皆さん、おはようございます。

これは近くの神社の龍です。

 

久しぶりの投稿です。

 

あれから、毎日が忙しかったです。

 

が、いよいよ2025年に向けて風の時代、ますます加速に入ると時となりました。

 

 

本日は私の、ある意味、最初の覚醒のはじまりをお話しします。

 

 

初めに、、、これから書くことは私の悲しい人生を訴える物ではありません。

 

その逆だと思っております。

覚醒のはじまりであり、わたしへのギフトの人生なのです。

 

 

当時、、、昭和の時代に幼少期を過ごした私にとっては、、、かなりキツイ思いもありましたが、

今となっては、私が生まれる前に設定してきた私の楽しい人生なのです。

 

 

私は九州の地方都市で生まれました。

 

 

私の最初の記憶は、保育園で2歳上の姉と友達のK子ちゃんと一緒におままごと遊びをしていた記憶です。

というより、その写真が残っていたのでそれが最初の記憶になったんだと思います。

 

K子ちゃんは美人で聡明、頼りがいのある女の子でした。

 

 

 

私は父母と姉の4人家族の長男として育ちました。

 

母は当時、身体障害者3級の手帳を持っており片方の耳が聞こえなっかたため、外部の方とは意思の疎通をとるのが難しく、いつも私や家族が変わりになって通訳の役目を担っていました。

 

父は、おとなしい人で、自分のことをあまり語らず自転車で外交員をやっていましたが、家のほとんどの収入は母が稼いでいました。

 

姉は出産の時、病院ではなくお産婆さんにお願いしたらしいのですが、うまくいかなっかったのか

片足脱臼という状態で生まれ、その影響か?小学校に上がっても途中で普通学級から特殊学級へ

と編入させられました。

 

私と言えば小学校1年生の時、初めてもらった通知表の通信欄の先生の短い一文が、

今でも忘れません。

 

担任コメント欄  「女の子っぽいので、もう少し男の子っぽく振舞った方がいいんじゃないでしょうか?」

 

私はこの一文に、ノックアウトされてしまいました。

 

それまで曇りなき魂で生きていた私の魂に、はじめて暗雲が垂れ込めたのです。

 

 

確かに、マヨネーズの空容器を使って赤ちゃん抱っこ遊びをしていた記憶はありますが、

それは、保育園時に姉とK子ちゃんと3人でままごと遊びをやっていた延長であって、

それを、1年の担任になって間もない先生にやんわりと、しかし的確に指摘されました。

 

その件依頼、私はそれまで味方だと思っていたT先生を「私の味方で良い先生、、」と言うカテゴリーから外してしましました。

 

そして、家庭以外の、世間というものを知った最初であり、

人を見る、はじまりの人生でしたでした。

 

それから数十年、特に青年期に至るまで、私は、自分が生きていく人生の中で沢山のマイノリティ蔑視に遭遇することになります。

 

 

私は、幼少の頃から、、、

 

母は何故身体障がい者なんだろう?

 

姉は何故生まれ落ちた時に脱臼になり特殊学級なんだろう?

 

父は何故あまり語らずおとなしい人なのだろう?

そして、貧乏なんだろう?

 

なぜ父母の喧嘩が絶えないのだろう?。

 

私は何故ゲイに生まれてきて蔑視を沢山受けるのだろうか?

 

何故、この家に生まれたのだろう?

 

そんな事を考える子供でした。

 

 

私の人生は、、、わたしと私の家族を見つめることから、、はじまりました。

 

これは、私がわたしに与えた最高のギフトの人生の」お話です。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

楽しんでお読みいただいたら嬉しいです。

 

続く、、、。