ユキは一人、なぜアスカがそこまで親身になって自分の友人のことまで助けてくれるのか、不思議に思った。どうしてなのか知りたくて、アスカにメールをしようと思ったが、気に障るといけないと思って、打ちかけのメールを削除した。


そのころアスカは、自分の過去を思い起こしていた。辛い過去。勇気をくれた過去。

ユキは、運命のめぐり合わせとでも言うのであろうか、高校もアスカと同じところへ進学していたが、中学生活中はアスカはユキと関係を持っていなかった。その間、アスカには心から信用していた親友がいた。サツキという子で、いつも明るい素敵な子だった。アスカにとってサツキは憧れの存在でもあった。誰にでも平等なその笑顔が、たまらなく眩しかったのだ。

あるころから、サツキは登校拒否を始めた。アスカは3日目から不安になり、サツキの家を訪ねていた。そんなときでも、サツキは明るく振舞っていた。2週間ほど続く登校拒否も、ようやく終わりが見えかけていた。そんなころに、サツキは突然消息を絶った。両親ともにサツキの行方を知らず、警察も捜索に加わっていた。アスカもたまりかねたのか、みなの仲間に入りサツキを探し始めた。

サツキの行方が分からなくなった日の夕方、雨の降り続く中を、傘もささずに歩く少女を、アスカが一番に発見した。

「サツキ!」

あわてて駆け寄る。嫌な予感がしていた。目の前には踏み切りが・・・。

「ねぇサツキ、帰ろうよ、心配してたんだよ?」

大声で叫びながら、サツキの腕を引っ張った。するとサツキはすごい勢いでアスカの手を振り切った。

「うるさい!何も分からないのに、心配してただって?」

サツキは今までに見たことの無いような恐ろしい目つきで怒鳴った。突然浴びせられた罵声に、アスカはうろたえた。なぜサツキがここまで恐ろしいのだろう・・・。

「誰にでも愛想が良いからブリっこだの言われて、それが辛くない人間がいると思ってるの?」

サツキはアスカになどかまわずにわめいていた。

「どれだけ苦しい思いをしたか、分かってるの?どうせアスカだって同じこと考えてるんでしょ?」

アスカは憧れの人に、立て続けに恐ろしいことを言われ、あっけにとられていた。サツキは相変わらず鋭い目つきでアスカを見据え、涙を流しているようにも見えた。雨のせいではっきりはしなかったけれど。

「そんな・・・こと・・・思うわけ無いじゃん・・・」

アスカはさめざめと泣きながら、やっとの思いで言葉を返した。

「何でそんなさ・・・怖いこと・・・言うの・・・?」

片手で涙をぬぐうと、一歩サツキに近づいた。

「ずっと・・・尊敬してたのに・・・・そう思ってると思う・・・?」

アスカはサツキにそっと手を差し伸べた。その瞬間だった。

カーン・・・カーン・・・カーン・・・

踏み切りの警鐘が鳴り始めた。電車が見えてきた瞬間だった。

「                     」

踏み切りの音でかき消されたサツキの声を、アスカは今でも何を言っていたのだろうと考えていた。

サツキは笑顔で踏み切りの中に消え、その直後に電車がサツキを跳ね飛ばしていった。数メートル先で電車は停止した。アスカはサツキの無残な死体を見ながら、雨の中へたりこんで、これまでに無いような大声で泣き叫んだ。

雨の中、アスカはただひたすらに声を上げるばかりだった。駅員に肩を抱かれても、その場から動こうとはしなかった。サツキが死んだことを、認めたくなかったのだ。


後日学校では、体育館に集まった生徒たちが黙祷をささげていた。サツキのまぶしいくらいの笑顔が、白黒で枠の中にはまっている、色は無くても彼女はとても輝いていた。

憎まれる理由などひとつも持たず、それでも誰かの嫉妬を受けていて、それを表に出さなかったサツキを哀れに思う気持ちで、アスカは胸が詰まった。

苦しいときに、相談してくれれば・・・いや、彼女の異変に自分が気がついていれば、私はサツキを死なせることが無かったはずなのでは・・・?答えの無い質問が頭に過ぎる。あのとき、笑顔のサツキが私に言った言葉はなんだったのだろう・・・?メッセージ、せめて最後のメッセージくらい、聞かせてくれてもいいじゃないか、神様はなんて意地悪なんだ、とアスカは悔しさに唇をかみ締めた。

そういえば、あのときのサツキの遺体、腕にはたくさんの傷跡があった。カッターナイフで切ったような・・・きっと苦しさに勝てず、ずっと自殺を望んできたのではないだろうか・・・。


