テーマパーク「平和のくに」=日本〜東西冷戦時代の遺物を取捨選択? | あらやす日(本)誌

テーマパーク「平和のくに」=日本〜東西冷戦時代の遺物を取捨選択?

日本には

「軍」もなく、

(未熟な準「軍」=未衛隊のような自衛隊はある)

また、

世界唯一の被爆国なのに

(被爆国なので幻想上脳内で「核兵器」廃棄しているのだろうが…)

公的な「核シェルター」もない。

これらだけ見ても安全保障=国民の生命・財産防衛は低レベルな国で、

世界で希な、非常に珍しい国、ガラパゴス的な国だ(下記:ガラパゴス諸島)。

 

 

【蛇足】

・南米の東太平洋、エクアドル領にあるガラパゴス諸島(上記)は、大陸と陸続きにならなかったので孤立した特殊な生態系を持つ。

・スマートフォン(スマホ)が世界で標準化し、日本独自の携帯電話をガラパゴス携帯(ガラケー)と呼んでいる。世界の知的層から見れば日本はガラパゴス国=ガラコク?か、ガラパゴス・ネイション=ガラネーか?

ただ、東西冷戦時に東西の交流をできるだけ自由に進めて(東西のスパイ天国にもなり)、日本は東西の中間の時空を人工的に構築した。東西冷戦時代はこの社会形態は反ガラパゴス・ネイション=反ガラネーかもしれないが、共産主義国が自滅的に消えて冷戦が終焉したことで、共産党・左派グループを積極的に受容している日本は左派のガラパゴス、ガラネーに見えるだろう。

・東西冷戦時に、朝鮮戦争・ベトナム戦争をきっかけにして、アメリカ等の西側陣営に完全に組み込まれないように、東西(旧・ソ連・中国VSアメリカ等)の境界線上にある日本は中立的な日本独自の姿勢(ハード的には非軍、非核・非核シェルター、ソフト的には左傾化等)を構築してきた。しかし、1990年代、東西冷戦の終焉=大陸移動・地殻変動が始まり、また中国の脅威で環境変化が起きて、目下、地球上での日本の姿勢、位置づけは大きな転換期に入っている。ここ四半世紀、日本列島周辺は、絶滅危惧種の多いガラパゴス島のような危険な環境になりつつある。ただこの環境変化は、客観的で科学的な視点で考える知性が失われる平和ボケ症では認識できないだろう。

 

 

安全保障レベルを見れば、

日本は先進諸国で最低ランキングに入る国だが、

このランキングを軽視または無視、論外にすることで、

悲惨な現実を客観的に認識せず、ある種の鈍感さをなかば誇示している。

 

この不思議な国、日本では、

完成された核兵器の標的になっている事実をほぼ無視してきたので、

北朝鮮のエセ核ミサイルのような脅迫にも耐えている。

また、

日常的に中国艦船(見た目は公船)の尖閣諸島領海侵入があっても、

日常的に中国軍機の領空侵犯があっても、

国会や世論で普通に問題視して議論することもない。

当然、中国や北朝鮮の違法漁船や工作船が数千隻来ても…

ほぼ軽視、無視。

 

この貧弱さ、貧弱さを認識できない鈍感さ、

この鈍感さの不思議さを客観的に直視、認識せずに、

長年、ほぼ完全に誤魔化すことができたのはなぜなのか?

 

それは国民個々の脅威に対する抵抗力の強さかもしれないが、

東西冷戦時代を日本独自に克服するために

こうした事実を客観化する一般的な普通の思考を抑制させ、

諸外国と比較・分析する学問(軍事学等)の後進国にさせて、

その結果、

平和の幻想を中立化空間でつくりだして、

日本全土をテーマパーク「平和のくに」にしたからだろう。

 

【蛇足】

20世紀後半から多くの共産主義国家がつくられた。これらの国は共産主義を「テーマ」にしているが、テーマパークというよりは、共産主義=共産党の統治で、資本家を否定して、労働者絶対主義(実際、共産主義・共産党ファースト、労働者セカンドだが)を謳って国民に労働を強制した収容所の社会、アリの巣のような社会になった。東西冷戦の終焉は、敗戦国・戦勝国を区分できず、このアリ地獄的な社会になった旧・東側諸国が自ら普通の自由化を目指して比較的自主的に社会を転換させた。

東西冷戦後、今、蔓延しているグローバリゼーションでは貧富の差が拡大して女王蜂が裏で君臨しているようだ。共産主義の女王蟻(スターリン、毛沢東・ポル・ポト、チャウシェスク・金など)はカリスマ的な王様のように表に出て見えやすいが(左傾化した日本では知的で少し謙虚な日本的女王蟻がたくさんいて実態が見えにくいが…)、新自由主義が生んだグローバリゼーションの女王蜂(大口投資家・資産家など)は莫大な利益を収奪できるので巣の奥にいて見えにくくし、ネズミ講的に利益をある程度分配して、これらの収奪した利益は社会に還元(課税)されずに巣の奥(タックスヘイブン等)に隠すようだ。

 

 

この日本のテーマパーク内では、

平和憲法(特に前文・第9条)が洗脳手段として歌われ、

国歌が大声では歌えず、国旗も目立たずに、

国益の概念が希薄化した。

 

このテーマパークでは、

無国籍的な”国際人”が重視され、

「日本は…」「日本人は…」という表現も少なくなっている。

主語として言説のテーマとして

「日本」を言いにくくなっており、

「日本人」のアイデンティティ(identity)は崩れかけている。

(100年前と比較すれば…日本のアイデンティティは半減か?)

