていて、気をつけながら洗いました。
もう必死で、必死になって洗いました。ダラリと力が抜けたいとちゃんを支えるのは、なかなか難しかったです。
丁寧に身体を拭き、ドライヤーで身体を乾かしました。
気が抜けてしまったな
ふわふわに白くなったいとちゃんに、「一緒にベッドに寝てみる?」と聞くと「寝てみたい」と言ったので、彼女を抱き上げ一緒に寝てみました。ふわふわで柔らかく、温かいいとちゃん。
涙腺の蛇口が微妙に閉まりきっておらず、チョロチョロと涙が溢れました。
いとちゃんに何の花を捧げようか聞いてみたのですが、いとちゃんはそんなに花にはこだわりがなかったようで、ちゃんとした希望の花が決まらず、そのまま私は寝落ちしてしまいました。
朝がやって来て、夫に「いとちゃん死んだよ」と伝えると、夫はキョトンとしていました。
夫は、いとちゃんの亡骸を見ようとはしませんでした。そうよね、見てしまったら…見てしまったら仕事できなくなってしまうもんね。
夫が作業場に行き、私は皆様から頂いたコメントを読んでいたら…プツッと何かの糸が切れ、
「もう、もうよかろう、いいよね?」と自分に言い聞かせ、いとちゃんに触れて、
いとちゃん
いとちゃん
わぁ…!!!!
と大声で泣き叫びました。思いっきり声を上げて泣きました。
いとちゃんは、死後硬直が始まっていました。
こんなに泣いて、もうっ!これからわたしも出かけなくちゃいけないのに!
顔にクリームを塗ろうとして、化粧ポーチを取ったはずが、手元をみると「猫のくすり箱」だし、またそれを見たら泣けて来ました。
街を歩いていても涙、地下鉄の中でも涙で変なオバさんでしたよ、わたし。
用事は午前中で済んだので、急いでいとちゃんを入れる箱、そして花束を買いに行きました。
下の写真はいとちゃんが「これならブログに載せてもいい」と許可が下りたので、彼女の亡骸を載せます。
死後硬直すると、まるで剥製のようになるんだな…と思いました。
私はいとちゃんの飼い主さんのおじいちゃんを恨みました。だって、いとちゃんはatelier-sitlus さんに「次のお彼岸まで頑張ってみる」と言っていたから。うちの軍団達は、私には直接言えない愚痴や本音をatelier-sitlus さんに言っていました、だから、あと半年は一緒に居られるかも…と期待していたんです。
10/1中に荼毘に伏せてあげたかったので、回向院に連絡をすると、回向院ではお骨上げができないと言われたので、ほかの葬儀屋さんに手配しました。
18:30にペット葬儀屋さんがお見えになって、その時初めて夫がいとちゃんの亡骸を見ました。
「眠っているみたいだなぁ」
火葬車は、我が家の近くのコインパーキングに停まっていたので、そこまでいとちゃんと行きました。
いとちゃんは、atelier-sitlus さんからプレゼントして貰ったWガーゼのシーツに寝かされ、花束とお菓子も一緒に置かれました。
最期の別れの時、私は泣き過ぎたので気分は割とスッキリしていました。夫は泣いていました。
いとちゃんの火葬が始まりました。
スタッフの方が「お骨上げの準備が出来次第、お呼びいたしますので、どうぞお宅でお待ちください」と言ってくれたのですが、私はいとちゃんが骨になるまで離れたくなかったので、そのまま火葬車の側に居て、スタッフさんの業界あるあるや色々と話しました。いとちゃんは、順調に燃えてくれ40分くらいで骨になりました。
お骨上げのとき、夫は「辛くて骨が見れない」と言っていましたが、私は「綺麗に燃えて、しっかり骨が残ってるよ!あっぱれだよ!」と夫を励まし、いとちゃんの骨を拾いました。
スタッフの方が「ここは〜の骨で…」と説明してくれ、骨を落とさないように慎重にお骨上げしました。関東では、骨全て骨壷に納めるのだそうです。骨の中に茶色っぽいのがあり、「これは💩ですよ!」と教えて貰いました。
いとちゃん
お疲れ様でした
いとちゃんと過ごした
1年1ヶ月10日
私は思いっきり
いとちゃんを愛しました
だから
後悔はありません
ぽんぽん
(いとちゃんの愛称)
荼毘に伏されると
軽くなると言ったね
軽くなって
49日の間
お世話になった所へ
お礼参りするそうです!
可愛いぽんぽん
ぽんぽん
貴方は幸せでしたか?