アスカがマユミを許せない理由、サツキの死が関係していた。アスカは、もう自分の目の前から、何であろうとも自殺して死んで行くなど考えたくないのだ。そして、自殺の被害者をこれ以上見たくないのだ。

ベッドに横たわるアスカは、静かに涙を流していた。

そして、目を開くと、よしっ!と一言つぶやいた。



「私は誰も死なせやしない!まだあの人には未来がある!」

決心の固まった真っ直ぐな瞳は、夕日を受けてオレンジに光った。

マユミはどんどん闇の中に引きずり込まれていく、アスカはベッドに転がりながら、メールを打っていた。


【件名:マユミのこと

宛先:yuki-hosaka@matumeru.ne.jp

本文:

まったくいやになっちゃうよね㊦㊦情報はあるけど、うち馬鹿だからさ(笑)簡単に説明してくれないかな?】


数分すると、返事が戻ってきた。


【件名:Reマユミのこと

宛先:love_friends-asuka@mail.kilali.com

本文:

OK。今わかってることは、マユミのリスカ、その原因は今のところ昔の虐待に関係しているということ、それと、今マユミと仲のいいリョウ君が売春に手を出していて、女の子を売っているということ、それくらいかな。付属としては、リョウ君のお兄さんは、弟が嫌いということ。ほかに何かあるかな?】


アスカはメールを読み終わると、自分のメモ帳に情報を書き出した。


【件名:ReReマユミのこと

宛先:yuki-hosaka@matumeru.ne.jp

本文:

ありがとう^^ほかに関係のありそうで、調査が済んでいない人の名前は?】


またしばらくすると返事が返ってきた。


【件名:ReReReマユミのこと

宛先:love_friends-asuka@mail.kilali.com

本文:

えっとね、関係がありそうな人は、ミコちゃん、とユカリちゃん。また増えたらメールするね。そういえば、ハヤテさんに会ってから結構情報増えたよね。まだマユミを救えるか分からないけど、希望の光が見えてきたね。私たちって、探偵みたい(笑)依頼なんて受けてないけど、こうやって捜査するのって探偵みたいだなって。こんなときに変なこと言ってごめんね。】


アスカは少し微笑んでから、メールを打ち始めた。


【件名:ReReReReマユミのこと

宛先:yuki-hosaka@matumeru.ne.jp

本文:

@^o^@ユキやっと冗談言うようになったね。元気になってよかったよ。そうだね、探偵みたい。どう?うちらの目標として、探偵団の団名でもつけてみない?】


ユキはそのメールを見て、静かに喜んでいた。満面の笑みで、目に薄く涙をためていた。


【件名:ReReReReReマユミのこと

宛先:love_friends-asuka@mail.kilali.com

本文:

そうだね、ヒロト君にもメールしてみるね。】


ユキはヒロトの宛先を呼び出し、メールを送った。


【件名:探偵団名

宛先:hiroto-enjoy_everyday@mail.kilali.co.jp

本文;

ヒロト君、いまアスカちゃんとメールしてて、私たちが探偵みたいだねって話になったの。団名を決めようと思うんだけど、ヒロト君何かいいの無いかな?】


アスカより少し遅めにメールが帰ってきた。


【件名:Re探偵団名

宛先:love_friends-asuka@mail.kilali.com  yuki-hosaka@matumeru.ne.jp

本文:

二人に同時に送るよ。いいね、こんなのどう?「MSD」どうどう?「マユミを救う団」の略なんだけどv】


アスカからメールが届いた。


【件名:ReRe探偵団名

宛先:yuki-hosaka@matumeru.ne.jp  hiroto-enjoy_everyday@mail.kilali.co.jp

本文:

うっひゃーヒロトだっせぇよ(笑)これどう?「FUSD」っていうの、「フュジッド」って読んで、FUはフューチャー、Sはスマイル、Dはディフェンド。未来と笑顔を守るって意味。どう?】


アスカとヒロトにユキから返事が来た。同時にアスカとユキのもとにヒロトからも。


【件名:ReReRe探偵団名

宛先:love_friends-asuka@mail.kilali.com  hiroto-enjoy_everyday@mail.kilali.co.jp

本文:

私フュジッドに賛成。みんなは?】


【件名:ReReRe探偵団名

宛先:yuki-hosaka@matumeru.ne.jp  love_friends-asuka@mail.kilali.com

本文:

だせぇってなんだよ。フュジッド、ユキが良いなら俺も賛成。】


アスカは喜びながら返事を打った。


【件名:ReReReRe探偵団名

宛先:yuki-hosaka@matumeru.ne.jp  hiroto-enjoy_everyday@mail.kilali.co.jp

本文:

みんなありがとう!それじゃあ明日から、フュジッドとしてがんばろう!よろしくね!】


メンバーは、それぞれの画面をみながら、小さくよろしくとつぶやいた。


寒空のした、こうしてFUSDの小さな探偵たちは、強く強く意思を固めていくのであった。



アスカはユキの書いたメモを見ながら、ピザを口に運んだ。むぅっと唸りながら伸びたチーズをぺろりと絡めとる。その隣には同じようにメモを覗き込みながら、ピザを食べるヒロトと、カプチーノを飲んでいるユキが座っていた。ショッピングセンターのファーストフード店で、いつものように3人がそろっていた。空は真冬の快晴。雪がちらついているが、割と暖かな日だった。

「虐待・・・」

アスカはつぶやきながら、メモに記された漢字2文字を指でなぞった。何でも過去に起きたことが今に繋がっている、そういうのの方が考えやすいが、そうとも限らないかもしれない。

「虐待受けてたっつーのは確かなはなしなの?」

アスカは横目でヒロトを見ると、すぐに話し始めた。

「うん、あいつの親父、たぶんいま刑務所にいると思う・・・もう釈放されたかもしれねぇけど。」

ユキはアスカの邪魔にならないように、メモにさらさらと書き足した。

「今手元にある手がかりは、昔の虐待、現在のリスカ、この二つしか・・・」

またむぅと唸って、ピザを食べ始めた。

「ねぇユキ、マユミにかかわりが深い友達とかって、あんた以外にはいないの?」

ユキはしばらく考えてから、何人か名前を挙げ始めた。

「ユカリちゃんと、ミコちゃんと・・・リョウ君とかと最近一緒にいると思う・・・」

自分で名前を挙げながら、メモにその名を書き足していった。

「うっわ、たちのわりぃ不良ばっかじゃん。」

アスカはわざといやそうな顔をつくってみせた。

「お前人のこと言えるのかよ。」

とヒロトにつっこまれて、へらへら笑いながらお前もな、と言い返した。

「にしてもさ、なんでそんなヤンキーみたいなやつらと一緒なんだろう・・・」

「あいつらを嗅ぎまわるっていうのもひとつの手だぜ。」

ヒロトは何か自信ありげに言ってみせた。

「手がかりはあるの?」

まかしとけ、っと胸をはると、ヒロトは自分のケータイを取り出した。

「ええっと・・・こいつなら何か知ってそう・・・」

アドレス帳から出てきた名前は”右田 ハヤテ”。リョウの兄だった。

「ハヤテ・・・助けて、ほしい、ことがあるんだけど、頼まれて、くれねぇかな、はてなマーク・・・っと」

みんなに内容がわかるように、声に出しながら文字を打っていく。

「送信♪」

送信が完了すると、ものの1分くらいで返事が戻ってきた。

【頼みごと?めずらしいな、あまり危ないこと頼むんじゃねぇぞ(笑)】

アスカが内容を読み上げると、ヒロトはすぐに返事をうちはじめた。

「それが、ハヤテの、弟の、リョウのことなんだけど、俺の、モトカノが、絡まれてる、みたいで、モトカノの、友達らと、助けたいんだけど、なにか、しってること、ないかな、はてなマーク。」