「日本」「日本人」への劣等感の強制によって、

「外国人」を差別するどころか「日本人」よりも優遇し、

「外国人」には居心地の良いテーマパークになっている。

普通以上の行き過ぎは是正すべきだが、

(日本文化の伝統は「外国」「外国人」の受容だが…)

まだ比較的豊かなテーマパークになっているので、

成功例として未来の社会に引き継ぐことは多いだろう。

 

 

東西冷戦が終焉してここ四半世紀、

日本は転換期に入っている。

さて、

はて、

これから日本は、

東西冷戦時代の産物テーマパークを捨てて、

普通の国になるのか?

長年築いたテーマパーク「平和のくに」を活かして、

普通の国になるのか?

 

実際、

ここ十年で、日本に来る観光客は倍加しており、

さらに観光客を招くには…?

 

安全保障レベルが低い偽物的なテーマパークは…

いつまで営業継続出来るか?

 

アイデンティティを普通のレベルまで再生して

(昔のアイデンティティは行き過ぎだったが…)

「日本」の伝統的な個性を再認識することで

普通の国になるのが正道だ。

 

【蛇足】

・東西冷戦時代、日本はベトナム戦争等への参戦を公言的な明確な意思表明はせずにうまく拒否し、公言的な意思表明をせずに中立化政策を進めた。特に1970年にこの「中立化」について明確な事実、現象を示した。

大阪万博でソ連館の背は高く目立った存在(コミンテルン支部・日本の左傾化の象徴)になり、アメリカ館の面積は大きかったが背は低く目立たなくした。まさしく、大阪万博で建設されたソ連館とアメリカ館の姿は、東(ソ連)西(米)冷戦時代の日本の存在を象徴することになった。

大阪万博のこの年、ノーベル文学賞候補だった作家・三島由紀夫が日本の左傾化による中立化政策をなかば非難して自決した。左傾化による中立化政策を止めるための普通の国家ビジョンは、左傾化の底上げで抑制されて、結果的に政治的な中立化政策が裏で推進されて行く。

1970年代、新自由主義を提唱したハイエクとその弟子フリードマンがノーベル経済学賞を受賞し、ファシズム・共産主義の共通点を謳う新自由主義の経済思想が西側諸国で広がって東西冷戦を終焉させる思想になってゆく。

しかし、1970年代から左傾化した日本は反共産主義の思想になった新自由主義をなかば拒否し、なかば検閲的な動きが出て新自由主義の書籍等を1980年代後半まで翻訳できなかった。

・反共産主義の新自由主義の経済思想は自由な民間市場を第一(「民間」市場ファーストで「国家」ファーストを否定)にすることで、東西だけでなく南北の国境線を越えて(国益を無視して)経済的侵略を行う邪悪なグローバリゼーションを生むことになった。「国家」の最大の武器は軍事兵器だが、「民間」の武器はマネー・便宜であり、グローバリゼーションはマネー・便宜を使った見えにくい経済的侵略で現代的な植民地政策を進めているようだ。

・東西冷戦が終焉して、1990年代から日本は政策転換に入って行く。日本は明確に公言せずに裏工作的に左傾化・反日(国益希薄)化を進めたことで、東西冷戦で自滅的に敗戦した左派、特に極的左派が遺物的異物としてガラパゴス的テーマパークの日本で生き残ることになる。

・日本は長年の中立化政策によってグローバリゼーションに抵抗したことに少しは利点は残すだろうが、長年の中立化政策による左傾化は思考の多様化、客観化、自由化を抑制しかねない。先進諸国が直視した東西冷戦と核の脅威・抑止力を認識せずに(ほぼ無視して核シェルターもつくらずに)、共産主義VS新自由主義→共産主義の自滅→グローバリゼーションの蔓延→そして…限界、こうした世界の大きな流れを正確に把握できない特殊なテーマパーク的社会が日本だろう。

・日本は、非公式に進めた中立化によって国外で戦争参戦せずに核シェルターも建設せずに東西冷戦を乗り越えた。しかし、冷戦終焉で、普通以上に受容したものや、回避・拒否してきたものが見えだし、裏の政策が丸裸で見えだして転換期をむかえている。ただ、表では、丸裸で露出した中身の良さ、今までの開国性が明確に見えて東西・南北から日本に訪問する観光客を増やしているのだろう。