ああ、もう年末ですね。
7月から再開したカヤックもどうにか無事に終わり、今年も静かに締めくくりを迎えることができます。忘年会や新年会、新入社員歓迎会や新歓コンパなど軒並み中止とニュースでもありました。それをありがたがる声も実はあるとか。4000円とか5000円とか払って、聞きたくもない上司の説教を聞かされる会がなくなってせいせいしている、新入社員とか若手社員の本音かな。
さておき、つい一年前は有り難みも感じなかった日常はもう遠い世界。なくして初めて分かる有難みだらけ。
人が当たり前に人と会い、話、笑うこと。同じ家庭で顔をみて過ごせること。大切な人の最期を看取ること。ぜんぶできなくなってしまった。そしていつ帰ってくるか。それとも世界はまったく変わった様相に落ち着くのか。いい見直しの機会だなと。
クリスマス一つとっても、実は大切な時間の過ごし方を、考えさせられる。クリスマスって、恋人なんかにはその日に一緒に過ごすことが至上命題みたいで、それは一日遅れてもいけないかのような必死さがあります。でも本当にそうでしょうか。大切な人と過ごすときは、いつだって大切な聖夜であるはず。一日遅れたら、ケーキに価値はないんでしょうか。むしろ同じケーキが割引でお得(そこか!)。クリスマスに一緒にいられないと、大切な人と一緒にいる時間の価値は下がるのでしょうか。
今年、私はひとり静かなクリスマスを過ごしておりました。眩い電光の代わりに星空のイルミネーション。スポットライトは優しい月光。そして聖火は広大な海岸での焚き火。イエス・キリストは何を思い、どう生き、どんな思いで最期を迎えられたのか。そして彼が説いた隣人への愛、命の尊さの平等について思い巡らせる時間。きっと彼の慈しみを受け、虐げられていた奴隷さえも心が救われたことでしょう。 暖かい血の通ったぬくもりで、冷え切った扱いを受けていた人々を救っていたのではないかと思うのは私だけでしょうか。
人と人が簡単には会えない、今まで通り過ごせないそんな状況の中。暗闇を照らす暖かな焚き火の光のように、ほんとうに暖かいということは何なのか。じっと見つめるのもいいと、しみじみおもったクリスマスでした。