うっしと送信を押すと、またすぐに返事が戻ってきた。

【リョウの足手まといめ、あいつなんて弟でもねぇよ。喜んで協力してやる。今メールはできねぇから、会えないか?今どこにいる?】

アスカは読み終えると、やったと手を上げた。その後すぐに、ヒロトに質問をはじめた。

「なんで弟と仲悪いの?」

「弟は中途半端なチンピラってところも嫌いみてぇだけど、ハヤテは頭もいいし、超こえぇからな。ブラコンってやつ。弟もハヤテのことが嫌い。」

そういい終えると、またすぐにメールを打ち始めた。

「俺らは、パルコの、レストランあるとこに、いる。」

「これでOK」

ヒロトはぱこんとケータイをたたむと、ポケットに押し込んだ。

数分たった後、明らかに柄の悪そうな男が、3人のもとへやってきた。見た目は高校3年生くらいだろうか。ピアスをつけ、髪はありえないような色をしていた。

「っよ、ヒロ、久しぶり」

陽気な話し方だが、明らかに目が据わっている。珍しくアスカはおびえた口調でヒロトの耳元でささやいた。

「この人がハヤテってやつ?」

にこにこと不気味な笑顔で3人を見つめていた。

「へぇ、女が二人も、ヒロもやるねぇ」

と、間の抜けた冗談をいい一人でくすくす笑っている。

「ちがうっつぅの、マユミの友達。んで、弟さんに怪しい行動っての、みられますか?」

ヒロトの発言で、ハヤテの表情は見る見るうちに変わっていった。眉間にしわを寄せながら、淡々と怒りをこめて話し始めた。

「ったくあの金食い虫の野郎が、あの”ゲーセンの裏”に居たらしい。ダチに聞いた。迷惑ばっかりかけやがって・・・。」

ゲームセンターの裏、危ない場所として広く名の知れた危険地帯、ゲーセン自体もヤクザ絡みらしく、麻薬の密売もされていると噂が流れていた。リョウがそこにいた・・・ということは・・・。

ユキはさらさらとメモを取ると、ハヤテに質問をした。

「リョウ君に変わった所とかは?」

うーんと一声唸ったあと、リョウの兄である男は話し始めた。

「女の子を連れていたんだと、どうやらタムロしてるらしくって、ダチが見てたときは中年男が女の子を一人連れて行ったんだとか・・・。なんであの野郎はそんなややこしいことまで始めたんだよ・・・」

最後に独り言を残して、ハヤテはため息をもらした。

女の子を連れていて、その一人を男に引き渡していた・・・。

「売春・・・?」

ユキはそうつぶやくと、その文字をメモに書き記した。

「畜生めが・・・」

ハヤテはそうはき捨てると、机の天井にこぶしをたたきつけた。

アスカは真剣な表情で、ハヤテに質問した。

「さっき金食い虫ってリョウのこと言ってたけど、どうして?話せないなら別にいいけど・・・」

殺気のあふれるハヤテの表情は、見る間に悲しげな顔へと変わっていった。

「ああ・・・話してやるよ、ちょうどイライラが溜まってたところだ、聞いてくれるほうがありがたい・・・」

そういい終えると、深く息を吸い込んで、また淡々と語り始めた。ヒロトは事情を知っているようで、ハヤテと同じような悲しげな表情だった。

「俺の親父は病気でよ、治療にはそりゃ馬鹿ほど金がかかるんだ。お袋の仕事だけじゃもちろん足りねぇし、家族を養っていかなくちゃならねぇ。俺にはあの馬鹿野郎意外に、妹が居る。親父やお袋、妹、はじめはもちろん弟だったあいつのためにも、高校進学をあきらめて働き始めた・・・。」

またそこで言葉を切って、深く息を吸った。

「俺が必死こいて稼いだ金は、はじめはいい調子でたまっていったんだ・・・お袋が節約してやりくりしてくれたからな・・・。だが、いつのまにか、あの馬鹿野郎はどんどんひねくれちまったんだ・・・。こっそり金を持ち出しては、良くないことに使い始めた。さすがにシャブには手を出さなかったみてぇだが、今度はあいつが高校に進学して、俺の稼いだ金はあいつの学費に馬鹿みたいに消えていくんだ・・・どうせ卒業もできねぇやつに、なんでこの俺が学費を払わなきゃいけねぇんだ?妹だって学費がかかる・・・子供の多い家っつぅのは難儀なもんだぜ・・・。」

悔しさと悲しさの入り混じった表情で、ハヤテはじっとうつむいていた。何かに耐えるように。

「ハヤテの頭脳じゃ名門高校も夢じゃなかったんだぜ・・・?」

ずっと黙って話を聞いていたヒロトは、少し震える声で話し始めた。

「俺も、ハヤテといっしょにバイトしてたんだよ、助けてやりたくってさ。」

ハヤテは無理な作り笑顔で3人を見た。

ユキは、悲しさを感じながらも、メモを取っていた。

「こんなことまでメモを取らせていただいて、どうもありがとうございます。」

ユキは軽く頭を下げた。いいよ、とでも言うように、ハヤテは右手を振って見せた。


アスカとユキは、ハヤテとお互いのメールアドレスと電話番号を交換した。いつでも協力してやると、ハヤテは笑顔で言ってくれた。目は相変わらず、何かを殺そうと狙っているような鋭さと冷たさを持ったまま。


これで手がかりは増えた。


小さな探偵たちは、一人の病める少女を助けるために、力を合わせ始めた。強い結束を抱いて、災いへと立ち向かっていくのであった。



続く

カッターをそっと滑らせると、まるで宝石のように美しい鮮血が粒になって傷口へあふれてくる。キラキラと光って、本当に綺麗だ、マユミはうっとりと自分の手首を見つめていた。何度繰り返しても、頭の中が白くなっていく。

ティッシュをそっと当てると、真珠のように丸い血を、まるで飢えた生き物のようにどんどんと吸い取っていった。赤くにじんでいく。手首の出血が止まると、腕に絆創膏をはり、征服のカーディガンの下へと隠した。念には念を入れて手首にはリストバンドが着けられていた。

どこを見ているのか、中一点をうつろな目が見つめていた。輝きは失われ、底なしの沼のように、永遠の闇が沈んでいた。まるで胸が縛られたように、切なくつらい、感情が暴れていた。マユミの静かな身体の中で。


静かに記憶の波を辿っていた。意味の無いタイムスリップ。マユミはそれを知っていた。意味など無いと。本当に無意味で、自分には何も与えてはくれない、マユミは心の中で叫んだが、フラッシュバックはとめられなかった。

辛く苦しいあの瞬間へと戻っていく。身体がずたずたになってしまったほうがまだましだ、そう思えるくらいに過酷なあの瞬間へと。


髪は肩に届きそうなくらいで、毛先は外側にはねた、活発そうな少女が、ひとり泣きながら夕暮れの町を歩いていた。田舎で、近所の人々はまるで血のつながった家族のように仲のいい、本当に平和な町だった。ひとりの少女は、ずっと小さな声で「ごめんなさい」を繰り返していた。何度も何度も、声がかれてしまうまで。町外れの交差点まで出たところで、後ろから大人の女性の声がした。

「マユミ、マユミ、戻っておいで、一緒に帰ろう。」

そっとマユミの肩に、女性の手が触れた。細くやせこけ、あかぎれだらけの貧しそうな手。マユミはわっと声を上げて泣くと、女性の胸の中に飛び込んだ。

「ごめんなさい、ごめんなさいお母さん」

母と呼ばれた女性は、そっとマユミを抱きしめた。何も言わず、ただじっと。マユミはなぜこんなにも苦しいのか、母が身体に触れているとき、不思議なくらい切なくて苦しくなるのだった。


手を引かれて地獄の道を歩いていく。戻りたくないのに戻らなくてはいけない場所、戻りたいのに危険な場所へと、無意識のうちに連れて行かれてしまう。まだ幼いマユミには抵抗する力も訴える力もほんの少ししかもっていなかった。それをあの男へ伝えることは、マユミだけの力では成し遂げることができなかった。


母はドアノブへ手をかけた。すると、母の手首に何か傷があることにマユミは気がついた。刃物で切りつけられたような傷が、母の左の手首にたくさん・・・。言い知れぬ恐怖がマユミの全身を硬直させた。中に入りたくない、マユミは今すぐにでもここから逃げ出したいのに、身体が言うことを聞かない。どうしよう、まるで蛇に睨まれた鼠のように、ただただ恐怖に駆られて立ち尽くす。母はドアを開けると、マユミの手をそっと引いた。そこでようやく、母はマユミが何かを訴えようとしていることに気がついた。

「どうしたの?マユミ」

やさしい左手が、傷だらけの左手が、マユミのほほにそっと触れた。続いて右手も。冷たくあかぎれだらけで、刃物の傷だらけの手が、優しくマユミの顔をはさむ。

「いやだ・・・」

ただ怖いという表情で、涙を流すマユミをそっと抱き上げると、母はゆっくりと部屋の中へと入っていった。


「今帰りました」

母は父の居ると思われる部屋に向かって、帰ってきたことを知らせた。

バーン!とすさまじい音でふすまが開けられると、マユミの父はまるで殺人者であるかのような恐ろしい顔で部屋から出てきた。

無言でマユミの前まで来ると、父はマユミの前髪を鷲づかみにし、うえへ引き上げた。ブチブチ!と何本もの髪がちぎれる音がした。きゃっとマユミが悲鳴を上げるのと同時に、父はマユミの顔を張り倒した。マユミの小さな身体はいとも簡単に畳へとたたきつけられた。怒りに燃える父の目がマユミを殺そうとするかのように睨みつけていた。と、突然母がマユミと父の間に滑り込み、精一杯の力をこめた目で父の目をにらみ返し、反抗していた。

「何てことをするんですか!・・・もう・・・もう我慢できません!警察へ・・・」

「行けるもんなら行ってみりゃいいさ・・・」

息を荒げた父が、母の左手をぐいとつかんで、自分の目の胸元の高さまで持ち上げた。母が片腕でぶら下がっていて、苦痛の表情を浮かべている。父はポケットからカッターをとりだすと、母の左手首にその鋭利な刃を当てた。

「何なら監禁してもいい・・・ばれなければ殺せばいい・・・」

何かに取り付かれたようにそう口の中で繰り返しながら、父はじわじわとカッターを滑らせる。母はうっすらと目に涙を浮かべ、下唇をかみ締めて痛みに耐えている。幼いマユミは、身動きもとれず、ただ母の左手首をじっと見つめるばかりだった。ぽたりぽたりと、腕を伝って畳に血が滴り落ちた。

マユミは心の中が、悔しさと恐怖でめちゃくちゃになっていた。どうすることもできないこの無力さが、マユミの人間性をすべて否定されているかのように、少女は幼いながらも感じていた。

カッターが腕から離れると、母は父の手を振り切ってマユミを抱き上げると、そのまま全速力で玄関のドアを開け、アパートの階段を下りて、走り続けた。マユミはそのとき、母の決意に満ち溢れた横顔を見た。マユミと自分を怪物から守るための、決意にあふれた横顔を。



マユミは目を開けると、いつもの学校のトイレの個室に居た。ほっと胸をなでおろすと、さっき応急手当をした手首を軽く握った。



続く


いかにも面倒だというような顔で、ヒロトはアスカとユキの後ろをついていった。

アスカが立ち止まると、ヒロトが怒鳴った。

「何の用があるってんだよ、俺てめぇみてーな女に付き合ってるほどひまじゃねーんだ!!」

その一言で、アスカの笑顔は一変し、みるみるうちに眉間にしわを寄せた。

「っんだと?こっちはわざわざお前を探しにきたんだろうが!話すことがあるだろ!」

男顔負けの罵声を浴びせると、ふんっと鼻を鳴らし腕を組んだ。ユキはびくびくしながら、アスカの背中に隠れた。

「っんなもんねーよ」

ヒロトはそうはき捨てると、階段に足をかけた。

「ま、まって・・・」

ユキは震える声を抑えながら、アスカの後ろから顔を覗かせた。

「マユミのことで、聞きたいことがあるの、いいかしら?」

いかにもきちんと教育されたお嬢様のような言葉遣いで、おそるおそるヒロトに話しかけていた。

ヒロトはマユミの名を聞くと、わずかに表情を変えた。アスカはそれを見逃さなかった。ユキも同じであった。

「ほぅらみてみろ、話すことがあったろ?」

言葉に詰まるヒロトがますます怪しかった。それを見ると、アスカは顔中にまたあの怪しげな笑みを戻していた。目は冷たくさすように、ヒロトの全身を縛っていた。

「ヒロト君、昔マユミと付き合ってたんだよね?」

ユキはそろりとアスカの後ろから姿を見せた。ユキも上目遣いで、ヒロトのことをじっと観察していた。

「なんの関係があるってんだ、俺が何かしたか?俺はしらねーぞ。」

ふぅん、とアスカは鼻で笑うと、ユキに目配せをした。アスカよりもユキのほうが、言葉が達者だった。

「マユミが最近様子が変なの、ヒロト君、知らない?」

さすがのヒロトも、アスカが守っているおとなしいお嬢様には罵声を浴びせることはできないようだ。声のトーンを落とし、平静を保とうとしていた。

「様子・・・が変?お、俺は・・・」

ヒロトはあたりをきょろきょろと見回し始めた。挙動不審、アスカはますます笑顔になっている。ユキはもうおびえるのをやめ、冷静なユキに戻っていた。

「マユミが、何かあったのか・・・?」

とっさに思いついた言葉なのだろうか、さっきの言葉と矛盾している発言だった。アスカがとっさににらみを利かす。

「ヒロト君、昔マユミに何か変わったことはなかった?」

アスカのにらみにひるんだヒロトに、ユキが言葉を加えた。なんでもない言葉でも、アスカとユキのタッグでは、誰もがたじろぐような不思議な力を感じさせた。

ヒロトはためらいながらも、口を開いた。

「俺・・・俺お前らに協力する・・・」

はぁ?という顔でアスカがヒロトを睨んだ。ユキも、聞きたいことではない予想外の言葉がヒロトの口からこぼれたことに驚いていた。

「俺・・・お前らに勝てない・・・隠せやしないよ、お前らには・・・知ってることは全部話すよ・・・だから・・・だから俺もお前らと一緒に動くから・・・」

突然すぎる展開。ヒロトの中で何が動いたのだろうか。アスカとユキはお互いの顔を見つめ、ヒロトを見つめた。ヒロトの目にはわずかに涙の膜を浮かべていた。なぜ泣きそうなのか、本人にもわかっていない様子だった。

「わぁったよ」

アスカは目だけ微笑んでいた。ユキもまだ驚いた顔をしながら、アスカに習って笑顔を作った。

「俺の知ってることは・・・俺が付き合う前・・・マユミ虐待受けてたとか・・・なんか・・・」

ヒロトは息が荒くなっていた。言葉を言い終えると深呼吸をして、アスカの目をじっと見つめていた。ユキは小さいリングメモ帳にボールペンで走り書きをしていた。

「ほかには?」

ユキはメモ帳から目を離すとヒロトにやさしい声で質問した。

「わかんねぇけど、マユミの母ちゃんの手とか、やたら縫い跡があった・・・のを覚えてる・・・」

アスカはユキのメモ帳を覗き込んだ。しっかりと内容が記されていることを確認すると、ヒロトに向き直って言った。

「ありがと、明日から忙しくなるかもしんないよ、休み時間とか、放課後はなるべくうちらと一緒にいること、OK?」

アスカはよく通る声ではきはきと告げた。ヒロトは自分が仲間に入れてもらったことを再確認すると、少しだけ微笑んだ。

「俺、マユミが変なのに、何も手助けしてやれなかったんだ・・・」

そういうと、大きく笑った。ヒロトの目から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。



続く


食後のデザート、りんごを丸々1個かじりながら、頬杖をついて、アスカは空を見上げていた。シャクリシャクリとりんごをかじる音が、廊下の雑音の中で心地よく響いていた。

アスカの隣には、ユキが礼儀ただしく座っていた。アスカと一緒にいると、違和感を感じるくらい、まじめで健全なユキであった。

あの事件があってから、アスカとユキは一緒にいることが増えていた。何も言わなくてもただ並んで座っている、そんなことも多かった。アスカのまわりの人たちは、どうして不良のアスカが優等生と一緒にいるのか、とうわさするのだった。

アスカは毎日ユキと同じ道から帰り、少しずつユキから事の成り行きを聞きだしていた。さすがに元々が幼馴染あるだけあって、話すペースは速く、すぐにうちとけていった。

時間を見つけては一緒に遊び、アスカは極力、ユキの心を癒してやろうと一生懸命になっていた。

今日はまたしばらく、お互いが何もしゃべらず、黙り込んで座っていた。不意に口をついて出た言葉は、アスカから発せられた。

「でもどうして、リスカなんてしようとしたんだろう・・・」

芯だけになったりんごを、ゴミ箱に投げると、くるりと横へ向き直った。ユキは眉間にしわを寄せて、何か深く考えているようだった。

「私も、ずっと気がつかなかったんだ・・・」

ユキは、まるで鈴のように美しい声で、つぶやいた。

確かに、誰もマユミの異変には気がついていないようだった。まだその事件を知るものは少なく、その誰もが驚いているようだった。アスカにも、マユミはいつもと変わらずに見えていた。

「でも、何かに原因があるのは確かだよね」

ユキはまた小さな声で言うと、またじっくりと考え出した。アスカはふうんと軽くうなずくと、騒がしい廊下へ目を向けた。仲間たちと笑う、マユミが目に映った。彼女は今どんな気分なのだろうか。周りの人間が、どれだけ心配しているのか、気がついているのだろうか。

「その原因ってやつ、ユキは聞いてないの?」

アスカは横目でユキを見ながら聞いた。ふぅと小さくため息をつくと、ユキは答えた。

「それもまだわからない。マユミがリスカしてたのも、最近しったんだもん・・・」

言い終えると、ユキは机に突っ伏して、あーもう、っとくぐもった声で言った。

「もしかしたら、今に始まったことじゃないかもしれないよ。昔から切ってたかもしれない・・・」

もぞもぞとくぐもった声がユキから聞こえた。

そっか、と答えると、アスカは突然立ち上がり、教室を出て行った。廊下から大声で叫んだ。

「ユキもいくよー」

ユキはあわてて飛び起きて、小走りにアスカの背中を追いかけていった。


アスカの行き先は、屋上だった。ユキはなぜこんなところに来たのかも、理解していなかった。

バーン!!と派手な音をさせて屋上の扉を開いた。そのにいたのは、数人の男子だった。さっきまでわーきゃーと楽しそうにやっていたのに、アスカが扉を開けた瞬間、全員が黙ってしまった。

「高橋 ヒロト!いるかー?」

アスカは大声で一人の男子の名前を呼んだ。黒髪をつんつんと立てた男子が一人立ち上がった。

「俺だけど。お前みたいなんがなんかよう?」

あーだりぃと言わんばかりに返事を返した。

「お話ぃwちょっと付き合ってくれる?」

顔全体に怪しげな笑顔を浮かべ、アスカはヒロトを連れて行った。ユキはあわてて残りの男子にぺこりと頭をさげると、アスカの後をおっていった。


続く

今年の夏は、例年の冷夏にはならず、しっかりと高気温を保ってくれた。そのおかげで、今月は早くも雪が降ろうとしていた。

12月のはじめ。みんながクリスマスプレゼントや、彼氏彼女への贈り物を気にし始める。

テストが終わって、アスカはどんどん気が抜けていく気がした。

ふぅとため息をつくと、一人でひざ掛けを持って中庭に出た。音もなく、頭上から小さな粉雪が、少しだけ降っていた。白く吐かれた息を目でおいながら、体をお構いなしに冷やして行く外気に心地よくふかれていた。

ふと玄関先に目をやると、アスカと同じように一人でたたずむ、2組の少女を見つけた。

彼女は、しっかりと左手で右肩を抱いて、背中を丸めていた。不規則に上下する丸く小さい背中をみれば、彼女が何をしているかすぐにわかった。

確かあの子は・・・と、アスカは名前を思い出しながら彼女の元に歩み寄っていった。近づくにつれて、彼女の全身から、こちらにくるなと警戒されているような気がした。

「ねぇ、2組のユキちゃんだよね?」

アスカはためらいながら、いつものキャラを保ち、泣いている少女に話しかけた。

彼女は左の袖で涙をぬぐうと、顔を上げずに返事をした。泣きじゃくっているせいか、ひどく音が詰まっている。わずかにこちらに顔を上げた。色の白いほほは、まるで赤く塗ったように紅潮し、端正な顔立ちのはずなのに、目は充血して、ぐちゃぐちゃに泣きはらしていた。

「な、な、なに?」

押し殺したようなくぐもった声で、ユキは返事を返した。

「中庭いこ。」

アスカはユキの腕を無理やり引いて、中庭の暖かい隅へとつれていった。泣きつかれたユキは、抵抗するまもなくアスカに引きずられるようについていった。

アスカは立ち止まると、震えるユキの小さな肩に、持っていたひざ掛けを乱暴にかけた。ユキをベンチに無理やり座らせて、隣にアスカが並んだ。

アスカはしばらく、何も言わなかった。5分間ほど、黙っていたが、その間もユキは泣き続けた。

驚くことに、アスカよりも先に、ユキのほうが先に話し始めた。

「ね、ねぇ、ど、どどど、どうして、て、て、私を、つれ、て、きた、の、の?」

ひどくどもりながらもユキは話しかけてきた。アスカは仕方ないなぁとでもいいたげな笑みを浮かべると、ユキにそっと語りかけるように話し始めた。

「泣いてる人をほうっておける?私はほうっておけないから。」

ユキは両手で目をこすると、また静かに押し殺した声で話し始めた。

「助けて・・・あ、げげ、られな、な、な、いの・・・」

ほとんど聞き取れないような声でそこまで言い終えると、一息おいて大きくため息をついた。

「・・・マユミが、が、が、傷、きず、ずだらけ、で、で、で、たす、助けあげれ、れ、れない・・・」

いえるだけ言い終えて、少しずつため息をついて、間をおいていた。

アスカは腕を組み、小さくふぅとため息をもらした。

「マユミが?傷だらけってどういうことなの?」

ユキはくぅとのどを笛のように鳴らして、その後ため息をついて、息を整えてから、ゆっくり話し始めた。

「ま、まゆ、マユミは、は、リスカ、か、かしてた、ん、ん、だ・・・」

またわっと泣き出したので、アスカはそっと肩に手を置いた。

二人が話をするのは、本当にひさびさのことだった。幼稚園からずっと同じで、幼馴染だったのだが、小学校3年生のときにクラスが離れて、それから今までずっと話していなかった。

お互いが久々に話したのは、思いがけない事件がきっかけだった。

マユミのリスカ。重くのしかかる3文字のカタカナの響きは、アスカの心のそこで鈍く音をさせて落ちた。

アスカは自分では気がついていなかったが、両ほほには光る涙の筋があふれていた。



>>続く